転機を迎えた鳥人間コンテスト 後編

鳥人間コンテスト関係の過去連載も併せて読んで頂ければ幸いです。

前回の最後に書いた通り、このブログを読んで鳥人間コンテストの問題点を考えて下さった方々、あるいは逆にこの揉め事を遠くから俯瞰している方々からは「鳥人間コンテストに出なければいいじゃないか」「自分達で大会を開けばいいじゃないか」という意見をよく聞く。全く自然な正論だと思うのだが、そうなっていないことには事情があるのだ。そこでまず、鳥人間コンテストとは何であるか、改めて振り返ってみよう。

鳥人間コンテストの誕生と急成長

第1回の鳥人間コンテストは1977年。讀賣テレビ(以下、ytv)制作の視聴者参加型のチャレンジ番組「びっくり日本新記録」の1企画としてスタートした。ときどき「アマチュア大会にテレビ局が手を出した」といった意見を聞くが、鳥人間コンテストは最初からテレビ番組の企画として始まったものだ。特に、滑空機部門の「細長い主翼で超軽量の滑空機で10mのプラットフォームから離陸して、数百m飛行する」というスタイルは鳥人間コンテストの中で生まれて育ったもので、世界的に例のないオリジナルの航空機が誕生している。

鳥人間コンテストは番組として、テレビ局が舞台を用意し、参加者が工夫を凝らすことで進歩してきた。80年代には人力プロペラ機が登場、90年代には飛行距離がkm単位から10km単位へと飛躍的に伸びる。プラットホームから見える範囲で飛んでいた頃と比べ、主催者であるytvの負担が急増したことは想像に難くない。多数のモーターボートに救助の潜水士が乗り、ヘリコプターや中継設備などを琵琶湖全体に展開しなければならないのだから。

しかし、2009年に初めて、鳥人間コンテストの開催が中止される。前年の2008年にはリーマンショックが起きており、ytvが鳥人間コンテストの開催に必要な資金を用意できないことが原因だった。

鳥人間コンテストはytvがテレビ放送のビジネスモデルで資金を集め、あらゆる準備を行うイベントだ。安全を損なってまで開催することはできない、と言われれば参加者は納得するしかない。

大会中止と讀賣テレビの「引き締め」

鳥人間コンテストに参加する予定だった学生チームは動揺した。今まで、鳥人間コンテストがない場合を考えたことはなかったのだから。

よく「鳥人間チームはテレビに映りたくて出ているのだろう」という意見を聞くが、半分は当たっているが、半分は正しくない。彼らは自分の顔がテレビに映ることは期待していない。彼らが鳥人間コンテストに出場するのは、自分達が作った飛行機を飛ばす大イベントだからだ。またテレビに映ることで、翌年の新入生集めや大学側からのサポート(製作場所の確保など)などで有利になるのも事実だ。ちょうど高校野球における甲子園と同じようなものだと考えるとわかりやすいだろう。

一方、鳥人間コンテストが中止になった場合、彼らにとっては発表の場がなくなる。練習だけで試合に出られないスポーツ選手と同じで、目標を失ってしまう。これからの活動目標に何を据えるか、チーム内だけでなくチーム間、OBなどを交えた活発な議論が始まった。

そのために、鳥人間専用のSNSが開設された。当時はFacebookは今ほどメジャーでなく、mixiはTwitterでは所属チームなどを晒しての議論が憚られたため、専用SNSが選ばれたのである。その中で、自分達で鳥人間コンテストに代わる草大会を開催する可能性も探り始めていた。

しかし、ytvが鳥人間コンテスト関係者向け説明会を開いたことで、この流れは完全に絶たれてしまう。説明会でytvの担当者は、集まった鳥人間チームの代表者達にこう言い放ったのだ。

「君達はSNSとかいう団体を作っているようだが、我々はそのような団体を相手にするつもりはない」

もちろん、代表者達は驚いた。SNSの管理をしていた学生が「SNSは団体ではなくて…」と発言したが、ytvに遮られた。そしてytvは続けた。「我々は再来年も鳥人間コンテストを開催する。しかし、今年学生達が勝手に大会を開いて事故でも起きたら、来年の鳥人間コンテストが開催できなくなってしまう。だから、そのような大会に参加したチームは鳥人間コンテストには出さない」と。

