H-IIAロケット高度化、そもそもとこれから

2015年11月24日、H-IIAロケット29号機が打ち上げに成功した。日本初の、民間静止通信衛星をロケットで打ち上げる商業サービスの成功だ。既に多くの報道がされているし、その特徴である「H-IIAロケット高度化」などについては以下の2つのニュース記事が詳しく、わかりやすい。

(外部リンク)世界よ、これが「高度化」だ – 今度のH-IIAロケットは一味違う

(外部リンク)H-IIA、悲願の静止衛星商業打ち上げに成功 本格参入までまだまだ続く、曲がりくねった長い道

国産ジェット旅客機MRJの初飛行に続いて、三菱重工業を中心とした日本の航空宇宙産業が世界に打って出るという明るいニュースになったわけだが、このH-IIAロケット高度化とはどんなものなのか、少し違った視点から見てみよう。

30機の予約キャンセルから始まったH-IIAロケット

開発時のH-IIAロケット想像図。明るい未来が約束されていたはずだった。

開発時のH-IIAロケット想像図。明るい未来が約束されていたはずだった。(C) JAXA

H-IIAロケットは開発開始直後の1996年に、30機の民間静止通信衛星打ち上げを受注していた。なんと、これまでに打ち上げたH-IIAロケットとほぼ同じ数の打ち上げ契約をしていたのである。しかし、先代のH-IIロケットが1998年と1999年に相次いで打ち上げに失敗。信頼性が疑われたことと、影響でH-IIAロケットの開発が遅れたこともあって、契約をすべてキャンセルされてしまった。ロケット打ち上げをとりまとめるために設立されたロケットシステム社も解散に追い込まれたため、2007年からはH-IIAロケットの主要メーカーである、三菱重工業がロケット打ち上げビジネスも担うことになった。

しかしロケットシステム時代から数えて約15年間も、静止通信衛星の受注ができなかったのには技術的な理由があった。先に挙げた記事で詳しく解説されていた「高度化」が必要だったのだ。高度化の詳細な解説はこれらの記事を参照して頂くとして、不思議には思われないだろうか。なぜH-IIAロケットは高度化する前に、30機もの衛星打ち上げを受注できていたのだろうか。よく説明されるような「高度化で衛星の寿命が延びる」ということであれば、以前にもその点は問題だったはずだ。

実は、この「衛星の寿命が延びる」というのは説明を簡単にするための、ちょっと誤魔化した説明なのだ。

H-IIAロケット高度化は「ダンクシュート」

H-IIAロケットの飛行経路。静止軌道に斜め30度の角度で到着(緑線)したあと、ロケットが20度(赤線)に直す。

H-IIAロケットの飛行経路。静止軌道に斜め30度の角度で到着(緑線)したあと、ロケットが20度(赤線)に直す。(c)JAXA

静止軌道は、赤道上空36000kmを回る円軌道だ。この高さだと、人工衛星は地球1周にちょうど1日を要するので、地球の自転と一緒に回ることになり、地上からは止まって見えるわけだ。

ロケットで静止衛星を打ち上げるのは、バスケットボールのシュートに似ている。ロケットは地球に近い場所(と言っても地上からは100km以上の高さだが)で衛星を加速して分離し、高度36000kmまで「投げ上げる」。衛星はロケットから切り離された状態でボールのように飛んで行き、高度36000kmに達したら自分のエンジンで静止軌道に乗る。打ち上げロケットは、衛星を静止軌道まで運んであげるわけではないのだ。

ロケットが打ち上げられる場所によって、衛星が飛んで行く「向き」が変わる。赤道上のどこかから打ち上げられたロケットの場合、そのまま飛んで行けば衛星は赤道と平行に飛び、まっすぐに静止軌道に届く。しかし、赤道以外の場所から打ち上げた場合、ロケットは赤道に対して斜めに飛んで行くため、静止軌道に到着したときも斜めに飛んできてしまう。種子島の北緯は30度なので、約30度の角度で到着してしまうことになる。

そこで、H-IIAロケット高度化では、ロケット自身が衛星と一緒に高度36000kmまで飛んで行き、そこで衛星の向きを変えることにした。今までのロケットが床からボールを投げるシュートだとすれば、高度化したH-IIAは自分がジャンプしてゴールまで行き、そこで真正面からボールを投げ込む「ダンクシュート」だと思えばいい。

ロケット自身が高度36000kmまで行かなければならないので、ジャンプ力を鍛えなければならない。通常、H-IIAロケットで静止衛星を打ち上げる際には、離陸に必要な固体ロケットブースター(SRB-A)を2本使用するが、今回の29号機は4本に増強した。ダンクシュートに必要なジャンプ力というわけだ。

※ものすごく雑な説明だが、イメージしやすくするために思い切り簡略化しているのでご容赦願いたい。

今までは衛星の側で対応できていた

気象衛星ひまわり8号は、高度化ではないH-IIAロケットで打ち上げられた。(気象庁HPより)

気象衛星ひまわり8号は、高度化ではないH-IIAロケットで打ち上げられた。(気象庁HPより)

では、今までの高度化前のH-IIAロケットではどうしていたのだろうか。例えば、現在使われている気象衛星「ひまわり8号」を打ち上げたH-IIAロケット25号機は高度化型ではない。しかし、ひまわり8号の寿命が短いという話は聞かない。これは、ひまわり8号は最初からH-IIAロケットで打ち上げることが決まっていたので、「静止軌道に斜めに届く」ことを想定して設計されているからだ。

高度36000kmに到達した衛星は、自分のエンジンで静止軌道に乗り換える。このとき、まっすぐに到達した場合と斜めに到達した場合では、斜めの方が多くの燃料を使う。このため、斜めに到達する従来のH-IIAロケットでは衛星が多くの燃料を使ってしまうことになり「寿命が短くなる」と説明されることが多いのだが、ひまわり8号のようにあらかじめ多めに燃料を積んでおけば寿命が短くなることはない。その意味で「高度化しないと衛星の寿命が短くなる」というのは正しくない。

かつてH-IIAロケットが受注していた打ち上げ契約は、30機のうち20機がヒューズ社で、10機はスペースシステムズ・ロラール社。どちらも衛星メーカーだ。つまり、これらのメーカーはH-IIAロケットの「斜め打ち上げ」に対応した衛星を製造するつもりだったから、何の問題もなかったというわけだ

静止衛星打ち上げ市場の激変

最も多く使われるロケット、アリアン5

最も多く使われるロケット、アリアン5 (c)JAXA/ESA/S.Corvaja

しかし、そもそもどうしてそんなにたくさんの打ち上げを予約していたのか。それは、ロケットの打ち上げを予約しておかないと衛星が売れないからだ。衛星を製造しても、打ち上げてくれるロケットがなければ使えない。そこで衛星メーカーは、かなり先までロケットを予約しておかなければならなかった。しかも、1機種のロケットだけを予約していたら、そのロケットにトラブルがあったら全部の衛星が止まってしまう。当時圧倒的シェアだったアリアンロケットが止まっても打ち上げを続けられるよう、H-IIAロケットに白羽の矢が立ったのだった。

しかしその後、ロケット打ち上げ市場は激変する。まず、通信衛星の数そのものが伸び悩んだ。地上や海底の光ケーブルがどんどん高速化し、インターネットが普及したことで、衛星通信は災害対応や、海上や途上国など地上回線に頼れない通信を中心に使われるようになった。また、衛星の改良で寿命が延びて取り換え需要が減った。このため、21世紀に入っても通信衛星の打ち上げ数はあまり増えなかった。

一方で、ロケットの供給は増えた。アリアンロケットは、通信衛星1機を打ち上げるアリアン4から、2機を同時に打ち上げるアリアン5に移行した。さらにロシアのプロトン、ウクライナのゼニートなど旧ソ連系のロケットがアメリカ企業と組んで参入してくると、ロケット打ち上げは予約を押さえておかなくてもよくなってきた。むしろ、打ち上げのたびに価格競争した方が安い。

こうなると、衛星メーカーはどんどん衛星を作り、打ち上げロケットはその都度選ぶということになる。そして、衛星は最も多く打ち上げるアリアンロケットに合わせて設計される。こうなると、H-IIAロケットでアリアン用の「まっすぐ打ち上げ衛星」を打ち上げると燃料消費が多くなり寿命が短くなったり、そもそも打ち上げられないという問題が起きてしまったのだ。

実は無駄が多いダンクシュート

H-IIAロケットは高度化による「ダンクシュート」を可能にしたことで再度の受注に成功したわけだが、そもそもこの方法は無駄が多い。衛星だけでなくロケットも高度36000kmまで行って加速しなければならないから、無駄なエネルギーを使うのだ。

SRB-Aを2本使うH-IIA202型の場合、ひまわり8号のような従来通りの打ち上げ方法なら最大4.0tの衛星を運ぶことができるが、高度化による「ダンクシュート」の場合、2.9tの衛星しか載せられない。そこでSRB-Aを4本使うH-IIA204型にすると、「ダンクシュート」でも4.6t以上の衛星を運ぶことができるのだが、ざっくり言って、204型を使って202型相当の衛星しか運べないということになる。

今回の打ち上げは商業契約のため価格非公開だが、過去の政府打ち上げの費用を見ると、202型は100億円程度、204型は120億円程度。衛星の都合に合わせるために20億円も余計に掛かっている。また、従来の打ち上げ方法なら204型だと6.0tもの衛星を打ち上げられるため、大型化にも対応できる。

このように「ダンクシュート」は無駄が多いので、2016年に打ち上げ予定の気象衛星「ひまわり9号」も、従来通りの打ち上げ方法を使って202型で対応する。その方が安いからだ。

ロケットの「デファクトスタンダード」が変わる?

アリアンロケットに合わせて作られた衛星を打ち上げるため、かなり無理をして打ち上げているH-IIA高度化だが、もしかすると今後は状況が変わるかもしれない。それは、アメリカのスペースX社の急伸が理由だ。

スペースX社のファルコン9ロケット。さらなるコストダウンを狙って、着陸実験も行っている最新型。

スペースX社のファルコン9ロケット。さらなるコストダウンを狙って、着陸実験も行っている最新型。(c)SPACE X

スペースX社は新興の民間企業だが、独自に開発したファルコン9ロケットは1機70億円程度と、100億円のH-IIAよりかなり安い。そして、打ち上げられるフロリダの緯度は種子島とほぼ同じ、28度。ということは、ファルコン9も「斜め打ち上げ衛星」の方が都合がいいのだ。このため、衛星メーカーはファルコン9対応の衛星も製造するようになってきている。

よく考えてみると、赤道上にあるロケット発射場は、南米ギアナにあるアリアンスペースの発射場だけだ。日米のほか、ロシアや中国も赤道上からは打ち上げない。赤道からの「まっすぐ打ち上げ」はアリアンスペースだけの特別仕様で、むしろ世界で一般的なのは斜め打ち上げなのだ。そうなるとこれからは衛星メーカーも、斜め打ち上げに柔軟に対応できる衛星を作った方が安いロケットを選べる、ということになってしまい、アリアンスペースの優位性が失われる可能性すらある。

スペースX vs アリアンスペースの波に乗れるか

H-IIAロケットに替わって2020年から打ち上げられるH3ロケットは、SRBの本数を変えることで2t台、4t台、6t台程度の静止衛星を打ち上げられるロケットになる予定だ。もちろんH3ロケットはH-IIA高度化相当の機能を持っているので、この打ち上げ能力は「ダンクシュート方式」のときの数字。「斜め方式」のときは、もっと重い衛星を載せられるかもしれない。

アリアンスペースも次世代ロケット、アリアン6を開発中だが、こちらは赤道上から打ち上げるのでまっすぐ方式しかあり得ない。もともと最も効率が良い打ち上げ方式なので、逆に言うと伸びしろがない。

H3ロケットは最小構成で50億円程度を予定しているが、ファルコン9もさらに価格を下げる改良をすると予想されるので、スペースXにどのくらい対抗できるかはわからない。首位アリアンスペース vs 挑戦者スペースXというのが一般的な見方で、H3がそこにどれだけ食い込めるかという状況になるだろう。ただ、「発射場が北緯30度」というスペースXとH3の共通点が、スペースX仕様の衛星はH3にも適しているという意外なメリットをもたらしてくれるかもしれないのだ。

高度化には別の使いみちも

H-IIAロケット高度化プロジェクトのマーク。描かれているのは地球を脱出する「はやぶさ2」だ。

H-IIAロケット高度化プロジェクトのマーク。描かれているのは地球を脱出する「はやぶさ2」だ。 (c)JAXA

こうなると、せっかく開発した高度化も無駄になってしまうように見えるかもしれないが、そういうわけではない。他にも使いみちがあるのだ。

H-IIAロケット高度化の初打ち上げは、今回の29号機ではなく、小惑星探査機「はやぶさ2」を載せた26号機だった。地球を脱出するはやぶさ2の場合、「種子島から打ち上げるベストタイミング」と「地球を脱出するベストタイミング」が必ずしも一致しない。自転している地球の向きと、目的地の方角の両方を見計らう必要があるからだ。そこで26号機は、打ち上げ後にいったん地球を回る軌道に乗り、2時間後に地球脱出の噴射をした。こういう芸当ができるのも高度化の成果だ。

また、目立たない改良だが、高度化プロジェクトは電子機器の刷新も行っている。たとえば、GPSを使用してロケットの位置を自分で計算することで、地上からロケットの位置を監視するレーダーが不要になるようにしている。レーダーの維持費が不要になり、人手もかからないなど、H3にも引き継がれる重要な技術を一足先に取り入れた。H-IIA高度化プロジェクトはH3ロケットへ向けた「H-IIAロケット最終改良型」とも言えるだろう。

新型ロケット「H-3」開発期間延長、2020年に「H-3X」打ち上げへ

この記事はエイプリルフールのネタです。

JAXAが開発中の新型基幹ロケット想像図 (C) JAXA

JAXAが開発中の新型基幹ロケット想像図 (C) JAXA

政府は、新型ロケット「H-3」の基本設計を固めた。全段同時開発によるリスクと開発リソースの不足を緩和するため、当初目標の2020年には暫定型のH-3Xを打ち上げ、完成型のH-3打ち上げは2024年になる。2014年度で基本設計を確定し、2015年度から詳細設計と試作に入る計画だったが、完成時期を遅らせることで確実性を高める。

H-3開発は、1段と2段の両方のエンジンが全くの新規開発になっているため、技術者や試験設備などが不足し、開発中にトラブルが起きると余裕がないことが指摘されていた。そこで、事前の研究が進んでいた1段用エンジンの開発に液体ロケット開発リソースを集約。固体燃料ブースター開発は予定通りに進め、第1段を先行して開発することにした。

一方、第2段は既存のものをほぼそのまま使用、電子機器を第1段に合わせて改修して組み合わせた暫定型の「H-3X」ロケットを開発し、2020年度に打ち上げることとなった。本来の2段用エンジンは、1段用エンジンの開発が一段落する2018年度から開発を本格化。2024年に第2段を置き換えた完成型の「H-3」を打ち上げる。

H-3Xは第2段が完成形より小さいため、ブースターの数が同じ構成の完成型H-3に比べて、打ち上げ能力は一回り小さくなる。また同じ大きさの衛星を打ち上げる場合の費用は、完成型H-3より若干割高となる。

転機を迎えた鳥人間コンテスト 後編

鳥人間コンテスト関係の過去連載も併せて読んで頂ければ幸いです。

前回の最後に書いた通り、このブログを読んで鳥人間コンテストの問題点を考えて下さった方々、あるいは逆にこの揉め事を遠くから俯瞰している方々からは「鳥人間コンテストに出なければいいじゃないか」「自分達で大会を開けばいいじゃないか」という意見をよく聞く。全く自然な正論だと思うのだが、そうなっていないことには事情があるのだ。そこでまず、鳥人間コンテストとは何であるか、改めて振り返ってみよう。

