日本の新型ロケット、イプシロンロケットの1号機が9月14日に再打ち上げに挑む。8月27日に発生した「居座り」への対応を施したうえでの再チャレンジだ。
イプシロンロケットはメディアで「応援するべき話題」と定義されているようだ。メディアは、叩いていい相手だと決めたらとことん叩くが、応援すべき相手だと決めたら少々の問題は目をつぶってくれる。私は以前、あるメディアの方に「我々が『はやぶさは失敗』と判断すれば、それは失敗なんですよ」と言われたことがある。今回は「失敗ではないと判断することにした」のだろう。宇宙開発の現場にとってはありがたいことではあるが、評価が甘くなるようなことがあればそれはそれで宇宙開発のためにならない。ここは敢えて、厳しい分析をしてみよう。
打ち上げは「中止」
2013年8月27日、イプシロンロケット1号機の打ち上げが、カウントダウン0秒で中止された。実際には19秒前に自動停止しており、そのあとはカウントダウンを読み上げ続けただけなのだが、現地の観覧席や、一部のテレビ局やネットの生中継では、0秒を過ぎても打ち上がらないイプシロンを見て大騒ぎになった。こういった打ち上げ中止は、以前ならメディアで「打ち上げ失敗」と大きく取り上げられたが、今回はそういう見出しはなかったようだ。現地の広報には記者から「これは失敗ですか?」という質問があったが、丁寧な説明に納得したようだ。むしろ失敗ではないということの説明を求めたのだろう。
私は今回、初めてメディアとして打ち上げに臨んだ。そして打ち上げ前日と、当日の記者会見に出席した。森田泰弘プロジェクトマネージャー(プロマネ)は打ち上げ前日、End-To-End試験で通信系のトラブルを発見するなど充分な試験を行っており、自信があると語った。一方、打ち上げ中止後の記者会見では、記者から「打ち上げ中止して、自信はどうなりましたか?」という少し意地悪な質問が出たが、それにも「正常に止めることができた。自信を持っている」と答えた。そんな質問、しなくてもいいのになあと思ったものだが、これが後に意外な形で現れる。
IT屋が驚いた、中止理由
打ち上げ中止から3日後の8月30日、原因調査結果の詳細が発表された。その内容はメディアに繰り返し質問されるほどわかりにくいものだった。いや、メディアにとってわかりにくいものだった。わずか0.07秒の信号の遅れで、コンピューターが打ち上げを止めてしまったというのだ。なるほど、宇宙開発とはこれほど精密なものなのか、という感想を持った人も多かったようだ。
ところが、Twitter上で宇宙開発に関心を持つ人達、通称「宇宙クラスタ」の反応は少し違った。宇宙クラスタにはプログラマーやシステムエンジニアなど、IT系の本職を持つ人が多い。彼らには、思い当たる節があったのだ。
0.07秒の問題を日常的な例に喩えると、こういうことになる。AとBの2人が、あらかじめこう決めておく。「AはBに、0時ちょうどに電話をする。Bは、0時に電話がなければトラブルと判断する」と。Aは予定通り、0時ちょうどに電話を掛けた。ところが、発信ボタンを押してからBの電話の着信音が鳴るまでには数秒かかる。これを待たずにBは、電話が掛かってこないからトラブルと判断してしまった。
いや、なんで数秒程度待たなかったの?0時ちょうどって言っても0秒とは言ってないでしょう。普通の人間ならそう考えるだろう。しかし、イプシロンでこの判断をしたのは、コンピューターだ。コンピューターは待ち時間を教えてやらなければ、0.01秒たりとも待ちはしない。人間に言われた通りのことを忠実に実行してしまったのだ。
IT屋にとって、これは常識だ。通信をしている以上、わずかとはいえ時間の遅れは生じる。だから、受信する側は相手の通信が届くのを「待つ」必要がある。ではどのくらい待っても来なかったら異常なのか?その値を設定し忘れればゼロ秒、つまり一切遅れを認めないことになる。ごくありふれた失敗であって、宇宙開発が精密だとかそういうことではないのだ。どうしてそんなことが起きてしまったのか。
大丈夫だと思った
ロケットを発射台に立てた最終リハーサルは、8月20日と21日に予定されていた。地上設備とロケットを本番と同じ状態で接続して行われる最終確認だ。しかし20日は技術的な問題が見つかったため(見つけるためにやっているのだからこれは悪くない)、21日は悪天候のため、リハーサルを完了することができなかった。
リハーサルを再度やり直せば、打ち上げ日自体が遅れてしまう。検討の結果、これまでに実施した試験で問題ないと判断した。しかし、実際に起きたトラブルは、リハーサルを最後まで実施していれば発覚するはずのトラブルだった。日程が詰まっているので、試験未実施でも大丈夫だろうと判断したら、結果的に問題が出てしまったことになる。
1日も早く
さて、私は8月27日の打ち上げ中止後に開かれた奥村直樹JAXA理事長、山本一太宇宙担当大臣、福井照文部科学省副大臣、葛西敬之宇宙政策委員会委員長の会見に出席していたが、私は彼らの発言に違和感を感じていた。奥村理事長が「原因究明が重要」と繰り返したのに対し、他の3人は「1日も早い再打ち上げを」と発言したのだ。原因究明と1日も早い再打ち上げ、どちらも重要ではあるが、どちらが重要かと言えば原因究明だ。