SNSに対する発言も驚きだが、その後の論理は詭弁だ。2009年の鳥人間コンテストが開催できないのは学生チームのせいではない。それなのに、ytvは「2010年の鳥人間コンテストが開催されなかったら、学生チームのせいだ」と言っているのだから。そして、ytvの社員は鳥人間コンテストがなくても仕事はあるが、学生チームは学生時代の重要な1年間をどう過ごすかの瀬戸際なのに、ytvは何の代案も出さずに全否定してしまっている。

このあと、交流飛行会というものが開催される。交流飛行会は「大会を開催してはいけないとは言われたが、試験飛行をしてはいけないとは言われていない」という発想で、普段試験飛行をしている滑走路に数チームが集まって交流を図るものである。だから本格的な競技はなく、スポンサーも一般観覧もなかった。鳥人間コンテストと被らないようにしたイベントでは、鳥人間コンテストの代わりにならないのは当然だった。

もうひとつの事件があった。ある有力チームが2009年、自分達の手で琵琶湖を飛ぶ記録飛行を行ったのである。国際的なルールに則った記録飛行は日本大学が鳥人間コンテストより前から実施しており、近年でも日本大学チームやチームエアロセプシーなどが実施している。だから、この有力チームが鳥人間コンテストに代わる目標として記録飛行を行うのは自然なことだった。

しかし、記録飛行後にこのチームの代表者は、ytvから叱責される。事故があったらどうするつもりだ、鳥人間コンテストを潰すつもりなのかと責められ、反省文の提出を求められたという。

飼い慣らされた鳥人間

こういった動きは、いわゆるブラック企業と従業員の関係によく似ている。

  • 会社側の問題を「会社が潰れたらどうするつもりだ」とすり替えて、従業員に責任転嫁する
  • 従業員の団体交渉を認めず、団体に参加した者を差別する
  • 有力な従業員が転職や独立をしないよう圧力を掛ける

大学生は非常に真面目だ。与えられた課題を丁寧に、誠実にこなしていく。しかし課題そのものに問題がある場合でも、疑問を持たずに取り組むことを良しとしてしまう。

2009年の一連の出来事は、鳥人間チームの学生達に「ytvの言う通りにしなければ鳥人間コンテストがなくなる」「鳥人間コンテスト以外の活動をすれば鳥人間コンテストから追放される」という記憶を残してしまった。自分達が鳥人間コンテスト以外の活動をすれば、後輩もずっと鳥人間コンテストに出られなくなるとすれば、迂闊な活動はできない。たとえ落選して1年間出られなかったとしても、翌年の出場を目指して地道な活動をするしかないと考えるようになってしまったのである。

ちなみに私も、一部の鳥人間学生から「鳥人間コンテストを潰すつもりか」と非難されることがよくある。ytvの言うことをよく聞く、素直で勤勉な学生なのだろう。

変化していた讀賣テレビ

ところが実際には、ytvのこのような態度はごく短期間に過ぎなかった。それまでの「事故があれば鳥人間コンテストは打ち切りになる」というytvの主張は、2006年の事故を契機にしていると思われる。この事故はテレビでは放送されなかったが、おそらく社内的に大きな問題になったのだろう。ytvの鳥人間コンテスト制作スタッフは、学生達が安易に飛行して事故を起こさないよう、自分達の手で安全管理をしようと考えたのではないか。
ところが2010年に、九工大事故のことがパイロットからytvに伝えられると、鳥人間コンテスト制作スタッフに衝撃が走った。2006年の事故のあと2007年にも、大事故は起きていたのだ。しかもスタッフはそのことに気付いてもいなかったのだから、大失態である。パイロットと面会したスタッフは、裁判にでもなれば鳥人間コンテストは打ち切りになる、と蒼白になったという。

このあとytvの社内でどのような議論があったかはわからないが、結果的には以下のように態度を激変させる。まず、裁判でytvは「参加チームが自ら安全を確保する前提であって、ytvに安全を確認する責任はない」と主張しつつ、番組は打ち切られることなく2013年以降も継続した。一方、2013年には2009年とは別の学生チームが琵琶湖での記録飛行を計画したが、前回の例があるためytvに実施可否を相談した。するとytvは「鳥人間コンテスト以外の活動にytvは関係ない」と回答したというのである。