鳥人間コンテストの誕生と急成長

第1回の鳥人間コンテストは1977年。讀賣テレビ(以下、ytv)制作の視聴者参加型のチャレンジ番組「びっくり日本新記録」の1企画としてスタートした。ときどき「アマチュア大会にテレビ局が手を出した」といった意見を聞くが、鳥人間コンテストは最初からテレビ番組の企画として始まったものだ。特に、滑空機部門の「細長い主翼で超軽量の滑空機で10mのプラットフォームから離陸して、数百m飛行する」というスタイルは鳥人間コンテストの中で生まれて育ったもので、世界的に例のないオリジナルの航空機が誕生している。

鳥人間コンテストは番組として、テレビ局が舞台を用意し、参加者が工夫を凝らすことで進歩してきた。80年代には人力プロペラ機が登場、90年代には飛行距離がkm単位から10km単位へと飛躍的に伸びる。プラットホームから見える範囲で飛んでいた頃と比べ、主催者であるytvの負担が急増したことは想像に難くない。多数のモーターボートに救助の潜水士が乗り、ヘリコプターや中継設備などを琵琶湖全体に展開しなければならないのだから。

しかし、2009年に初めて、鳥人間コンテストの開催が中止される。前年の2008年にはリーマンショックが起きており、ytvが鳥人間コンテストの開催に必要な資金を用意できないことが原因だった。

鳥人間コンテストはytvがテレビ放送のビジネスモデルで資金を集め、あらゆる準備を行うイベントだ。安全を損なってまで開催することはできない、と言われれば参加者は納得するしかない。

大会中止と讀賣テレビの「引き締め」

鳥人間コンテストに参加する予定だった学生チームは動揺した。今まで、鳥人間コンテストがない場合を考えたことはなかったのだから。

よく「鳥人間チームはテレビに映りたくて出ているのだろう」という意見を聞くが、半分は当たっているが、半分は正しくない。彼らは自分の顔がテレビに映ることは期待していない。彼らが鳥人間コンテストに出場するのは、自分達が作った飛行機を飛ばす大イベントだからだ。またテレビに映ることで、翌年の新入生集めや大学側からのサポート(製作場所の確保など)などで有利になるのも事実だ。ちょうど高校野球における甲子園と同じようなものだと考えるとわかりやすいだろう。

一方、鳥人間コンテストが中止になった場合、彼らにとっては発表の場がなくなる。練習だけで試合に出られないスポーツ選手と同じで、目標を失ってしまう。これからの活動目標に何を据えるか、チーム内だけでなくチーム間、OBなどを交えた活発な議論が始まった。

そのために、鳥人間専用のSNSが開設された。当時はFacebookは今ほどメジャーでなく、mixiはTwitterでは所属チームなどを晒しての議論が憚られたため、専用SNSが選ばれたのである。その中で、自分達で鳥人間コンテストに代わる草大会を開催する可能性も探り始めていた。

しかし、ytvが鳥人間コンテスト関係者向け説明会を開いたことで、この流れは完全に絶たれてしまう。説明会でytvの担当者は、集まった鳥人間チームの代表者達にこう言い放ったのだ。

「君達はSNSとかいう団体を作っているようだが、我々はそのような団体を相手にするつもりはない」

もちろん、代表者達は驚いた。SNSの管理をしていた学生が「SNSは団体ではなくて…」と発言したが、ytvに遮られた。そしてytvは続けた。「我々は再来年も鳥人間コンテストを開催する。しかし、今年学生達が勝手に大会を開いて事故でも起きたら、来年の鳥人間コンテストが開催できなくなってしまう。だから、そのような大会に参加したチームは鳥人間コンテストには出さない」と。

SNSに対する発言も驚きだが、その後の論理は詭弁だ。2009年の鳥人間コンテストが開催できないのは学生チームのせいではない。それなのに、ytvは「2010年の鳥人間コンテストが開催されなかったら、学生チームのせいだ」と言っているのだから。そして、ytvの社員は鳥人間コンテストがなくても仕事はあるが、学生チームは学生時代の重要な1年間をどう過ごすかの瀬戸際なのに、ytvは何の代案も出さずに全否定してしまっている。

このあと、交流飛行会というものが開催される。交流飛行会は「大会を開催してはいけないとは言われたが、試験飛行をしてはいけないとは言われていない」という発想で、普段試験飛行をしている滑走路に数チームが集まって交流を図るものである。だから本格的な競技はなく、スポンサーも一般観覧もなかった。鳥人間コンテストと被らないようにしたイベントでは、鳥人間コンテストの代わりにならないのは当然だった。

もうひとつの事件があった。ある有力チームが2009年、自分達の手で琵琶湖を飛ぶ記録飛行を行ったのである。国際的なルールに則った記録飛行は日本大学が鳥人間コンテストより前から実施しており、近年でも日本大学チームやチームエアロセプシーなどが実施している。だから、この有力チームが鳥人間コンテストに代わる目標として記録飛行を行うのは自然なことだった。

しかし、記録飛行後にこのチームの代表者は、ytvから叱責される。事故があったらどうするつもりだ、鳥人間コンテストを潰すつもりなのかと責められ、反省文の提出を求められたという。

飼い慣らされた鳥人間

こういった動きは、いわゆるブラック企業と従業員の関係によく似ている。

  • 会社側の問題を「会社が潰れたらどうするつもりだ」とすり替えて、従業員に責任転嫁する
  • 従業員の団体交渉を認めず、団体に参加した者を差別する
  • 有力な従業員が転職や独立をしないよう圧力を掛ける

大学生は非常に真面目だ。与えられた課題を丁寧に、誠実にこなしていく。しかし課題そのものに問題がある場合でも、疑問を持たずに取り組むことを良しとしてしまう。

2009年の一連の出来事は、鳥人間チームの学生達に「ytvの言う通りにしなければ鳥人間コンテストがなくなる」「鳥人間コンテスト以外の活動をすれば鳥人間コンテストから追放される」という記憶を残してしまった。自分達が鳥人間コンテスト以外の活動をすれば、後輩もずっと鳥人間コンテストに出られなくなるとすれば、迂闊な活動はできない。たとえ落選して1年間出られなかったとしても、翌年の出場を目指して地道な活動をするしかないと考えるようになってしまったのである。

ちなみに私も、一部の鳥人間学生から「鳥人間コンテストを潰すつもりか」と非難されることがよくある。ytvの言うことをよく聞く、素直で勤勉な学生なのだろう。

変化していた讀賣テレビ

ところが実際には、ytvのこのような態度はごく短期間に過ぎなかった。それまでの「事故があれば鳥人間コンテストは打ち切りになる」というytvの主張は、2006年の事故を契機にしていると思われる。この事故はテレビでは放送されなかったが、おそらく社内的に大きな問題になったのだろう。ytvの鳥人間コンテスト制作スタッフは、学生達が安易に飛行して事故を起こさないよう、自分達の手で安全管理をしようと考えたのではないか。
ところが2010年に、九工大事故のことがパイロットからytvに伝えられると、鳥人間コンテスト制作スタッフに衝撃が走った。2006年の事故のあと2007年にも、大事故は起きていたのだ。しかもスタッフはそのことに気付いてもいなかったのだから、大失態である。パイロットと面会したスタッフは、裁判にでもなれば鳥人間コンテストは打ち切りになる、と蒼白になったという。

このあとytvの社内でどのような議論があったかはわからないが、結果的には以下のように態度を激変させる。まず、裁判でytvは「参加チームが自ら安全を確保する前提であって、ytvに安全を確認する責任はない」と主張しつつ、番組は打ち切られることなく2013年以降も継続した。一方、2013年には2009年とは別の学生チームが琵琶湖での記録飛行を計画したが、前回の例があるためytvに実施可否を相談した。するとytvは「鳥人間コンテスト以外の活動にytvは関係ない」と回答したというのである。

おそらくytv内部で、事故が起きてもytvが一切責任を負わないような運営が求められたのではないか。そのためにytvは、参加チームに助言することはあっても指示することはなくなったのだと考えると辻褄が合う。しかし、そのような方針転換をytvが公言するはずはない。公言すればそれは、事故があった2007年は方針転換前だと言っているようなものだからだ。

かくして、鳥人間チームの学生達は2009年の「記憶」を修正する情報が伝わりにくいまま、鳥人間コンテストに依存する状況が続いたのである。

変化の兆しが見える学生達

本来この状況は、ytvにとっても良くないはずである。鳥人間コンテストはytvが大会運営面での責任を持ち、フライトには参加チームが自分で責任を持つしかない。しかし参加チームが安全管理に関して意識が低いままでは、再発防止は覚束ない。そしてふたたび大事故が起きれば、鳥人間コンテストだけでなく人力飛行の継続すら危ぶまれる事態になるだろう。

昨年の裁判の報道以後、学生チームの中でも、責任を持ったチーム運営の必要性に気付いて考える学生が増えているようである。またチーム内だけでなく他チームとトラブル情報を共有し、運営に役立てるべきという意見も出ている。一部の大学では鳥人間チームに対して安全確保のためのルール整備や、外部有識者を入れるなどの努力を求め始めている。他のスポーツや学生活動と同じように競技団体を作り、そこで情報共有やルール作りをすれば、より客観的に安全性を高めることもできるだろう。

もし学生達が人力飛行の競技団体を作り、そこで情報共有や安全ルールの整備を図り、また鳥人間コンテスト以外の草大会を開催して自分達で「安全な大会運営」を模索するようになったら、ytvはそれを否定するだろうか。これまでの経緯を鑑みるに、静観することはあっても否定はしないのではないだろうか。

「昔、大人に怒られた」というトラウマでいつまでも委縮している必要はない。これから鳥人間コンテストを、あるいは人力飛行という競技を変えていくのは、鳥人間チーム自身だ。

転機を迎えた鳥人間コンテスト 前編

鳥人間コンテスト関係の過去連載も併せて読んで頂ければ幸いです。

この記事を書いている前日に、今年の第37回鳥人間コンテストがテレビ放送された。私がこれまで指摘してきた問題点が今年どう改善され、何が新たな課題になったかなどを検証してみよう。

面白さが広がったネット放送

まず最初に、良くなった点を挙げよう。それは、出場者や経験者などを積極的に起用した生中継や事前番組、テレビ放映と同時の「副音声放送」などをネットメディアで多数放送したことだ。鳥人間コンテストのテレビ放送では芸能人を使ったバラエティ演出などが多く、参加者の生の声を技術解説を聞いたほうが面白いのではないかという声は、参加者の間では永年上がっていた。それをついに、ネットで実現したということだ。

この背景には、読売テレビ内部の意見相違がある。鳥人間コンテストの大会運営を行い現場で番組を制作しているスタッフは、毎年多くのチームと接して大会の現場を目の当たりにしており、チームの活動を生で伝えることこそが面白いと知っている。だからこそ毎年、鳥人間コンテストを開催しているとも言えるだろう。一方、番組の内容を決定する権限は、テレビ局の編成部門である。編成部門はこういった「素人の活動」で視聴率が取れるか不安なので、芸能人を多数入れたり、バラエティ演出を加えたりするよう要求してきた。

今回もテレビ放送は芸能人多用、バラエティ演出多用ではあったが、並行してネット番組を制作したことは鳥人間コンテストの面白さを大きく広げる試みだった。今後にも期待したい。

タイムトライアル部門は無事成功

前回、危険性を指摘したタイムトライアル部門は、結果としては事故や危険な状況もなく、無事に終了した。

ルールの変更はなかったが、衝突すると危険なテトラポッド付近には、紅白の旗が立てられた。パイロットの目からよく見えるようにという配慮がされたわけだ。

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ただ、岸に向かって飛ぶという根本的な危険性は変わっていない。全力で漕いでいるパイロットが常に前方に注意できるか、操縦装置が故障しないか、といったリスクを考えると、ゴールのすぐ近くに危険な護岸がある状況は、事故を起こしやすいことは確かだ。今年大丈夫だったからと言って安心せず、来年はさらなる対策を講じて欲しい。

危険な状況を編集で誤魔化したディスタンス部門

ここからが本題である。番組でも放送されたとおり強風で打ち切りになったディスタンス部門は、鳥人間コンテストの転機とも言える大きな変化と、問題点を詰め込んだような結果になった。

まず、テレビで放送された展開を振り返ってみよう。

  • 大阪大学飛行機制作研究会albatross 記録659.49m
  • 豊田人力飛行機研究会with滝っ子 記録620.73m
  • 東北大学Windnauts 記録1849.41m
  • 広島大学工学部HUES 記録216.62m
  • 強風と豪雨で大会中断
  • 横浜国立大学横浜AEROSPACE 棄権
  • 芝浦工大Team Birdman Trial 棄権
  • 日本大学理工学部航空研究会 棄権
  • 日大の決断の2時間後、大会中止

しかし、この放送順序は編集で入れ替えられたものである。実際の大会の経過は以下の通りだ。

  • 東北大学Windnauts 記録1849.41m
  • 大阪大学飛行機制作研究会albatross 記録659.49m
  • 大阪工大人力飛行機プロジェクト 記録1406.17m
  • 豊田人力飛行機研究会with滝っ子 記録620.73m
  • 強風と豪雨で大会中断
  • 横浜国立大学横浜AEROSPACE、地上での強風で大破、棄権
  • 芝浦工大Team Birdman Trial 棄権
  • 日本大学理工学部航空研究会 棄権
  • 中断から4時間半後、大会再開
  • 広島大学工学部HUES 記録216.62m
  • 大会中止

編集で豊田の次になっていた東北大学は、本当は1番機である。テレビ放送をよく聞くと離陸の瞬間、アナウンサーが「さあ、重力との格闘技の始まりです」と言っている。これは最初の離陸だからだ。また映像からも、早朝の太陽の低い光線状態であることがわかる。

阪大は強風の中、安定を取るのが難しい無尾翼機で大健闘。大工大は1枚プロペラという特徴的な機体で見事な記録を出したが、放送ではカットされてしまった。技術的に特徴的なものを成功させたり、飛行記録が良かったりしても、番組展開上の理由なのか放送されないことは毎年あり、そのチームのメンバーは存在を否定されたような暗澹たる気持ちになる。

その頃、対岸から寒冷前線が接近し、琵琶湖の上を黒い雲が覆い始めていた。天候急変が迫っていることは明らかだった。

左から吹く風に流されるように右へ進路をとった豊田機は、ついに到達した寒冷前線と交差したところで、突然右からに変わった強風に翻弄される。寒冷前線は急激な強風と雨を伴う、というのは小学校の理科で習う知識だが、まさに教科書どおりの展開だった。

気象庁の記録によると、豊田機が飛ぶ前の7:30頃は南南西の風、平均風速3.5m、瞬間最大風速5.2mと、この時点でも人力飛行機にはかなり強い。ところが飛行後の8:00は北の風、平均風速5.6m、瞬間最大風速は10.2mに達している。湖畔では突然、旗が一斉に逆を向き、バタバタと強い音を立て始めた。その直後、飛行中の豊田機は猛烈な風に主翼をへし折られ、空中分解したのだ。

IMG_20140905_002156テレビに映った飛行経路は、恐ろしいものだ。南からの風に流されて北へ向かっていた機体が、突然北風に押し戻され、西へ進んだあと東の岸へと押し込まれていくのだ。むしろ、主翼が折れたために陸上墜落せずに済んだとすら言えるかもしれない。

IMG_20140905_002423強風で右へ押し流される機体の横には、衝突防止の旗が並んで見える。併走するモーターボートは、着水を指示する赤旗を振り始めたが、着水より早く機体が空中分解した。