もちろん、打ち上げが1日遅れるごとに経費は余分にかかる。しかし、不自然なほど、判で押したように発言が揃っていた。イプシロンロケットの打ち上げは多方面から期待されている。来年度予算で次期基幹ロケットの開発に着手するためにはイプシロンの成功は強い後押しになるだろう。9月には概算要求の審査が始まる。またイプシロン自体、ベトナムの衛星打ち上げ受注を目指しており、まずは1機成功する必要がある。
イプシロンロケットの開発スケジュールはひっ迫していた。正月も返上して開発作業が進められていた。そんな状況で、最後にソフトウェア開発にしわ寄せが行ったことは想像に難くない。発射場へ運ぶ途中、運送会社の技術的問題で到着が遅れた。さらに、発射場に到着してからのトラブルで、打ち上げ日を22日から27日へ変更した。1号機でトラブルが起きるのは当然であり、それを改修するための日程上の余裕が不足していた。そして、わざわざ打ち上げ日を変更した後も充分な余裕がなく、リハーサルを完全に行えないまま打ち上げ日を迎えた。充分な余裕を現場に与えないプレッシャーがあったのではないか、という想像をしてしまう。
Mロケットの遺伝子
イプシロンロケットは、7年前に志半ばで打ち切られたM-V(ミューファイブ)ロケットの後継機だ。Mシリーズは東京大学の糸川教授に端を発する純国産固体ロケットだ。NASAからの技術導入で進めてきた現H-IIAロケットのシリーズとの大きな違いのひとつに、属人的な開発手法がある。各部分を教授が個人的に担当していたのだ。このため、大量の書類を作成するNASAの手法と異なり柔軟に技術開発することができ、実際の打ち上げでも「作った○○先生がOKと言えばOK」という、実におおらかでシンプルなスタイルだった。
Mロケット時代は、全ての計器を人が見ていた。その部分を作ったその人が、だ。だから、少しでもおかしいと感じれば止めることができるし、この程度ならおかしくないと思えば進めることができる。たとえば今回のように、データが0.07秒遅れて送信開始された程度なら、人間の目では歯牙にもかけなかっただろう。
しかしコンピューターは、その判断ができない。とにかくプログラムとパラメータの通りに判定してしまう。つまり、人間がどうやってその判断をしているかを全て数値化してセットしなければ、人間と同じ判定結果にはならないのだ。そこを徹底的に作り込みさえすれば、後は人間が介さなくても自動的に動くシステムができる。作り込まなければ異常な動作をする。
「大丈夫だと思った」という判断は、どちらかというとMロケットを思わせる。ロケットそのものは大丈夫だったが、コンピューターが自動的に打ち上げを行うイプシロンロケットでは、ソフトウェアの成熟度が大きなカギを握っていたのに、そこを充分にチェックしきれずに打ち上げに臨んでしまった、そのことが「失敗」だったと、私は思う。
「総点検しろ!」
打ち上げ中止直後、森田プロマネは「問題解決に最低2日はかかるので、打ち上げは最短で3日後」と言った。これは、打ち上げ中止時のデータから原因がすぐにわかり、改修方法の目途がついたからだろう。しかし3日後に改めて行われた記者会見では、「総点検するので打ち上げ時期未定」ということになってしまった。
これは想像だが、恐らくJAXA上層部から待ったがかかったのではないか。単純なミスは誰にでもあることで、巨大なシステムであれば単純ミスも数が多くなるのは当然だ。それをチェックして直しきれなかったということを考えれば、1つの問題を解決してもほかの問題が隠れている可能性を疑わざるを得ない。打ち上げ中止直後には「自信がある」と語った森田プロマネは、「前のめりだった」とトーンを落とした。周囲が諌めたのかもしれない。
しかし、こうも考えられる。政府関係者の「1日も早く再打ち上げを」という声、そして3日で再打ち上げと報じてしまったマスメディアの期待に反してまで、JAXAは総点検を決定した。これは詰まりに詰まった打ち上げ準備日程にあえて余裕を持たせ、一度落ち着いてじっくり考えようと差しのべた救いの手でもあったのではないか。
失敗を糧に
もしロケットの神様がいるとすれば、神様がイプシロン開発チームの失敗に与えたのは罰ではなく、祝福だったのかもしれない。開発チームが仕込んでいた打ち上げ中止シーケンスが正常に作動することで、トラブルは打ち上げ失敗ではなく、打ち上げ中止で収まった。そして、JAXAは組織を挙げて、イプシロンチームを援助した。
M-V廃止以来7年の逆境に耐えて、イプシロンロケットは飛び立とうとしている。それに比べれば今回の状況は、むしろ追い風とすら言えるのではないだろうか。挽回の余地のある失敗は、真の成功へ向けての糧になる。そして糸川教授以来脈々と受け継がれる固体ロケットの遺伝子が、モバイル管制を備えたイプシロンへと新たな進化を遂げることを期待してならない。