2004年の台風の大会の解説で述べた通り、空を飛ぶときは着陸(鳥人間コンテストでは着水)までのことを考えるのが当然だ。寒冷前線が接近している場合は飛んではいけない、というのはスカイスポーツの教科書に載っている基本中の基本で、通常はインストラクターから着陸指示が出る。しかし鳥人間コンテストは豊田機が空中分解し、湖畔でもテントが飛ばされかねないほどの強風と大粒の雨に襲われてどうにもならなくなり、ようやく中断したのである。大会本部では天気予報会社、ウェザーニューズの社員が気象情報を提供していたはずだが、どういう判断がされていたのだろうか。

プラットホーム上にいた機体が次々に地上に下ろされたが、実はこのとき、広島大学工学部HUESはプラットホームに上がってすらいない。テレビ放送で広大の飛行後に強風が吹いたことになっているのは、編集である。テレビ放映ではこのシーンでうっかり地上にいる広大機を映している。

DSC_0035広島大の着水シーンのわずか数秒後、無傷の機体に広島大学工学部の文字が見える。

ディスタンス部門の人力飛行機の飛行速度は、秒速8m弱が一般的だ。しかしこのときの風は平均で7m、最大10mにも達した。パイロットが乗っていなければ、飛行機がその場で離陸してしまうほどの風である。そして横浜国大機は猛烈な風の中、地上で主翼を破損してしまった。飛行不能、無念の棄権だ。

(追記)横浜国大機は風の力で折れたのかはわからない、という複数のご連絡を頂きましたので、表記を修正しました。

大会本部からは各チームに、12時までの競技中断が伝えられる。そして、「各チームの判断で棄権してよい」という、前代未聞の通知がなされたのである。

飛ばなくても良い、飛んでも良い

鳥人間コンテストには「大会実行委員会が棄権に相当する理由があると認めた場合以外、自らの申請による棄権をすることができない」というルールがある。つまり大会本部は参加チームに、「棄権に相当する理由がある状況だ」と、自分から言い出したことになる。
讀賣テレビは鳥人間裁判で、安全上の理由での棄権を禁止することはない、と主張している。今回の通知は、この裁判での主張に沿うものだ。その上で大会を中止しないということは、チームの判断で飛んでも良いということである。

安全上の懸念があるから棄権しても良いが飛んでも良い、ということは、チームの判断で飛行した場合は、パイロットが負傷してもそれはチームの責任であって讀賣テレビの責任ではない、と主張できるだろう。もちろん、うまく飛べばテレビ番組で使えるし、失敗すれば2013年の危険飛行のように放送しない。讀賣テレビは得な立場だ。

そんな中での各チームの苦悩は、放送された日本大学理工学部航空研究会の苦悩の場面から理解できるだろう。人力飛行機を志すものにとって、鳥人間コンテストは他に比べるもののない最大の舞台なのだ。飛ばせるものなら飛ばしたい。飛べるものなら飛びたい。前線が接近した不安定な気象条件では、たとえ離陸可能な風でも離陸後に突風を受けるかもしれない。豊田の空中分解を見た直後なのだ。

テレビ放映では、飛行機を捨てたくない、もったいないという日大生の苦悩の声が拾われていた。しかし日大のブログでは、パイロットの安全上の理由を第一に挙げている。昨年の鳥人間裁判以来、どのチームもパイロットの安全は最重要テーマになっているのだ。パイロットの安全に関する議論はテレビ放映ではカットされた。讀賣テレビが「危険な状況で学生に判断を迫った」という事実を視聴者に見せたくなかったのだろうか。

2004年の台風での中断時間は記録していないのでわからなかったが、今回の競技中断は8:00から12:30まで、4時間半に及んだ。この間に日大と芝浦工大が棄権の決断をした。芝浦工大は2人乗りの大型機で、強風の中で機体を保持することも難しく、競技再開しても危険だと判断したのだろう。他の多くのチームも主翼の一部を取り外すなどして強風に耐えていた。

そして12:30、テレビ放映では日大の決断のあとに大会中止になったかのように編集されていたが、実際に大会本部が通知したのは競技再開だったのである。

飛ばない決断、飛ぶ決断

大会本部は、飛行の準備ができたチームから飛行して良い、と通知した。鳥人間コンテストは通常、機体の並び順を入れ替えるのが難しいため、チームの都合による順序変更はできない。しかし、今は各チームが主翼を分解してしまっており、再組み立てを終えるまで飛ぶことができないからだ。
この時点で棄権せず残っていたチームは京都大学、方正ドリームプロジェクトwith立命館大学、広島大学、名古屋工業大学、東京工業大学の5チーム。このうちプラットホームに上がったのは広島大学HUESだけだった。

(訂正)方正ドリームプロジェクトwith立命館大学は棄権していたとのご連絡を頂きました。

広島大学のフライトは結果的に、非常に危険なものだった。離陸と同時に大きく煽られ、アップダウンを繰り返した。鳥人間コンテストでは見たこともないような三角に立った波を、モーターボートが乗り越えて行く。216m飛んで着水した機体は波に揉まれていた。その様子はテレビでもはっきりと見て取れる。

広島大学HUESの「飛ぶ決断」を非難するつもりはない。決断した影には、当事者にしかわからない苦悩があったのだろう。結果としてパイロットが負傷することなく、フライトを終えることができて良かったと思う。しかし、ここで重大事故が起きていたらどうなっていただろうか。おそらく讀賣テレビはその模様を放送しないだろうし、飛ぶ決断をしたのは広島大学HUESで、棄権しても良いと言ったのだから讀賣テレビの責任ではないと主張するだろう。
一方、飛べたら飛べたでテレビ放送は、日大が棄権を決断する前に広島大学HUESが飛んでいたような編集をしている。危険な風、日大は棄権。そこで広大が飛んでしまっては「危険なことをやっているのか」と批判される可能性があるからではないか。

大会中止が決定されたのは、このフライトの直後である。棄権を決定していない他のチームは、風が好転するのを待って飛行を保留していた。しかし、広大のフライトを観た誰もが、もう飛ばすことはできないと確信したのである。5時間に渡って強風に耐えた各チームは、こんどは強風下で機体を分解し収納するという困難な作業に直面することになったが、それはテレビには映らない話だ。

大会本部が参加チームに、明示的に棄権の権利を与えたのは大きな進歩だったと言える。しかし、参加チームのリスクで飛ぶことを認め、うまくいけば編集で話を変えて放送してしまう。ずいぶんとずるい商売ではないか。

総括:鳥人間コンテストの責任は、明確に参加チームに位置付けられた

昨年からの裁判で、讀賣テレビはこう主張している。

「鳥人間コンテスト参加チームはトップアマチュアであり、安全管理の能力を持っているのだから、讀賣テレビはチームに対して責任を負わない」

しかし、この主張の文書をある優勝候補クラスの鳥人間チーム現役メンバーに見せたところ、苦笑してこう言った。

「トップアマチュアって僕達のことですか?ただの大学2年生ですよ」

(追記)「ただの」という表現が責任逃れという感想がありましたが、このインタビューでのニュアンスは「自分達は若輩者なのに、現実より高く持ち上げすぎだ」という感じでした。彼は自分達の責任を強く感じているからこそ、私との情報交換を希望してくれたのです。参加者全体の名誉のために追記しておきます。

大学サークルの鳥人間チームは、大会が終わると3年生が引退するというパターンが多い。大会終了後にチームを引き継ぐのは2年生、つまり大学に入って1年4ヶ月の学生だ。彼らがそれから1年掛けて設計、製作、試験飛行などを経て鳥人間コンテストに出る。それで数十kmも飛んだり高速でターンに成功したりするのは、奇跡と言って良い。一方で航空工学の習得は彼らの能力の限界を極めるものだし、時間は全く足りない。気象の知識や安全工学などを学ぶ余裕は非常に少ない。
そんな彼らの熱い戦いは鳥人間コンテストの醍醐味と言えるが、それを「トップアマチュア」と呼んで責任放棄し、一方で「プロフェッショナルのテレビ局」としてビジネスをするというのは、かなり一方的な状況だ。

これから鳥人間コンテスト参加者は、そういう讀賣テレビを相手に自らの責任と判断で鳥人間コンテストに出場するという、今までも本当は当然だったことをより明確に求められるようになった。讀賣テレビと対等な立場で交渉し、必要があれば毅然として意見を言わなければ、自分達の安全は守られないし、誰も責任は負ってくれない。既にいくつかの大学では、学生による鳥人間チーム運営の安全性を問題にする声が上がっており、今後はチーム側での安全教育などが強く求められていくだろう。

最後に、鳥人間コンテストの問題に関心を持った方からはよくこんな素朴な疑問を聞く。
「どうして鳥人間コンテストをボイコットして、別の大会を作らないの?」
それには明確な理由がある。その解説は後編としたい。

鳥人間コンテストの安全性を考える 第3回 チキンレースを続けるタイムトライアル部門

鳥人間コンテスト関係の過去連載も併せて読んで頂ければ幸いです。

このブログでは鳥人間コンテストのいろいろな問題点を指摘してきたが、鳥人間コンテストは決して安全に無頓着なスタッフで運営されているわけでもなければ、レベルの低いチームばかりが出場しているわけでもない。現場には経験豊富なスタッフが大勢いて、万全の準備を整えたチームが飛ばしているのが大半だ。しかし、それでも予想外の事故の可能性は否定できない。そこで、事故(アクシデント)に至らないトラブル(インシデント)を糧として改善していくことが必要なわけだが、2013年に起きた「重大インシデント」の教訓は2014年に活かされていない。それは、タイムトライアル部門のインシデントだ。

タイムトライアル部門とは

鳥人間コンテストは、グライダーで滑空する「滑空機部門」と、パイロットの力でプロペラを回して飛行する「人力プロペラ機部門」が存在する。さらに人力プロペラ機部門には、飛行距離を競う「ディスタンス部門」と、飛行速度を競う「タイムトライアル部門」(以下、TT部門)がある。元からあったディスタンス部門が琵琶湖横断に成功し、ある意味マンネリ化が懸念された中で新設されたTT部門は、人力飛行機が会場の目の前をダイナミックに飛行する姿や、技術的な面白さから、一躍鳥人間コンテストの花形となった。以下に2014年のルールブックを示すが、2013年も全く同じである。

タイムトライアルのルール

この図だと、現地の状況が分かりにくいだろう。そこで、以下に衛星写真に位置をプロットしたものを示す。

鳥コン会場2

大会本部や応援席は、テレビ放映で応援団が喝采を挙げたり、芸能人やアナウンサーが進行をしている場所だ。その目の前に、離陸台であるプラットホームがある。プラットホームを離陸した人力飛行機は150m先のスタートラインを通過。このとき会場内にホーンが鳴り響き、飛行時間の計測が開始される。折り返しラインを通過して180度旋回し、もう一度折り返しラインを通過。最後にゴールラインを通過するともう一度ホーンがなり、この間の時間を計測して最速のチームが優勝となる。

TT部門の見どころは、高速性能と旋回性能の両立だ。飛行機は大きな翼を使ってゆっくりと飛ぶことで飛行に必要なパワーを抑えており、高速飛行しようとすればパワー不足で途中墜落する可能性がある。また旋回はそれ自体がパワーを必要とする。自動車でもスキーでもそうだが、小さく旋回しようとすればそれだけ速度が落ちるため、飛行機は高度が下がってしまう。ただまっすぐに飛び続けるディスタンス部門と比べてTT部門は「玄人受け」とも言われる複雑さがある。

テトラポッド激突まで数m

ここで2013年のTT部門で起きたインシデントを解説する。飛行したチームを、Aチームとしよう。

Aチーム機はプラットホームを離陸すると、速度と高度を保って折り返しラインを通過。右へ旋回したが、旋回量がやや足りなかった。Aチーム機はプラットホーム北側のテトラポッド護岸にまっすぐに向かっていたのだ。
離陸がら2分12秒後、機体に先行して走行する大会本部のモーターボートから、黄色い旗が振られた。飛行禁止区域に接近していることを知らせ、着水を指示する旗だ。このときの高度は約4m。パイロットは直ちに操縦桿を押し込んで機首下げ操作を行う。しかし急降下で速度が増加した機体は揚力が増加してしまう。2分16秒、高度1mで機体降下がストップ。2分19秒、再度機体が降下し車輪が着水するが速度は落ちず。このときゴールのホーンが鳴る。2分22秒、ようやくコックピットが着水して機体停止。コックピットは辛うじて湖面で停止したものの、左主翼はテトラポッド上に被さった。わずか10秒間の出来事であった。

危険フライト
飛行経路図。右旋回した後、会場北側のゴールラインを超えて、テトラポッド直前で着水した。


1枚目、黄色の旗が振られた瞬間。2枚目、車輪が着水するも速度が上がり降下できない。3枚目、ようやくコックピットが着水。4枚目、つんのめって停止した機体の主翼はテトラポッドに被さっていた。チーム名の表記は画像加工で消している。

着水位置はコンクリート護岸にテトラポッドが並べられており、過去に他チームが激突して重傷事故が発生したのとほぼ同じ場所である。さらに高速のTT機では重傷は間違いなく、死亡していてもおかしくない。あと1秒、降下が遅れていたら激突していただろう。Aチームは危険飛行とされ、失格となった。そして放送されたテレビ番組では、Aチームのフライトはまるまるカットされた。視聴者はAチームのインシデントどころか、Aチームが出場していたことすら知らないはずだ。

鳥人間は急に止まれない

このインシデントは鳥人間経験者を震撼させた。これまでも、操縦装置が故障したり、風に流された機体が陸上に墜落する事故がなかったわけではない。しかし今回は、そもそも岸へ向かって戻ってくることを目的としたTT部門で、パイロット自身の操縦で護岸に激突しそうになったのだ。大会後、当該チームだけでなく多くのチームのOBや現役が写真や動画、GPSログデータなどを持ち寄り、問題のフライトだけでなく全チームのフライトを比較して調査が行われた。

その結果、まずパイロットが適切な降下操作をしていたにも関わらず、着水が護岸ギリギリになってしまったことがわかった。動画を分析すると、大会本部が危険を察知して着水指示を出すとほぼ同時にパイロットは降下操作を開始しているが、そこからわずか10秒で機体は護岸寸前まで飛行してしまった。

Aチーム機の設計速度は9.5m/s、急降下時には最大10.3m/s程度まで出るということだった。おそらくパイロットの降下操作により速度は10m/sを超えていただろう。従って、着水指示から着水までの飛行距離は100mほどだ。
一方、この機体の滑空比は50程度だという。滑空比50とは、飛行機が無動力で飛行したとき、高度が1m下がる間に50m飛行できるということだ。一般的な旅客機の滑空比は20程度であり、人力飛行機は非常に高い滑空比を実現している。
着水指示が出たときの高度は目測で4m程度なので、普通に滑空すれば200mも飛行してしまう。これを強引に機首下げし、湖面に接触させることで何とか機体を停止させたのだ。

つまり、本来は高度4mであれば護岸から200m以上の場所で着水を決断しなければ激突してしまう。しかし、ゴール通過のホーンが鳴ったのは、着水の3秒前。ゴールラインは護岸からわずか30mほどの場所にあったことになる。先程の飛行経路図を見てほしい。会場北側ではゴールラインと護岸が交差しており、ゴールを目指して飛ぶと護岸に接近してしまうのである。

選べない旋回方向

では、そもそも北へ向かって右旋回したこと自体に問題があるのではないか、と考えるのが自然だろう。ところがそうもいかないのだ。

人力飛行機は、エンジンと比べれば圧倒的に非力な人間の力だけで飛ぶ。それだけでも大変なことだが、旋回は直進飛行より多くのパワーを必要とする。パワーが不足すれば速度が落ち、高度が下がって墜落してしまう。
一方、飛行機が追い風に入ると、対気速度が低下するので揚力が減り、高度が下がってしまう。そこからパワーを上げて速度を出せば高度を維持できるが、人力飛行機はパワーの余裕がないのだ。
TT部門では、この旋回が鍵を握る。風は右から吹いているのか、左から吹いているのか。右から吹いているのに左旋回をすれば、ただでさえパワーを要する旋回中にさらに高度低下を招き、墜落してしまう。右から風が吹いているなら、右旋回するしかないのだ。

2013年のTT部門でゴール成功した3チームと失格したAチームのフライトは、右旋回2チーム、左旋回2チームだった。右旋回してゴールに成功したチームは、プラットホームと大会本部の間に滑り込むように着水した。左旋回したチームのうち1チームはプラットホームの近くに着水したが、1チームはAチームの飛行経路を左右反転したようなコースを飛んでいた。Aチームの飛行経路は、特別なものではなかったのである。

パイロットから見えない危険

では、今度はパイロットが危険を察知し、プラットホーム側へ向かって飛ぶべきだったという考えも出てくるだろう。しかし、パイロットに直接聞いたところ、それも容易ではないことがわかった。

まずパイロットは、自分が護岸に向かって飛んでいることを充分に認識できていなかった。湖面には目印になるものが何もなく、高度数mで飛行する人力飛行機のパイロットから見れば、岸は横一線で立体感に乏しい。距離を掴みにくいのだ。

また、TTのパイロットは旋回終了後、高度が低下した機体を何とかしてゴールラインまで飛ばさなければならない。これには、鍛え上げたパワーを振り絞って全力を出す必要がある。陸上競技の選手がゴールラインに向かって全力で走るのと同じだ。そういうときには周囲への注意力が低下するのも仕方がない。その一方で、ゴールテープが張られた陸上競技と違い、選手の目にはゴールラインの位置は見えない。

選手にゴールを知らせるのは、離陸台であるプラットホームに設置された回転灯と、ホーンの音だ。パイロットはこの回転灯がいつ点くかと目を向けながら、必死でペダルを漕いでいた。飛行コースから見ると、プラットホームは常に右側に見えている。動画を見ても、パイロットの顔が右を向いている時間が長かった。回転灯の存在が、パイロットの注意力をプラットホームに向けてしまったのである。それでも、ボート上の旗で出された着水指示に即座に反応できたのは幸いだった。

タイムトライアル部門はチキンレース

飛行機は空中で急激に速度を落とすことができない。そして、高度を下げれば速度が上がってしまうので、急降下するのも難しい。一方で、人力飛行機は速度や高度を回復することも難しいので、あまり高度を下げて飛べば不意に着水してしまう危険性も高まる。だからパイロットとしては、ある程度の高度を維持して飛びたいものだ。

しかし、タイムトライアル部門は岸に向かって折り返す競技だ。急に止まれない飛行機で岸に向かって飛び、ゴールしたら着水する。これは崖に向かって全力で突っ走る、チキンレースと同じと言わざるを得ない。

安全性を向上するには、パイロットが北側護岸にとくに注意するよう指示をすることも必要だが、根本的にはこのように岸に近接した場所にゴールラインを設定しないことが求められる。しかし、讀賣テレビはA大学チームを失格として厳重注意し再発防止を要求しただけで、TT部門のルールや会場配置を変更することはしなかった。

参加チームの責任に終始

鳥人間コンテストでは、讀賣テレビが参加チームを集めて安全講習会を開いており、このことが讀賣テレビ側が安全に配慮しているという根拠のひとつになっている。しかし、その内容は過去の危険事例を示して「このような危険な行為をしないように」という指示である。讀賣テレビ側は充分な安全策を講じているのだから、事故を起こさないためには参加チームが注意すれば良い、という言い方だ。

一方で、参加チームからは毎年、讀賣テレビ側の運営の問題点が指摘されており、参加チーム間の情報交換で話題になる。しかし讀賣テレビ側に、それを聞く姿勢はない。ルールも設備も讀賣テレビが一方的に決定するものであって、参加チームが口を挟むのは許さない。

ただ、鳥人間経験者の意見を聞くことがないわけではない。鳥人間コンテストには複数の鳥人間経験者がアドバイザーなどの立場で参加しており、大会当日だけでなく準備段階から会議に参加している。しかし、そういった方々からも「こちらの要求を聞かない」「危険だと指摘した問題がそのままになっている」という声を聞く。讀賣テレビはテレビ番組の制作費の範囲でしか大会運営費を掛けられないし、番組演出を犠牲にしてまで大会を変更することには消極的だ。

TT部門の安全性を高めるのに最も確実な方法は、ゴールラインを岸から離したり、そもそも折り返さずに沖合にゴールラインを設定することだ。しかしそれでは、応援団に向かって戻ってくるというTTの「テレビ的な面白さ」がなくなってしまう。大会はあくまでもテレビ番組のためにあり、事故を防ぐのは参加チームの役割なのだ。

2014年大会の成功を祈って

本ブログを書いている2014年7月24日の2日後、鳥人間コンテストが開催される。

私は学生時代を鳥人間コンテストとともに過ごした。大学生が自分達だけで飛行機を設計製作し、試験飛行をはじめとする準備を行い、また大勢のメンバーを統率して大会に出場するというのは、非常に稀有な経験の場だ。このような大会を30年以上も続けてきた関係者には深く感謝しているし、今後もずっと続いてほしいと思う。

讀賣テレビの鳥人間コンテスト担当スタッフの方々が、この上ない情熱を注いでいることはよく知っている。そして、過去の事故に深く心を痛め、これからの大会を安全に運営して続けていきたいと考えていることを。

しかし悲しいことに、彼らもまたサラリーマンであり、企業論理の中で鳥人間コンテストを運営しなければならない。両手両足を縛られながら何とかして鳥人間コンテストを成功させようとしている。

鳥人間コンテストの大会運営側と参加チーム、その全員が高いモラルを持って挑むなら、このような状況でも鳥人間コンテストを成功させることはきっとできるだろう。そして、来年以降の大会をさらに良いものにすることも、きっとできるだろう。

2014年、鳥人間コンテストに出場するパイロットの皆さん、必ず無事に帰ってきてください。そして参加する全ての皆さんにとって、かけがえのないフライトになることを祈っています。

鳥人間コンテストの安全性を考える 第2回 「辞退できないルール」から見えた読売テレビの本音

鳥人間コンテスト関係の過去連載も併せて読んで頂ければ幸いです。

鳥人間コンテストの事故が話題になった際、鳥人間コンテストには「参加者が出場を辞退できないルールがある」ということを紹介した。このルールはよほど衝撃的だったのか、ネット上では「本当にそんなルールがあるのか」という疑問さえ上がった。

結論から言えば、このルールは実在するし、2014年のルールブックにも引き続き存在していることから、讀賣テレビは前年からの裁判にも関わらず「このルールには問題がない」と考えていることがわかる。ちなみに、現在も入手可能な「鳥人間コンテスト30周年記念DVD BOX」に付属のリーフレットには、2006年の第30回大会のルールが記載されているので、誰でも確認可能だ。内容は以下の通りである。

7 棄権
a 出場エントリーを済ませたチームは、大会実行委員会が棄権に相当する理由があると認めた場合以外、自らの申請による棄権をすることができない。これに反し自ら棄権をしたチームには次回以降の出場を停止する場合がある。
b 機体の製作、改修、整備等チームの都合で生じた時間的遅延により、当該チームの属する部門・クラスのフライト進行が著しく妨げられることが予想される場合、棄権とみなし大会中いかなるフライトも認めない。

このような条文があると、参加者は大会実行委員会と意見が割れた場合に、自由意思で飛行の可否を決断できないのではないか。この疑問に対して讀賣テレビは、裁判の準備書面に堂々と見解を示してきたのである。

「無責任な棄権を防止するために」

この条項が追加されたのは2005年の大会であったため、鳥人間コンテスト参加者達の間では「2004年にチームエアロセプシーが棄権したのが理由だろう」と噂されていた。読売テレビはその噂を肯定する形で、制定の理由を詳細に説明した。以下、裁判の準備書面から引用する。

第1回準備書面
第29回大会のルールブックにおいて本条項が追加された理由は、その前年である2004年実施の第28回大会において、有力チームにおいて、飛行直前に突如合理的な理由なく機体の組み立てを拒み、飛行を拒否したことにより、大会運営や番組製作に大きな支障を生じたため、以降、そのような参加チーム側の一方的な都合による無責任な棄権を可及的に防止する意図に基づくものである。
第2回準備書面
被告讀賣テレビが主張した「有力チーム」が「エアロセプシー」であることは原告の主張する通りである。
しかしながら、エアロセプシーが同大会において棄権したのは、当日の天候が雨であったところ、同チームにおいては、第28回鳥人間コンテストの開催以前に「雨天時においては好記録が狙えないため、同方針に従い棄権したものであって、決して安全上の理由から棄権したものではない。
(中略)
しかしながら、あくまでも大会主催者である被告讀賣テレビとしては、あくまでも1チームの内部方針に過ぎない事情より、大会運営全体が左右されてしまうことは、大会の運営に照らして好ましいことではなく、それ故にエアロセプシーに対してフライトを説得したのである。それにも拘らずエアロセプシーはフライトを拒否し続けたため、被告讀賣テレビとしては、やむを得ず、その翌年の大会から上記第7条a項の規定を設けることとしたのである。

この書面を読んで、私は驚いた。私はその2004年大会に、人力プロペラ機部門に社会人チームで出場しており、どのような状況だったかよく覚えているからだ。そこで、私が覚えているところの2004年の鳥人間コンテストがどんな状況だったか、ご紹介しよう。

ドキュメント:台風と戦った2004年の鳥人間コンテスト

2004年の鳥人間コンテスト人力プロペラ機部門は、8月1日に開催された。当日朝9時の天気図を示す。

2004天気図7月25日に発生した台風10号は伊豆諸島付近からゆっくりと西へ進み、7月31日16時には高知県へ上陸した。瀬戸内海へ抜けた台風10号は21時半に山口県へ再上陸。翌8月1日には日本海を北東へ進むと予想されていた。既に7月31日の滑空機部門から気象条件は荒れ模様であり、1日の朝にはエアロセプシーが棄権を申し出たため讀賣テレビ(以下、ytv)が説得中だという噂が流れていた。

これを聞いたとき、当時の私が思ったのは「エアロセプシーは、ずるいな」だった。こんな気象条件では誰だって飛ばしたくない。しかし、学生チーム達は棄権などすれば、ytvの怒りを買って翌年から大会へ出られないだろう。仕方がない、我々はytvに最後まで付き合おうじゃないか。

私の記憶には、あまり雨の印象は残っていない。とにかく覚えているのは、強まる一方の風のことだ。フライトするチームはパタパタとバランスを崩して落ちていく。そんな中で唯一、気を吐いたのはA大学チームだった。飛び立った人力飛行機の後ろ姿を湖畔から見ていると、機体は上下左右に大きく揺れていた。風がひどく不安定で、揉まれているのだ。その後姿を見ていた他チームのパイロットは「A大のパイロットはすげえな。自分はこんな風で飛べるだろうか」とつぶやいた。

※具体的な大学名を出されると反発する関係者も少なくないので、伏せています。

しかし、しばらくすると離陸すら困難な風が吹き始めた(それまでも離陸可能と言うのは憚られるが)。ytvは大会の中断を発表する。中止ではなく、中断だ。要するに待機命令だ。

我々のチームは、湖畔の砂浜にいた。幅30mの主翼は正面から吹き寄せる風に煽られ、危険を感じるほどだった。パイロットが乗っていない人力飛行機は40kg前後の重さしかなく、強風で飛んでしまいかねないのだ。しかし、学生チーム達の目の前で、ytvが中止を決定する前に機体を解体すれば、ytvと揉めるだろう。

悩んだ末、我々は主翼の両端5mずつを分解して風に耐えることにした。今回が初めての参加で、夢だったフライトが不可能になったと悟った女性メンバーが涙を流し始めると、カメラがアップで撮り始めた。その頃、隣ではB大学チームが主翼に張られたフィルムをカッターで切っていた。もはや飛ぶことは諦めた。あとはytvが諦めてくれるまで耐えるだけだ。

しかし、地上で耐えていた我々はまだ、ましな方だった。プラットホーム上では次に飛行する予定のC大学チームが、台風に翻弄されていた。巨大な主翼はプラットホームから外へ大きくはみ出す。強風で翼は大きく揺さぶられるし、それを保持している人が転落する可能性もあるだろうが、プラットホームから地上へ戻ることも許されず、ひたすら耐え続けた。

残念ながら、このときの写真などは私の手元にはない。写真を撮る余裕などなかったのだ。写真があれば時刻もわかるだろうが、それもわからない。どれほどの時間、台風に耐えたのかはわからないが、自分の記憶では10分とかいう長さではなく、数時間といった長さだ。ようやく大会中止が伝えられ、機体の解体が始まると、さらに信じられないニュースが飛び込んできた。

それは、大会を不成立とし、記録なしというものだった。その時点でのトップは、1km弱を飛んだA大学。初優勝が消えたことに落胆するA大学を見て激怒したのは、飛行を迎えることなく台風に耐えていた優勝候補チーム、D大学の設計リーダーだった。彼を中心に各大学の代表者達数名が大会本部へ詰め掛け、大会成立を訴えた。飛んだ者にとっても飛べなかった者にとっても、台風と戦った鳥人間コンテストを「なかったことにされる」のは耐えがたい屈辱だったのである。

結局、大会は不成立で変わらず、A大学チームをはじめとする上位チームには賞金も支払われなかったが、飛んだチームのフライトは大会公式記録として残ることになった。ただ、テレビ放送では台風に耐えるシーンは丸々カットされ、最後のチームが飛んだ直後に大会が中止されたように編集されていた。あの数時間、ytvに付き合って台風に耐え続けた鳥人間達のドラマは、なかったことにされたのだ。

台風接近は「安全上の理由ではない」

このように、2004年の鳥人間コンテストを「安全上の問題はなかった」と言い切るのは非常に無理がある。

エアロセプシーは「雨だから飛ばない」と言ったのだから安全上の理由ではない、というのがytvの主張である。しかし、理由が雨であっても風であっても、「好記録が狙えない」というのは、要は短距離で落ちるということだ。飛ばすのに不適だと言っているのである。

実際、2004年は台風による強風下であっても、大会中止の決定に時間を要した。しかもプラットホーム上のチームは一時退避することもできず、中止が決定してから-つまり、風が強まってから危険な撤収作業を開始したのである。この経緯を知っている鳥人間関係者は、ytvは「多少無理でもフライトさせたがる」という印象を持っている。そんな状況で「我々は危険でも飛べとは言ってませんよ。だから、怪我をしたら自己責任ですよ」というのは、かなりブラックなやり方ではないだろうか。

このことから導かれる結論は、鳥人間コンテスト参加チームはytvの立場を考慮して遠回しな言い方をするのではなく、飛ばしたくなければはっきりと「危険だから」と断言するべきだ、ということだ。危険だと言っても飛行辞退を認めなければytvの立場が危うくなるので、辞退は認められるだろう。

おうちに帰るまでがフライト

さて、ここまで見てわかるように、ytvが判断しているのは「鳥人間コンテスト会場での安全性」である。しかし人力プロペラ機部門では、飛行機は琵琶湖の対岸まで飛んで戻ってくるまでになった。飛行時間は数十分から1時間以上に及ぶ。飛行エリアは琵琶湖全域だ。

皆さんも飛行機に乗る時、「天候調査中」とか「条件付き」というのを見たことがあるだろう。今いる空港の天候が良くて離陸可能でも、目的地の空港の天候が悪ければ着陸できない可能性がある、ということだ。このように飛行機のパイロットは、離陸から着陸までの全ての天候を気にしているのだ。

私はパラグライダーのフライヤー(パイロット)だが、初級者の頃にこんなことがあった。離陸場でグライダーを広げ、準備が完了すると同時に、インストラクターから「風が悪くなったので、離陸を禁止します」と無線が入ったのだ。こうなると私は、せっかく広げたグライダーを畳んで、担いで下山しなければならない。「ああ、もう1分速く準備すれば飛べたのになあ」と私は嘆いた。すると、隣にいたベテランフライヤーに、こうたしなめられた。
「もし1分速く準備していたら、君は荒れた風の中を飛んで着陸しなければならなかった。離陸が遅れて飛ばずに済んだのはラッキーなんだよ」

つまるところ、空を飛ぶときに考えるべき最も重要なことは「いかに飛ぶか」ではなく「いかにフライトを終えるか」なのである。実際にこの回の鳥人間コンテストは、台風の接近に伴って風が強まり、飛行中断、大会中止へと至った。このように天候が悪化の一途をたどることが明らかな状況で、今の離陸場の天候だけでフライトを迫るのは、およそあらゆる飛行機の常識から見てあり得ないのだ。

2013年には雷を無視して準備を強行

ytvが天候上の棄権を無視した例は最近もあった。2013年の鳥人間コンテストである。
鳥人間コンテストは土日に開催されるが、土曜日に出場するチームは金曜日に機体を組み立てて、大会本部の検査を受けなければならない。ところがこの日、大会会場である彦根市松原水泳場の砂浜では琵琶湖の対岸から大きく発達した積乱雲が迫ってくるのがはっきり見えていた。積乱雲は琵琶湖を横断し、開場の南側(京都側)へと列をなして流れており、遠雷も聞こえ始めた。会場でも時折、スコール状の雨が降っていた。明らかに落雷を警戒するべき状況だ。

会場内のスピーカーからは、大会本部が避難を呼び掛けていた。会場周辺のレストランやホテルなどとは協定を結んでいるので、雷を避けて避難するように、というのだ。ytvがあらかじめ雷の危険性を想定して準備していたこと、それを放送で呼び掛けたことは素晴らしい。しかしその直後、耳を疑うような情報が入ってきた。

それは、検査対象のチームは機体を組み立てて検査を受けろ、という指示が引き続き出ているというものだ。チーム間は連絡を取り合っているため、その時点で検査の順番だったチームはいずれも検査を続行する指示が出ていることがわかった。

ytvは「会場内に落雷する可能性があるから避難しろ」という指示と「予定通り機体の検査を行え」という指示を同時に出していたのである。結果として、砂浜に大勢のチームメンバーが人力飛行機とともに検査を受けていた。幸いにも、会場内への落雷はなかった。しかし、生命の危険があることを知りながら、大会進行に影響する場面では参加チームはもちろん多数の番組製作スタッフをも雷の危険に晒していたのである。

「番組製作」は安全に優先

このブログへの感想を綴ったTweetの中に、イベント企画を仕事とされるらしき方から「ショー・マスト・ゴー・オンへの警鐘」というコメントがあった。Show must go on.日本語で言えば「幕を下ろすな」である。ステージやイベントはどんなことがあっても客の前でやり遂げなければならないという、ショービジネス業界の言葉だ。「親が死んでも舞台に立つ」などというのも同じ話だろう。

ショービジネスではそうだろう。そして鳥人間コンテストはテレビ番組である。つまり「面白くて視聴率が取れる番組を製作するに足る収録をすること」が目的のショービジネスなのだ。

ytvは答弁書で「飛行を拒否したことにより、大会運営や番組製作に大きな支障を生じたため、以降、そのような参加チーム側の一方的な都合による無責任な棄権を可及的に防止する」「1チームの内部方針に過ぎない事情より、大会運営全体が左右されてしまうことは、大会の運営に照らして好ましいことではなく」と説明している。これは、スカイスポーツであれば全く問題とされない。何故ならば、どれほど有力な選手であろうと選手の側の理由で棄権したことで大会運営全体が左右されてしまうことなどないし、何より大会運営上最重要のことは「事故を起こさないこと」だからだ。選手が飛びたくないと言っているのに飛ばして、事故が起きたらその方が大問題であって、それに比べれば「選手がひとりも飛行せず大会が成立しなかった」の方がはるかに良い。

何が問題かは明らかだろう。ytvにとってチームの棄権は「番組製作に大きな支障を生じる」から問題なのだ。そしてytvにとって鳥人間コンテストは「番組製作のための大会」だから、番組製作に支障を生じることと、大会運営に支障を生じることの区別ができていないのである。そして、スカイスポーツでは当たり前の「事故防止を最優先した大会運営」をせず、「予定通りに撮影を完遂する」ことが優先されているのだ。

鳥人間コンテスト「選手権」

鳥人間コンテストの、大会としてのフルネームは「鳥人間コンテスト選手権大会」だ。選手権大会とはつまり、誰でも参加できるわけではなく、選考があるということだ。一般的にスポーツの選手権大会は、選考対象となるオープン大会での成績などを判断の根拠とするだろう。オリンピックの出場選手選考などが良い例だ。

鳥人間コンテストの出場チーム選考は、春ごろに行われるytvの書類選考のみである。そして、この選考では能力の高いチームから順に選ばれるとは限らない。というより、ある程度の実力のあるチームを落選させて、比較的実績のないチームが選ばれることも多い。おそらくテレビ番組の構成上、ボチャンと落ちるチームもあった方が面白いからだろうと、鳥人間経験者の間では言われている。

要するに鳥人間コンテスト出場の審査とは、番組出演のオーディションなのである。明確な選考基準がない以上、ytvの機嫌を損ねれば翌年から出られなくなる、と参加チームが考えるのは致し方のないことだ。結果として、エアロセプシーのような有力チーム以外は、ytvに異議を唱えることすらできないのである。

なお、2014年のルールブックには以下のような条文がある。

14 大会実行委員会の絶対権限
(中略)
e 大会実行委員会は、以下の各号いずれかに該当するチームに対して罰則を科することができるとともに、その事実を公表する場合がある。
3 機体の制作、改修、整備等チームの都合で生じた時間的遅延により大会の進行を妨げたとき。
4 大会の円滑な運営および番組上の演出に対する非協力的な行為。

15 罰則
前条により大会実行委員会が科す罰則は以下の通りとする。
(中略)
c 次回大会への出場停止処分
d 大会への無期限出場停止処分

このようなルールが明示されているのだから、不安や問題があっても「ちょっと待ってください」とは言いにくいし、演出のためにチームへ持ち込まれる無茶な要求にも協力せざるを得ない。そして、15条で明記するまでもなく、次回以降の大会に出場できるかどうかはytvの機嫌次第なのである。ルールに基づいた処罰だと明言されたことは、今まで一度もないのだ。

大会出場権を得るための予選などがあれば、出場停止処分になっていないのも関わらず予選の結果に反して落選すれば、それはおかしいと誰でも気付く。だから、選手が大会実行委員会を批判したり楯突いたりしても、それが正当なもので処罰対象でなければ翌年の出場は「実力次第」と言える。鳥人間コンテストはそうではない。危険な罰ゲームでも出演を断らない芸能人のように、参加チームはytvのご機嫌を伺わなければならないのである。

次回は、鳥人間コンテストで重大事故寸前のトラブルが起きながら、ルール改善がされなかった事例を紹介する。

追記(2014年7月23日)

今年の鳥人間コンテスト参加者から、情報提供があった。大会参加者向けの説明会で、このような質疑応答があったという。

「安全上の理由での棄権は認められますか?」
「事務局に申し出て認められればOK、無理に飛べとは言わない」

これを聞いたその情報提供者は、このブログを読んで「ああ、裁判でのytvの主張に沿った説明だったのだな」と感じたと言う。ルールでは棄権できないと書いてあるが、危険な場合にも棄権できないという意味ではないから、危険を感じたら言いなさい、ということだ。
しかし、それでも「申し出て認められれば」である。今回のブログで書いた通りytvの危険に対する認識は、スカイスポーツの常識とはかけ離れている。むしろ、申し出なければ参加者の責任、という点を強調したに過ぎないと言えるだろう。そして14条には、参加者が大会本部の指示に反してゴネること自体が、処罰対象と明記されているのである。

鳥人間コンテストの安全性を考える 第1回 自己責任とは何か

これまで九州工業大学チームの鳥人間コンテスト事故について、事故の分析と裁判を中心に考えてきた。しかし問題は、ひとつのチームのひとつの事故だけで終わるものではない。今回からは話題を変え、鳥人間コンテスト全体にある様々な問題について考えていく。

私は、大学時代にサークルチームで鳥人間コンテストに出場、卒業後は社会人チームで数回出場した。と同時に、パラグライダー歴15年ほどのパイロットだ。その経験から鳥人間コンテストを振り返って考えると、非常に多くの問題があることに気付くのである。今回は、鳥人間コンテストにおける自己責任の考え方について分析してみる。九工大事故でも「パイロットの自己責任」という意見がネット上でも、また鳥人間関係者の間でも多く聞かれた。では鳥人間コンテストに自己責任は成立するのだろうか。

スカイスポーツの自己責任

スカイスポーツは、自分自身のために空を飛ぶものだ。だから、事故に対しては自己責任が大原則だ。鳥人間コンテストも基本的には自分が飛びたくて飛ぶのだから、自己責任を原則とするべきなのは言うまでもない。しかし、自分自身のためだけでない、他の要素が含まれてしまうと、自己責任の前提が崩れてしまう。ここで私は、自己責任を成立させるために必要な条件を以下のように考える。

  1. パイロット自身が、安全を判断するのに必要な知識とモラルを身につけていること
  2. パイロットが、安全を確保するために必要な情報を知り得ること
  3. パイロットが、飛行の判断をするときに、他人から圧力を受けないこと

これは私の考えであってスカイスポーツの世界でコンセンサスのあるものではない。この3つの視点をたたき台として、スカイスポーツの自己責任を考察し、鳥人間コンテストと比較すると考えて頂きたい。

パイロット自身が、安全を判断するのに必要な知識とモラルを身につけていること

私がこれを真っ先に挙げたことには、違和感を持つ方が多いかもしれない。必要な知識とモラルを身につけているかどうかも含めて、自己責任ではないか。身につけずに飛んで事故を起こしたら、それこそ自己責任ではないかと。

しかし、私はこれを第一に掲げる。それは、このことが鳥人間コンテストと他のスカイスポーツの最も大きな違いと言えるからである。

私はパラグライダーで飛行するにあたって、日本ハング・パラグライディング連盟(JHF)のライセンスを取得し、会員になっている。パラグライダーは日本の法律上はとくに許可や免許を必要としていないので、これは任意のものだが、パラグライダー競技者(フライヤーと呼ぶ)の大半はJHFなどの団体の指導のもとで飛んでおり、離着陸場などの施設はライセンスを持った人にしか使用させない。

それは、我々フライヤーが空を飛べるのは、法律の規制、地域の理解など多くの点で社会的に「許してもらっている」という自覚があるからだ。もしパラグライダーの無秩序な飛行で死傷事故が激増したり、第三者に多大な迷惑を掛けるなどして度を超すようなことになれば、地域の方々から反対運動が起きたり、パラグライダーを禁止する法律ができたりして、飛べなくなってしまう可能性もあるだろう。

だから、パラグライダーのライセンスを取得する際の学科講習では、空を飛べるのは「当たり前」ではなく「みんなで築き上げてきた自由」だということを教わるのである。空を飛んでいる限り、事故を起こす可能性とは常に背中合わせなのだから、安全に飛ぶための情報交換を欠かさず、トラブルがあればみんなで助け合い、ビギナーのことはサポートする。そうやって全員が連帯感を持って事故を防止し、「飛べる自由」を守っているのだ。

鳥人間コンテストには、この「人力飛行をする自由を自分達で守る」という認識がない。鳥人間コンテストは読売テレビが30年以上続けている番組であり、そこで人力飛行機が飛べるということに疑問を持つ者はほとんどいないと言ってよいだろう。しかも参加者の多くは大学生なので、過去の事情や他のスカイスポーツの常識、関係法令などは知らない。以前の記事で書いたように鳥人間コンテストが法的にグレーであることは知っていても、それを根拠に規制されることまでは考えていない人が多い。「飛べるのが当たり前」なのだ。

彼らにとって、事故を起こすのは「ダメなチームがダメなことをした」のであって、それで自分達が影響を受けるのは不当な迷惑以外の何物でもない。だから、他チームで事故が起きても関心はないし、それを騒ぎ立てるのは「自分達を巻き込む余計な行為」としか映らない。ちなみに、この連載の第5回を公開してから今回の更新時点までのPVは12万を超え、Twitterなどで非常に多くのリアクションがあったが、その間に鳥人間関係者から私へのリアクションは数えるほどしかない。

念のため書き添えておくと、鳥人間でも安全上の努力はよく話題になるし、重要なことと認識されている。しかし、私から見るとそれはスカイスポーツとは根本的に異なる。スカイスポーツの安全努力が「自由を守るため」という切実なものなのに対し、鳥人間は「より高いレベルを目指すため」という上昇志向のものだ。だから、事故を起こすチームがなくなるように努力するのではなく、自分達のプライドや満足感を得ることに集中し、事故を起こした者に対しては侮蔑の目を向ける者すら少なくないのだ。

鳥人間コンテストが他のスカイスポーツを同じように、自己責任を前提として健全に運営されるためには、参加者全員に「何のための責任か」を充分に周知し理解させる教育体制が必要だろう。しかし、読売テレビにはそこまでする意欲も余力もないし、参加チームは技術や知識を引き継いではいても、こういった根本的な思想はほとんど教えていないのである。

パイロットが、安全を確保するために必要な情報を知り得ること

自己責任と言っても、責任を負うためには情報がなければ判断のしようがない。安全性を判断するうえで重要な情報は、機体、地形、気象の3つに分けられると考えるが、鳥人間の場合は地形と気象については誰でも知り得るので、重要なのは機体に関する情報だろう。

機体が壊れるか壊れないか。どうすれば壊れる可能性があるが、どうすれば壊さずに飛べるのか。どう操縦すると安定を失う可能性があるが、どうすれば安定して飛べるか。そういった情報がわからないままでは、パイロットは安全に飛べるかどうかの判断ができない。裏を返せば、そういった情報が充分でないなら飛ばない、という判断もパイロットの責任の範疇と言える。

これがエアラインの航空機であれば、その機種が本来持っている性能や特性は、航空機メーカーから示されている。速度、高度、傾き、加速度など様々な条件があり、その範囲であれば安全を保証しているわけだ。さらに整備員が機体の状態を確認し、責任を持ってパイロットに伝える。これらの情報をもとに、パイロットは安全性の判断を下す。パイロットは最終確認をするが、その情報は機体全体のごく一部でしかないし、パイロットが知り得ない原因で起きた事故であればパイロットの責任ではない。

パラグライダーなどのスカイスポーツでも、やはりメーカーが保証する性能が存在する。これは国際標準に基づく試験で保証されており、機体の強度、安定性などを細かくチェックして、初心者向けや上級者向けなどのランク分けをしている。強度試験は機体が破壊するまで力を加えて行われるし、安定性はテストパイロットの手で項目ごとに客観的に確認されている。我々フライヤーはこのランクで機体の概ねの安定性を知ることができるし、どのランクでも試験を通過している機体であれば充分な強度を有しているのは間違いない。もし機体の製造不良で事故が起きれば、それはメーカーの責任になる。

鳥人間の場合、こういった基準は存在しない。鳥人間コンテストに出場するには、読売テレビの書類審査だけが条件なのだが、それは簡単な図面と説明文書だけのもので、読売テレビ側では詳細な性能の検討はできない。試験による確認などは義務付けられておらず、必要な試験を適切に行うように、といった抽象的な指示があるだけだ。

そして鳥人間チームは、自分達の手で人力飛行機を設計製作し、その性能を競うことを目的としている。チームの中でパイロット以外の者は、「作った飛行機を飛ばしたい」のだ。だから、不安が拭い切れなくても「これくらいならきっと飛んでくれるだろう」という判断に傾きがちだし、また不安を口に出しにくい。

また、鳥人間コンテストをテレビで観ていればわかるように、機体が空中で壊れることはむしろ「番組の華」として盛大に取り上げられる傾向にある。だから、翼が折れたりすること自体を殊更に問題視することはこれまでなかった。私自身の激烈な反省を込めて白状すれば、「自信がなくてもみんな出場してる」ぐらいに考えていたのだ。今にして思えばとんでもないことである。これでパイロットに怪我をさせれば「過失傷害」どころか「未必の故意」なのではないか。

九工大事故の場合、設計に問題があった可能性が高いにもかかわらず、強度試験や飛行試験をほとんどしておらず、結果として大会本番では自壊してしまっている。また裁判では設計者側から「パイロットがペダルを漕ぎすぎたために壊れた可能性」などが指摘されているが、それで壊れるのであれば「ペダルを漕ぎすぎると壊れる」ということをパイロットに示す必要があった(もちろん主翼が壊れる理由になるはずがない詭弁ではある)。もちろん、パイロットにそのような指示は出されていない。

では、どうすれば安全性を確認したと言えるだろうか。安全基準を作成する団体は鳥人間には存在せず、各チームの裁量に任されているのが現状である。九工大事故では、設計製作側の認識が明らかに欠けていたし、それを確認するべきパイロットの認識も欠けていた。あまりにもずさんな状況で、起きるべくして起きた事故である。しかしどのチームでも、安全性が充分かどうかを判断するに足る基準は、実は存在していないのである。

パイロットが、飛行の判断をするときに、他人から圧力を受けないこと

パイロットの自己責任、すなわちパイロットに最終的な責任を負わせるためには、最終的な決定権がパイロットにあることは言うまでもない。誰が何と言おうと、どのような事情があろうと、パイロットが飛ばないと言ったら飛ばない。これが必須条件である。

エアラインの場合、パイロットは仕事で飛んでいるのだから、正当な理由がなければ飛行を拒否することはないだろう。しかし、判断が微妙な場合はパイロットの判断が優先する。何かあったとき、対応できるのはパイロットだけだからだ。

スカイスポーツの場合、パイロットが飛びたくなければ飛ばなくてよい。レジャーであれば当然だが、競技会であってもこの点に代わりはない。競技会で事故が起きれば、パイロットだけでなく大会運営や、ひいてはスカイスポーツ全体が批判に晒されることになる。パイロットが飛びたくないと言っているのに飛ばすことは考えられない。

ところが鳥人間コンテストのパイロットは、2つの大きな圧力に晒されている。ひとつはチームメイト、ひとつは大会事務局からだ。

鳥人間コンテストは他のスカイスポーツと異なり、あらかじめ用意された機体でパイロットの技量を競うものではない。競技で競われるのはむしろ、機体の性能だ。機体の設計製作は、チームにもよるが学生チームの場合、10名前後から数十名のメンバーがまる1年かけ、学業以外の時間をほとんど注ぎ込み、また費用をバイトで稼いで行ってきたものだ。そのようにして作り上げられた機体の目的は鳥人間コンテストで飛ばすことであり、これをパイロットの一存で「飛ばしたくない」と判断するのはきわめて難しい。

九工大事故の場合も、荷重試験をしていない、操縦系に故障があるといった重大な問題があるにも関わらず、チームの仲間達は「大丈夫だから飛んでくれ」と言っている。この状況でパイロットが「いや、飛ばない」と言えば、人間関係は破綻するだろう。しかし、事前に「どんな試験をしなければならないか」「どういう状態では飛んではいけないか」という基準が整備されていれば、設計製作メンバーが「全ての項目をクリアしたので、飛んで欲しい」とパイロットに引き継ぎを行うことになる。逆に、クリアしていなければ引き継ぎができず、パイロットは飛行の条件が整っていないことを理由に「飛べない」と判断できる。

私は昨年、鳥人間チームが交流するイベントの機会に講演してこう述べた。
「鳥人間チームの設計製作メンバーは、パイロットの間に誓約書を交わすべきだ。機体の設計製作に関することはチーム全体の責任であって、事故の際はパイロットを見捨てたりしないと。そういう誓約ができないチームであれば、パイロットは降りた方が良い」
しかし、読売テレビは今年、これとは全く逆の趣旨のアドバイスを参加チームに与えている。曰く「パイロットは、飛行前に機体の安全を確認し、自分の責任で飛行の判断を擦ること」と。つまり読売テレビは、今後鳥人間コンテストで事故が起こってもそれはパイロットの責任にするよう、各チームで手を打っておけとアドバイスしているのだ。

「自己責任」が形骸化した鳥人間コンテスト

これまでに述べた通り、鳥人間コンテストはパイロットやチームのメンバーが充分な知識と判断力を備えているか確認しておらず、パイロットが機体の安全性を確認するための制度が整備されていない。にもかかわらず、パイロットは全責任を自分で負って飛ぶことを求められているのである。果たして、このような状況でパイロットは、自己責任でフライトすることが可能なのだろうか。私には到底、そうは思えないのだが。

冒険的なチャレンジは常に、生命のリスクを伴う。だから、「リスクがあることをしてはいけない」と言ってしまえばチャレンジはできなくなってしまう。命を賭けるに足るチャレンジをするのは個人の自由であり、それを裏打ちするのが「自己責任」だ。

次回からは、鳥人間コンテストで過去に起きた具体例を挙げ、大会の構造的な危険性を検証していく。

鳥人間コンテスト事故の深層 第5回:新証言が明らかにした事故の全貌

しばらく間が空いてしまった。私自身の都合もあるがもうひとつの理由は、新情報が大量にもたらされ、その分析に時間を要していたからだ。
情報をもたらしてくれたのは、事故当時の九工大チームのメンバーだったA氏だ。A氏は事故後、川畑さんとはほとんど連絡を取ったことがなかったが、今回の事故報道を見て心配になったのだという。そして、このブログを含む裁判情報を知って、こう感じたのだと私に話した。
「平木先生は、こんな嘘をつき続けているのか」

そして、本当のことを知ってほしいと、DVD-Rにして3枚分の画像や議事録などのデータと、多くの証言を頂くことができたのである。なお、A氏は当初実名での告発を考えてくれていたが、これまでの川畑さんへのバッシングなどの経緯もあり、今回は匿名での掲載とさせて頂くこととなった。

行われていた事故原因調査

チーム側の準備書面では、古賀氏が川畑さんの母に宛てた手紙に書かれた事故原因について「同書は、被告古賀の一個人としての意見であり、KITCUTSが検討協議のうえ出した結論ではない。そもそも、本件人力飛行機は残存していないのであるから、同書が、科学的データに基づいた分析ではないことは明らかであって、被告古賀自身が、結果論的に推測を述べたものに過ぎないことは明らかである」と記している。そして、チーム側からは図面や写真などの具体的証拠は出さず、原告側の主張は根拠がないと切り捨てる主張をしている。確かに、証拠がなければ事故原因を特定することはできない。

しかしA氏は当時、機体の調査と事故原因調査を行ったことを覚えていた。そして、調査で用いられた多数の写真と、設計図のCADデータを保管していたのである。私は、このCAD図面と機体の写真を照合し、当初設計図の通りできているかを確認した。その中で、主翼折損部付近に若干の設計変更があることを含め、事故機の詳細な構造を把握することができた。
その結果、A氏から聞いた「当時の事故報告」と「被告古賀氏の手紙に書かれた考察」、そして私が推測した事故原因は完全に一致した。いや、鳥人間コンテストに出たことのある者なら誰でも、同じ結論に達するだろう。原因は、主翼桁が細すぎたことと、主翼桁にワイヤーを取り付ける方法が不適切だったことである。

他チームの半分以下しかなかった強度

チーム側は「細くても、厚みがあれば必要な強度を得られる」と強弁して原告主張を否定しつつも、それを証明する証拠は一切提出しなかった。しかし、A氏の資料によれば、主翼が折れた部分の桁は、直径50mm厚さ1mmのCFRPパイプであり、それはCAD図面からも写真からも確認することができた。
厚さ1mmというのは人力飛行機の桁としては一般的なもので、チーム側が主張する「厚ければ強い」というようなものではない。問題は50mmという直径だ。同時期の同規模の鳥人間チームの主翼桁は、直径が80~100mm。つまり、他チームの主翼桁が1.5Lペットボトルぐらいの太さとすれば、事故機の主翼桁は500mlのペットボトルより細いのである。強度を意味する値「断面2次モーメント」は他機の1/2~1/4程度しかない。

IMG_6872離陸前の写真。停止状態であるにも関わらず、向かい風だけで主翼が極端に曲がっている。

さらにもうひとつ、主翼のたわみを抑えるためのワイヤーの取り付け方法が異常なものであったことがわかった。
人力飛行機チームの一部は、主翼にワイヤーを張っている。これは主翼の反りを抑えるもので、主翼を軽量化でき、またワイヤーの長さを変えて反りを調整することができる。ワイヤーの空気抵抗が馬鹿にならないというデメリットもあるため一長一短であり、上位チームでもワイヤーの有無はチームによる。ただ、張るほうが作りやすいので初心者向きではあるだろう。

事故機の主翼折損部の写真を見ると、ワイヤーをスピードキャッチという金属製のリングに取り付け、それをホースバンドで主翼桁に括り付けていることがわかる。わずか1mmの厚みしかなく割れに弱いCFRPパイプに、このように金属をごりごりと押し付けて力を加えれば、パイプは簡単に割れてしまう。もともと細くて半分以下の強度だったパイプは、それよりさらに弱い力で折れてしまうだろう。

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事故後の写真。細く、薄いパイプに無造作に巻き付けられたホースバンド。これでは折れるのも当然だ。

[追記]東北大の写真へのリンク←鳥人間で一般的なワイヤー取り付け方法。パイプに板を接着し、そこにピンを通す穴を明け、ワイヤーを接続する。この写真では先にパイプにカーボン布を巻いて補強したうえ、上から樹脂を盛って補強しているが、こういった補強はチームによって違う。

直径わずか50mmのパイプに括り付けられたホースバンド。これは鳥人間経験者が見れば、計算するまでもなく一目で「折れないはずがない」とわかるくらい、あり得ない構造だ。これほど酷い機体がどうして飛行に至ってしまったのか。そして、その原因調査が行われていたのに今まで秘匿されてきたのは何故なのか。それも、A氏が保存していたチーム内の打ち合わせ議事録と、証言から判明した。

機体製作、試験飛行、そしてハイブリッドトレーニング

チーム側の準備書面では、試験飛行は安全確保には不要なものだと断じている。しかしA氏の証言によれば、当時リーダーであったチーム側被告の学生達は、製作の遅れで試験飛行の時間が減っていくことに焦りの言葉を口にしていたという。さらに、製作が進むにつれて機体重量が設計値をオーバーすることがわかってきた。機体が重くなれば飛行に必要なパワーも増える。逆に言えば、パイロットは設計値以上のパワーを出さなければ、飛行機は飛べない。
計算上、当初設計の240Wから、300Wに引き上げる必要があるとわかった。これは無茶な話だ。わずか2、3か月でこれほど筋力を増やすことができるのか。

ここで、「ハイブリッドトレーニング」が登場する。ハイブリッドトレーニングは電気刺激により筋肉量を飛躍的に増加させるというもので、九州工業大学などで研究が行われていた最新のトレーニング方法だ。まだ臨床段階の研究、いわば人体実験であるため病院の倫理委員会の判断が必要で、実際にトレーニングが始まったのは6月末だった。

機体の完成が遅れ、ようやく試験飛行が準備されたのは鳥人間コンテストのわずか2週間前だった。しかし機体を走行させると、離陸する前に主翼ワイヤーが切れてしまい、試験飛行は失敗に終わる。修復作業が行われたものの大会本番まで日数がなく、再度試験飛行を行うことはできなかった。結果としてこの機体は1度も、飛行中に受ける荷重に耐えられることを確認していない。

また、本来なら試験飛行前に行わなければならない、機体の重心測定を行う余裕がなかった。そこで試験飛行の後、機体を組み立てての重心測定が行われた。ここで機体の総重量も改めて確認されたわけだが、鳥人間コンテスト直前の木曜になって、川畑さんの体重が思いのほか増加していることに気付いた。

パイロットの出力は当初の240Wから、目標の300Wを達成していた。一方、体重も当初設計時の47kgからある程度増加することは予想していたようだが、実際に測ってみると54kgだった。それでも、重量増が設計総重量(機体とパイロットの合計)の8%なのに対して、パワーは25%も増加したのだから、トレーニングは成功である。しかし、機体の重量も増えているし、前回の試験飛行では主翼構造も破損している。重くて弱い機体で、本当に安全に飛べるのか?パイロットの川畑さんとチームリーダー達は愕然とし、大会出場辞退を考え始めていた。

「責任を取って飛べ」という選択

川畑さんは動揺し、体重管理を怠った責任は自分にあるとして、自分から大会出場辞退を申し出ると言い出した。しかし松本氏らは川畑さんを制し、川畑さん抜きで顧問の平木准教授に相談へ行った。

このとき彼らが何を考えていたのかは、本人に聞かないとわからない。しかしもし私なら、こう考えただろう。パイロットの体重を試験飛行時に確認しなかったのは自分達の責任でもある。パイロットひとりの責任ではなく、チームの責任として出場辞退を申し出るためには、パイロットの川畑さんを連れていくわけにはいかない、と。

実際に平木准教授と松本氏らの間でどのような話し合いがあったかもわからない。しかし、そのあと平木准教授は川畑さんを電話で呼び出す。研究室を訪れた川畑さんは、平木准教授に説得された内容をこう記憶している。。

「体重管理の責任を取って出場を辞退しようと考えているそうだが、せっかく鍛えたのだから、出場して記録を出すというのも責任の取り方ではないか。強度は私が確認したから、安心して乗ってほしい」

自責の念に駆られている川畑さんにとって、責任を取って飛べという言葉は重かった。しかも強度確認を准教授がしたと言われれば、信じないとは言えない。翌金曜日の昼、読売テレビが開催するパイロット向け説明会に参加するため、川畑さんは新幹線で琵琶湖へ向かった。同日、パイロット以外のチームメンバーは機体をトラックに積み込み、バスで土曜朝に大会会場に到着する。

そして、大会当日。組み立てた機体の、主翼ワイヤーが再び切れて修復した。水平尾翼を操作するサーボモーターが故障したが、これは交換用部品がなくそのまま固定した。水平尾翼の固定は設計通りの機能を備えていないということであり、本来は大会本部に申告するべき重大なトラブルだが、申告はしなかった。これらのトラブルに、川畑さんは「飛んで大丈夫なのか」と疑問を発したが、担当者はその都度「大丈夫だ」と答えていたという。これほどの問題を大会本部に申告していたら、本部権限で飛行取りやめになっていたかもしれないが、申告することなくフライトは行われてしまった。

OBと学長が見ている前で

それにしても、飛行機を飛ばすうえで最も重要な責任は「飛ぶこと」ではなく「事故を起こさないこと」だ。にもかかわらず、飛ばなければならなかったのは何故なのか。

九州工業大学のOB会は、明専会という。その明専会からチームは資金の寄付を受けていた。そして鳥人間コンテストには明専会による応援ツアーが組まれており、そこには九工大の学長も参加していた。もし大会寸前に出場を辞退すれば、明専会や学長はわざわざ琵琶湖まで来て「九州工業大学が出場していない鳥人間コンテスト」を見せられる破目になる。

もちろん、明専会が学生達に「安全に不安があっても飛べ」と圧力を掛けたわけではないだろう。しかし、こういった「上の人」への、現場の自主的な(愚かな)配慮が大きな事故に繋がった例は過去にもある。中でも有名なのは、スペースシャトルチャレンジャー号爆発事故だ。

スペースシャトルチャレンジャー号の教訓

チャレンジャー号の事故は予言されていた。爆発事故の日の朝、常夏であるはずのフロリダは異常な寒波に襲われており、気温は氷点下まで下がっていた。スペースシャトルのブースターを製造したメーカーは「こんな低温での打ち上げは、安全を保証できない。凍結したパッキンが硬くなってガス漏れを起こし、爆発するかもしれない」とNASAに進言した。しかしNASAは「爆発するとは限らない」と言って打ち上げを強行。その結果起きた爆発事故の原因は、まさにこのメーカーが心配していた通りのものだった。

NASAが打ち上げを強行したのは、その日の夜にレーガン大統領の演説が予定されていたからだった。演説の日にスペースシャトルが飛べば大統領がそれに触れないはずはなく、予算獲得に有利になると考えたのだ。しかし結果として、大統領の演説は追悼演説に変わってしまった。

九工大の鳥人間事故はまさに、チャレンジャー号爆発事故と同じだ。技術を軽視し、体面を重視した結果、乗員の人命を賭けていることを忘れていたのである。

行われていた事故調査

事故直後、チームのOBは現役学生達に「徹底的に調査しろ」と指示をする。それだけでなく、破損した写真の機体を大量に撮影して提供した。これがA氏が保存していたデータの一部となる。
事故の前まで、チームを指揮していたのは4年生であり、「チーム側被告」はこの代である。3年生はパイロットの川畑さんのみ。意気消沈していた4年生に代わって事故調査を指揮したのは2年生だった。彼らは翌年、チームを運営する世代であり、同じ失敗を繰り返さないための調査が必要だったのである。

そこで2年生は、それまでチームでタブーだった行動に出る。それは「他のチームに相談する」ということだった。

一般的に鳥人間チームは、チーム間の情報交換が多い。大抵の場合、見学に行けば何でも見せてくれるし、図面ももらえる。それは鳥人間の人力飛行機は単にコピーすれば良いというものではなく、試験飛行などの運用も含めた経験が重要だからだ。コピーしたぐらいで超えられるものではないのである。逆に言えば、他チームに相談することがタブーという九工大は、非常に特殊と言える。

彼らは他チームの図面と比較することで、事故機の主翼桁が細すぎたこと、ワイヤー取り付け方法がずさんであったことにすぐに気付いた。古賀氏の手紙にそのことが書かれていたのも、事故調査の結果を反映していたのである。

「他チームに相談しない」タブー

なぜ九工大チームだけが、他チームに相談してはいけないというタブーを有していたのだろうか。この点についても、川畑さんとA氏の意見は一致している。それは「他チームに聞くなんてみっともない」という意識と、「うちはISAS出身の先生が顧問をしているのだから」という認識だったという。

川畑さんは高校時代、九工大のキャンパスツアーに参加した際、鳥人間チームを訪れてこう説明された。「うちのチームはISAS出身の先生が指導してくれている。こんなチームは他にない」と。キャンパスツアーで訪れた高校生に説明するのだから、彼らにとってそれは重要な誇りだったのだろう。ISASとはJAXA(宇宙航空研究開発機構)の宇宙科学研究所のことで、平木准教授は九工大に転属する以前はISASで小惑星探査機「はやぶさ」の開発に従事しており、九工大への転属は「はやぶさ」の打ち上げとほぼ同時である。

しかし事故機の設計図や写真を見れば、他のチームで鳥人間コンテストに参加した経験のある人なら誰でも唖然とする。あまりにも、鳥人間の常識から外れているからだ。つまるところこのチームは、人力飛行機の経験はないがISASという「錦の御旗」を掲げた顧問に率いられ、その指揮下で「他大学に質問するなどみっともない」と考える学生達が人力飛行機を作っていたのである。

しかし、彼らも反省がなかったわけではないのだろう。事故後A氏は、引退してOBになった松本氏らから「試験飛行を充分にするように」と口を酸っぱくして言われたという。主翼桁も、他チーム並に太いパイプに変更された。他チームとの交流も活発化した。失敗から得た教訓を受け継ぐことは、技術者として重要な責任の取り方と言えるだろう。

矛盾する平木准教授の発言

事故後、重傷を負った川畑さんは平木准教授に、事故原因を調査して欲しいと依頼する。しかし、平木准教授は「学生に責任を負わせられない」の一点張りで、事故調査を断り続けた。実際に裁判の準備書面でも、調査は行われていないことになっている。しかし現実には調査は行われていたのである。何故、チーム内では事故調査が行われていたのに、川畑さんにはそれを伝えなかったのだろうか。

一方で、川畑さんは事故の発生について鳥人間コンテスト主催者である読売テレビに報告して欲しい、と平木准教授に伝えている。しかしA氏は平木准教授から、読売テレビへ報告しないことについて「川畑さんも問題を大きくしないで欲しいと考えている」と聞いている。これも矛盾している。

さらに、最近わかった事実がある。川畑さんには入院治療費に関する保険金が支払われているが、この保険金は大学が学生に加入させている保険で、大学の授業や研究活動でないと使えないものであった。平木准教授は裁判で「単なるサークル活動で、研究室の活動ではない」と主張しているが、サークル活動ではこの保険は使えないのだ。研究と無関係なサークル活動だという主張が真実であるなら、保険の支払いはできなかったはずだ。

そして、A氏は平木准教授から「保険が使えるのは3~6か月の治療期間だけで、以後は使えないので、寄付を集めたい」と説明されたと証言する。ところがこれは間違いだった。実際には保険は、後遺障害にも適用可能なのである。しかも保険は傷害保険だけでなく賠償責任保険もあるため、チーム側被告らはこの保険で川畑さんへの賠償を行うことも可能だ。にも関わらず、平木准教授は入院費だけに研究室の保険を使い、そのあとは「保険が使えない」と学生に説明していたのである。

後遺症に保険を適用すれば、「研究室の活動で、学生に後遺障害が残る重傷を負わせた」ということになってしまう。その責任をめぐって問題が大きくなるのは避けられなかっただろう。

「体重オーバー問題」の謎

ここまでに明らかになったように、事故後の調査で原因とされたのは「主翼桁が細すぎた」「ワイヤー取り付け部が杜撰だった」の2点であって、パイロットの体重オーバーは問題にされていない。たとえ体重が当初予定通りでも主翼が折れたことは明らかだからだ。A氏の記憶でも、パイロットの体重は原因調査の過程で無関係として外されたという。古賀氏の手紙にも体重のことは書かれていない。

しかし、川畑さんの母親が平木准教授のもとを何度も訪れて談判すると、平木准教授は毎回「パイロットの体重がオーバーしていたのだから仕方がない」と言って話を打ち切ったという。設計や製作に関しては「学生に責任は負わせられない」と言いつつ、パイロットの責任とも取れる発言をすることに母親は憤った。平木准教授がパイロットの体重にこだわり、設計や機体構造に関しては調査結果の報告すら拒んだのは何故だろうか。

大会直前に「強度を確認した」と言ったという川畑さんの証言が事実で、しかも事故原因が強度不足であれば、平木准教授にも責任が及ぶ可能性がある。しかし、体重が原因であれば、平木准教授に責任はない。

そして、もう一つ謎がある。この、平木准教授以外は誰も問題にしていない体重問題が、雑誌「女性自身」の記事掲載直後に2ちゃんねるに書き込まれ、「体重詐称パイロット」という非難が巻き起こったことである。雑誌記事中に書かれておらず、事故調査でも裁判の場でも一切話題になっていない、平木准教授しか問題視していないことが何故、誰の手で、2ちゃんねるに書き込まれたのだろうか。

起きなかったはずの裁判

川畑さんがもともと要求していたのは「事故原因を調査すること」であり、それに加えて「自分だけに負担を負わせて逃げるのか」という怒りが裁判に至った理由と言えるだろう。
しかし、これまででわかったのは「事故原因は調査されていた」うえ、「後遺障害やチームメンバーの賠償責任まで、大学の保険でカバー可能だった」という事実である。この2点を平木准教授が川畑さんに正直に伝えていれば、川畑さんが訴えを起こす理由がない。裁判はなかったのである。

もし、これから賠償保険金が支払われれば、そのぶんの金額はチーム側の賠償分から差し引かれるだろうから、結局彼らは賠償金を払わなくて済むのかもしれない。そのことは、川畑さんが自分で調べて判明したことなので、彼らチーム側被告は知らないのだろう。知っていたら、裁判の前にまず保険の手続きをすれば和解していたかもしれないのだ。

どうして、川畑さんと松本氏らは裁判で戦う羽目になったのか。私には、どちらも「引き裂かれ憎み合うように仕向けられた被害者」に思えてならない。

九工大と弁護士の立場は

こうして見てくると、平木准教授と九工大が同一の弁護士のもとで、同一の答弁書で主張しているのはおかしい。九工大は平木准教授はただの顧問であって責任がないという前提だが、それは平木准教授が九工大に報告した内容を信じた結果だろう。しかしA氏の証言は、それとは全く矛盾する。

複数の被告を1人の弁護士が同一の主張で弁護すること自体は問題がない。しかし、被告人の立場が異なっていて、利益が相反する場合は、1人の弁護士が両方を弁護することはできない。弁護士職務規定第28条で禁止されているのだ。もし被告同士の利益が相反していることがわかった場合は、弁護士は辞任しなければならない。

九工大は、こういった事情を改めて内部調査するべきだろう。公判が開始されてから大学側と平木准教授の利益相反が判明するような事態は避けるべきだからだ。

さらに言えば、チーム側の元学生達も、平木准教授の弁護士と同じ弁護士事務所の弁護士が代理人である。これも、利益相反があれば問題になる。チーム側はこれまで、責任は自分達に一切なく、読売テレビにあるという主張で一貫しているが、いくらなんでもその主張が100%通るとは考えにくい。一方で、平木准教授の責任に関することはひとつも主張していない。もし主張すれば、チーム側と平木准教授の間に利益相反があることになってしまう。

明専会は救済の手を

なぜチーム側学生達は、チーム内の事情に口をつぐんだまま読売テレビだけを糾弾する無理な主張を続けているのだろうか。考えられるのは、明専会の存在である。と言っても、明専会が彼らに圧力を掛けているわけではないだろう。

彼らはいずれも一流の航空宇宙系企業に勤めており、会社の先輩には明専会の大先輩もいる。そもそも彼らに鳥人間の活動を支援してもらい、その縁もあって就職を掴んだのであろう。そんな立場で、大学側を糾弾するようなことは、裁判であってもできないに違いない。

しかし、明専会は彼らに危険なフライトを要求したわけではない。学生達のために支援の手を差し伸べただけだ。にも関わらず、このような状況で後輩たちが苦しんでいるのは、彼らにとっても不本意に違いない。もちろんここで言う後輩とは、原告の川畑さんだけではなく、被告の松本氏らのことでもある。被告の立場で苦しんでいる彼らに「先輩に遠慮するのは間違っている。何があったかを正しく証言するべきだ」と説得できるのは、明専会ではないだろうか。

鳥人間コンテスト事故の深層 第4回:九工大と平木准教授の主張

ここからは九州工業大学と、顧問である平木准教授の主張を見ていこう。

第1回で述べたように、九工大と平木氏は同一の弁護士を通じて、同一の主張書面で回答している。訴状では平木氏個人と九工大を別に記しているので、平木氏と九工大が同じ立場で主張する必要はないのだが、彼らはあくまで一体の立場で主張しているわけだ。以前にこのブログへのコメントで「教員個人の行為と大学を混同するな」という趣旨のことが書かれていたが、実は私も同意見だ。教員個人の行為と大学を一体視している九工大に疑問がある人は、私より九工大に文句を言った方が良いだろう。平木准教授の行為がサークル顧問として適切であったかどうかを確認する責任は、大学側にあるはずなのだから。

さて主張の内容だが、第1回の準備書面にその趣旨が端的に記されている。

「被告平木は、KITCUTSにおいて人力飛行機の設計・製作につき指導・監督する立場にはなく、実際、指導・監督したこともなかった。」
「被告平木の専門は宇宙工学及び機械工学であって、人力飛行機の設計・製作を専門とはしていない。」
「そもそも、人力飛行機の設計・製作の専門家ではない被告平木がKITCUTSの行う同設計・製作に対し、指導することなど不可能である。」
「被告平木にとっては、人力飛行機の設計・製作は、自己の研究対象ではないのであるから、KITCUTSはあくまで大学における通常の部活動と同等のものにすぎないのであって、その顧問である被告平木は、主としてKITCUTSが鳥人間コンテストに参加するための活動を支援する事務手続等をしているだけの存在である。
よって、被告平木は、KITCUTSの活動に際して、KITCUTSの構成員に対し、指導・監督する義務はない。」

つまり、整理するとこういうことだ。

  • 平木准教授は人力飛行機の設計・製作を研究しておらず、学生の活動に口も手も出していないし、する能力もない。
  • 平木准教授はサークルの顧問として、事務手続きをしていただけである。
  • サークルの顧問には、活動を指導監督する義務はない。

義務も能力もないから関与していない、というのが主張だ。しかし、義務も能力もない者が自分の意志で関与することは可能だ。関与すれば、起きた結果には責任がある。

学生鳥人間チームの顧問とは

学生鳥人間チームの多くは、顧問が活動に関与する度合いは少ない。大会出場までの活動計画、設計や製作、試験飛行などは学生達が自主的にやっている。顧問の関与は主に事務手続き的なことだが、大学によっては積極的に活動を応援するために補助金を出したり、大会に顧問が応援に来たりするが、あくまで応援だ。よほどのこと、たとえば未成年者の飲酒などない限り、顧問が口を挟むことはないだろう。その意味で、九工大・平木氏の主張は鳥人間に限らずサークル活動として一般的なものだ。

ただ、活動を指導監督する義務はない、というのはどうだろう。普通、事故を未然に防止するのは常識的な注意にとどまっても、大事故が起きたあとにも何の指導もしないものだろうか。

事故調査を拒否して機体を処分

チーム側の主張文書には、なぜ事故が発生したのかという具体的な説明は何一つ書かれていない。前回挙げたように、チーム側は手紙に書かれた事故原因について「そもそも、本件人力飛行機は残存していないのであるから、同書が、科学的データに基づいた分析ではないことは明らか」と書いている。機体の破損状況の写真も撮らず、どこが壊れたのかを調べもしていないのは、パイロットに怪我がなくても通常考えられない。なぜ設計担当者が「科学的データに基づく分析」を一切していないのか。

大学公認サークルの活動で、学生が入院を要するほどの怪我を負った。しかも事故現場には顧問も居合わせた。このような状況でサークルを活動停止にもせず、機体の調査も学生への聞き取りも行わず、事故調査報告書も作らせないというのはかなり異常ではないかと、私は思うのだが。

川畑さんの説明によれば、川畑さんは事故後、平木准教授に「事故原因をきちんと調べて報告させてほしい」と何度も訴えた。しかし、平木准教授は「学生達に責任を負わせることはできない」と断ったという。「私も学生なのに、私一人が責任を負うのは良いのですか」と食い下がっても聞き入れられなかったと。

事故後に何の調査も行われず、機体が処分されたのは何故なのか。あるいは、本当に調査は行われなかったのだろうか。

平木准教授は何をしていたのか

一般的な鳥人間チームでは、顧問には学内手続きの書類作成と挨拶ぐらいでしか会わないものだ。では平木准教授はどうだったのか。

前回も書いたように、チーム側は顧問の関与について、あるともないとも一言も触れていない。一方で原告側は、顧問としての責任を訴状に記しているが、それ以上のことは主張していない。顧問とチーム側の関係については、チーム側が主張するべきことだからだ。だから九工大・平木氏の主張は「顧問にはサークル活動に常時関与する義務はない」という簡潔なもので終わっている。

しかし川畑さんの弁によれば、「平木准教授は自分が鳥人間コンテストに出場したくて学生を集め、指揮していた」のだという。確かにサークルの顧問には常時関与する「義務」はないが、自分が「やりたくてやっていた」のであれば話は別だ。

チームのそもそもの発端については、九州工業大学の広報誌「九工大通信」に記載がある。発行は2005年10月なので、KITCUTSが初出場したときのものだ。その冒頭でこう書いてある

―鳥人間コンテストへの出場を思い立ったきっかけを。
平木 私自身が出場してみたかった、というのが理由の1つです。私の学生時代には、こういったコンテストに大学として参加するということが主流ではなく、出場機会がありませんでしたから。もう1つは、九工大を全国区にしたいという思いですね。私は2年半前に神奈川県から北九州に来ましたが、それまであまり九工大のことを知りませんでしたし、実際それほど知られていません。全国に広めるにはテレビで取り上げてもらうのが一番だと考え、学生に声をかけました。
井手野 僕は大学に入ったら鳥人間に挑戦してみたかったのですが、九工大の航空部はグライダーを飛ばすところで、ちょっと違っていました。先生が開かれたミーティングに参加して、ぜひやってみたいと。

普通に読めば、言いだしっぺは平木氏であり、平木氏が開いたミーティングに集まった学生(井手野氏は2005年当時のメンバーであって、今回裁判の被告ではない)がKITCUTSの初代メンバーだ。鳥人間コンテスト初出場は2004年で、平木氏が九工大に着任したのは2003年度だから、着任した年度に早速、学生を集めてチームを結成したことになる。

特殊な設計の「初出場機」と学会発表

同じ2005年10月29日には、日本航空宇宙学会西部支部において井手野氏、平木氏、そしてチーム側被告の1名である古賀氏の連名で「先尾翼式人力飛行機の飛行特性に関する実験的考察」という発表を行っている。これについて平木氏主張文書では「井手野の発表に協力しただけ」「平木の研究テーマである空力技術に資する考察であるならば、機体の形状を先尾翼式に限定する必要はない」「自分で人力飛行機の研究をしているなら翌年以後も発表を続けるはずだが、していない」と、実質的な関与を否定している。

ということなので、科学技術振興機構から論文を取り寄せてみたところ、こんなことが書かれていた。2005年のKITCUTS機の特徴は先尾翼と「winggrid」という構造を取り入れることにより、主翼幅を18mと短くすることができたとある。

このwinggridというものは、航空機に詳しい人でもあまり見たことはないだろう。世界的にも非常に採用例の少ないものだ。

winggridを紹介しているページ

私はこの機体が2004年の鳥人間コンテストに登場したことをよく覚えている。winggridを装着した人力飛行機など見たことがなかったが、この機体のwinggridは18mの主翼のうち、片側2.5mずつを占める巨大なものだ。winggrid部を除いた主翼は13mしかないという、きわめて挑戦的な設計だ。初出場でずいぶん思い切ったことをしたものだなと驚いた。(2004年は強風で飛行できなかったので、2005年が実質的初出場)

翼端の性能改善方法はウィングレットという小さな翼などがあり、鳥人間チームでもよく使われている。チーム側準備書面によれば、KITCUTSは航空力学をかじっただけの「素人集団」である。にもかかわらず、初めて人力飛行機を作る大学生が、こうも大胆にwinggridを採用するものだろうか。「空力技術」に詳しい人がメンバーにいて、チームをリードしたとしか考えられないのだが。

また、この井手野氏の発表の趣旨は先尾翼に関するものだけで、winggridはテーマではない。設計リーダーであった井手野氏にとって、winggridはあまり重要ではなかったのだろうか。ではwinggridという大胆なチャレンジは誰の発案だったのだろうか。

そして確かに、2005年のこの発表を最後に、学会での発表はない。次にKITCUTSが鳥人間コンテストに出場したのは2007年であり、まさに大事故が発生した年なのだ。離陸前に壊れてしまった飛行機では、論文を書こうにも書きようがないだろう。

事故4か月後に語られた「平木の野望」とは

ふたたび、事故が起きた2007年の話に戻る。事故の責任を巡って関係者が揉めているさなか、11月24日に平木准教授は講演を行っている。

明専会大阪支部総会

明専会とは、九州工業大学(創立時の名称は明治専門学校)のOB会のようだ。そこで平木准教授は「鳥人間コンテスト指導教官」として「九工大・平木の野望、そして迷い…」という題目の講演を行った。事務手続きを行っただけのサークル顧問が「鳥人間コンテスト指導教官」と名乗ったのだとすれば誇大表示の印象を受けるが、その内容が「平木の野望」となると、ただの顧問がどんな野望を持っていたのだろうかと大変興味深い。この講演を聞かれた方がいらっしゃったら、内容をお知らせいただければ幸いだ。

何も知らされない後輩達

実際の設計・製作に関してはどうだったのだろうか。川畑さんの弁では「平木准教授が指示し、平木准教授の許可がなければ何も決定できなかった」と言う。一方平木氏の主張では「指導・監督したこともない」「専門家ではないので指導不可能」としている。どちらが正しいのか。

2007年当時の状況については、チーム側が何も説明しないのでわからない。そこで2013年秋、私は現在の九州工業大学KITCUTSの複数の現役学生に、現状を聞いてみた。すると「いま、設計担当の学生が作成した設計案と平木准教授の案で対立していて、話し合いの最中」という答えだった。彼らの話を総合すれば、平木准教授は2005年以後「人力飛行機の研究をしていない」し、2007年の時点では「指導も監督もしたことがない」「研究していないので指導できない」状況だったが、2013年には「学生とは違う設計案を作成」して「学生は自分の設計案を平木准教授に交渉していた」ということになる。

そしてもうひとつ驚いたのは、KITCUTSが2014年の鳥人間コンテスト出場を目指して活動していたことだった。学生達によれば、平木准教授は「良い設計をして良い機体を作れば書類審査に合格する」と叱咤していたという。しかし、2013年から行われている裁判では、当時の学生が「責任は読売テレビにある」と主張し、平木准教授は「顧問には指導する義務はない」と主張している最中だ。

事故の後、2008年と2010年にKITCUTSは鳥人間コンテストに出場している。しかしこの間、読売テレビはKITCUTSから前年の事故の報告を受けていない。平木准教授との話し合いに業を煮やした川畑さんが読売テレビに協力を求めた後、驚いた読売テレビは事情聴取のため平木准教授を訪れている。

実情を「知っている」読売テレビが、現在も平木准教授が顧問を務めるKITCUTSを合格させるとは考えにくい。実際、2010年の出場を最後にKITCUTSは落選を続けている。大会がなかった2009年を除く6年間に5回も合格したチームが、その後4年連続で落選するのは異例だが、状況を考えれば当然だろう。KITCUTSの学生達は4年間にもわたって、出られるはずのない鳥人間コンテストを夢見て活動を続けてきたのだろうか。

サークル、研究室、就職の利害関係

ここまでの情報を総合すると、私には「平木准教授は手続き上のサークル顧問ではなく、自分が鳥人間コンテストに出場したくて学生を集め、自分の趣味でwinggridなど鳥人間コンテストでは特殊な設計を次々に取り入れ、自分が示した方針以外を学生に認めず、自分の考えの枠内で学生に鳥人間チームの活動をさせた」というように見える。少なくとも私が会ったKITCUTS関係者(川畑さん以外も)に聞く限りは、そうだ。

しかし平木准教授は、自分はKITCUTSの単なる顧問であって、実際の設計製作には関与していないと主張する。大学のサークル活動ではよくあることだし、鳥人間サークルでも一般的な状況だということは先に書いた。では、サークルの主要メンバーが卒業研究や大学院で、単なる顧問であるはずの教員の研究室に入るのは一般的だろうか。

今回の裁判の被告であるチーム側学生達は、鳥人間サークルKITCUTSの元メンバーであり、平木研究室の元学生でもある。そして現在はいずれも航空宇宙系の一流企業に勤めている。文系学生の就職活動と異なり、理系大学院生の就職活動は大学、特に教員の個人的パイプが非常に重要だ。

鳥人間サークルに入り、研究室に入り、一流企業への就職を斡旋されて、現在は旅客機などを作りながら裁判では「絶対安全な飛行機は作れない」「飛行機の安全確認のために飛行試験をする必要なはい」と主張する。そう主張しなければならない理由が、おぼろげに見えてくる。

鳥人間コンテスト事故の深層 第3回:チーム側主張の謎

※前回まで「答弁書」と書いてきたものは、答弁書以外にも公判準備書面を含むというご指摘を頂きました。そこで、今回からは答弁書や公判準備書面を含む、裁判に提出された被告主張を「主張文書」と表記することにします。

チーム側が書いた「お詫び」

前回書いたように、チーム側、すなわち事故当時にチームリーダーや設計担当者を務めていた学生達が裁判に提出してきた主張文書は、筋が通らないばかりか鳥人間コンテスト参加者を自ら愚弄するような、不自然な内容だった。そしてそれは、他の資料などから私が感じた彼らの「キャラクター」とは大きくかけ離れている。

彼らチーム側は一度だけ、川畑さんの母親に手紙を書いている。その手紙も証拠として裁判に提出されているが、本来私信ということもあるので、今回は原文の掲載は控えようと思う。ただ、この手紙から私が感じたのは、彼らは「真面目で誠実で気が弱い、どこにでもいる普通の理工系大学生」だということだ。彼らは彼らなりに責任を感じ、自分達の配慮や努力が不足していたことを反省していると、書面にしたためていた。

川畑さんの話によれば、事故後に彼らと直接会ったのは1回きり、入院中の病院に見舞いに来たときだという。その時はまだ病状が重く、絶対安静だったということもあってか、彼らは衝撃を受けた様子でずっと黙ったまま、花束だけを置いて帰ったそうだ。その後、川畑さんは「何故、このような事故が起きたのか説明して欲しい」と顧問の平木准教授に訴え続け、ようやく平木准教授を経由して母親宛として出してきたのが先ほどの手紙である。

このようなチーム側学生達の態度に、川畑さんは激怒していた。事故後ずっと対面を避け、いくら要求してもろくな事故調査もせず、謝罪文1通で済ませようとしていると。しかし私は強い違和感を覚えた。確かに、取り返しのつかない大怪我をさせてしまったことにショックを受けたからと言って、逃げて済むものではない。だがそれも、取り返しがつかない大失敗だからこその逃避と考えれば一応理解はできる。そのような小心者の連中が書いたにしては、主張文書はあまりにも攻撃的だ。

自分自身を罵倒する主張

主張文書を振り返ってみる。安全性確保のために試験飛行をするべきだった、という問いには「飛行試験の目的をはき違えた的外れなものと言わざるを得ない」と切り捨てる。機体の強度が不足していたと言われれば「人力飛行機の性質につき何も理解していないと言わざるを得ない」と返す。パイプの太さを指摘されれば「パイプの太さのみに基づく原告の主張は、あまりに脆弱な立論であり、人力飛行機に対する原告の無知を露呈したものであると言わざるを得ない」と罵倒する。私には、いくら裁判に勝つためとはいえ、あの謝罪文を書き、病室で何も言えなかった彼らと同じ人格が書いたとは思えないのだ。

しかしよく考えてみると、彼らの主張文書で罵倒されているのは原告の川畑さんだけではない。主張文書によれば、彼ら自身は航空力学を「独学でかじった程度にすぎない」のであり、「KITCUTSは鳥人間に関し、何ら専門性を有する団体ではない」という。さらに、事故報告書代わりに書いた手紙に関しては、こう切り捨てた。

謝罪文である同書は、当然、原告の感情を慰謝すべく、あたかも被告古賀らに本件事故の責任の所在があるような記載となっているが、客観的には、事実と異なる箇所、何ら理論的に裏打ちされたものではない被告古賀の推測箇所及び誇張した箇所が多数存在するのである。
また、同書は、被告古賀の一個人としての意見であり、KITCUTSが検討協議のうえ出した結論ではない。そもそも、本件人力飛行機は残存していないのであるから、同書が、科学的データに基づいた分析ではないことは明らかであって、被告古賀自身が、結果論的に推測を述べたものにすぎないことは明らかである。そして、鳥人間の性質上、機体の改良点はコンテスト後の反省を踏まえればいくらでも見つかるものであることは自明である。
したがって、同書記載の内容は、事実とかけ離れたものであり、何らの信用性を有するものではない。

改めて確認しておくが、ここに書かれている「被告古賀」とは、この主張文書を出したチーム側の1人である。主張文書では、「被告古賀」は川畑さんの怒りを鎮めるために、仲間と相談もせずに事実とかけ離れたことを書き連ねたのであって、そんな謝罪文は信用に値しないと断言しているのだ。もし気持ちが昂って不正確なことを書いたのだと言いたいのだとしても、古賀氏をこれほどまで貶める必要があるとは思えない。

これらを併せて考えると、この主張文書では一貫していることがある。KITCUTSという学生チームのメンバーが、原告被告に関係なく「無知で論理性がない」と罵倒されているのである。そしてこの文章を書いた人は、川畑さんもチーム側も「人力飛行機を理解していない」「航空力学の知識がない」と言っているわけだから、自分は理解しているのだろう。だから、知識がないはずのチーム側が、原告の知識を罵倒するという矛盾が生じてしまっているのである。

透けて見える「隠れた顔」

私はこの事件について最も多くの話を聞いた相手は、原告の川畑さんだ。当然川畑さんは、被告であるチーム側に対して強い怒りを持っているから、彼らに対しては強い口調で非難する。擁護するつもりで話しているのではない。しかしそれを第三者の目線で聞いていると、チーム側の彼らの違う面ばかりが見えてきてしまったのだ。

特に強い印象を受けたのは、彼女がチーム側の学生達のことを「顧問の言いなりで自分では何も決められない人達」と怒っていたことだった。彼女曰く、設計もスケジュール管理も顧問の許可が必要で、パイロットとの打ち合わせでも結論を出せず顧問に確認を取っていたという。事故後のやり取りも全て顧問経由で、冒頭の手紙も顧問を経由してのものだったというのだ。

通常、鳥人間コンテストの学生チームは学生の自主的な活動で、設計やチーム運営は学生の手で行われる。大学側からの活動の支援の程度によって顧問の関与度合いは様々だが、大抵は金銭面などの支援であって、日常的に指示を出している例はあまり聞かない。非常に異様な感じを受けたが、川畑さんは私からそのことを指摘されるまであまり意識していなかった。鳥人間チームが顧問から指導されることに違和感を感じないほど、川畑さんの主観では日常的なことだったようだ。

しかしチーム側の主張文書には、顧問との関係は一切書かれていない。そもそも設計やチーム運営などがどのように決定されたのかというプロセス自体が一切書かれていない。書かれているのは、ただひたすら罵倒するように、原告主張も被告の過去の発言も切り捨てることだけだ。

では、顧問である平木准教授は、チームとの関係をどう主張しているのか。次回はその点を明らかにしていく。