おそらくytv内部で、事故が起きてもytvが一切責任を負わないような運営が求められたのではないか。そのためにytvは、参加チームに助言することはあっても指示することはなくなったのだと考えると辻褄が合う。しかし、そのような方針転換をytvが公言するはずはない。公言すればそれは、事故があった2007年は方針転換前だと言っているようなものだからだ。

かくして、鳥人間チームの学生達は2009年の「記憶」を修正する情報が伝わりにくいまま、鳥人間コンテストに依存する状況が続いたのである。

変化の兆しが見える学生達

本来この状況は、ytvにとっても良くないはずである。鳥人間コンテストはytvが大会運営面での責任を持ち、フライトには参加チームが自分で責任を持つしかない。しかし参加チームが安全管理に関して意識が低いままでは、再発防止は覚束ない。そしてふたたび大事故が起きれば、鳥人間コンテストだけでなく人力飛行の継続すら危ぶまれる事態になるだろう。

昨年の裁判の報道以後、学生チームの中でも、責任を持ったチーム運営の必要性に気付いて考える学生が増えているようである。またチーム内だけでなく他チームとトラブル情報を共有し、運営に役立てるべきという意見も出ている。一部の大学では鳥人間チームに対して安全確保のためのルール整備や、外部有識者を入れるなどの努力を求め始めている。他のスポーツや学生活動と同じように競技団体を作り、そこで情報共有やルール作りをすれば、より客観的に安全性を高めることもできるだろう。

もし学生達が人力飛行の競技団体を作り、そこで情報共有や安全ルールの整備を図り、また鳥人間コンテスト以外の草大会を開催して自分達で「安全な大会運営」を模索するようになったら、ytvはそれを否定するだろうか。これまでの経緯を鑑みるに、静観することはあっても否定はしないのではないだろうか。

「昔、大人に怒られた」というトラウマでいつまでも委縮している必要はない。これから鳥人間コンテストを、あるいは人力飛行という競技を変えていくのは、鳥人間チーム自身だ。

転機を迎えた鳥人間コンテスト 前編

鳥人間コンテスト関係の過去連載も併せて読んで頂ければ幸いです。

この記事を書いている前日に、今年の第37回鳥人間コンテストがテレビ放送された。私がこれまで指摘してきた問題点が今年どう改善され、何が新たな課題になったかなどを検証してみよう。

面白さが広がったネット放送

まず最初に、良くなった点を挙げよう。それは、出場者や経験者などを積極的に起用した生中継や事前番組、テレビ放映と同時の「副音声放送」などをネットメディアで多数放送したことだ。鳥人間コンテストのテレビ放送では芸能人を使ったバラエティ演出などが多く、参加者の生の声を技術解説を聞いたほうが面白いのではないかという声は、参加者の間では永年上がっていた。それをついに、ネットで実現したということだ。

この背景には、読売テレビ内部の意見相違がある。鳥人間コンテストの大会運営を行い現場で番組を制作しているスタッフは、毎年多くのチームと接して大会の現場を目の当たりにしており、チームの活動を生で伝えることこそが面白いと知っている。だからこそ毎年、鳥人間コンテストを開催しているとも言えるだろう。一方、番組の内容を決定する権限は、テレビ局の編成部門である。編成部門はこういった「素人の活動」で視聴率が取れるか不安なので、芸能人を多数入れたり、バラエティ演出を加えたりするよう要求してきた。

今回もテレビ放送は芸能人多用、バラエティ演出多用ではあったが、並行してネット番組を制作したことは鳥人間コンテストの面白さを大きく広げる試みだった。今後にも期待したい。

タイムトライアル部門は無事成功

前回、危険性を指摘したタイムトライアル部門は、結果としては事故や危険な状況もなく、無事に終了した。

ルールの変更はなかったが、衝突すると危険なテトラポッド付近には、紅白の旗が立てられた。パイロットの目からよく見えるようにという配慮がされたわけだ。

2014birdman_1

ただ、岸に向かって飛ぶという根本的な危険性は変わっていない。全力で漕いでいるパイロットが常に前方に注意できるか、操縦装置が故障しないか、といったリスクを考えると、ゴールのすぐ近くに危険な護岸がある状況は、事故を起こしやすいことは確かだ。今年大丈夫だったからと言って安心せず、来年はさらなる対策を講じて欲しい。

危険な状況を編集で誤魔化したディスタンス部門

ここからが本題である。番組でも放送されたとおり強風で打ち切りになったディスタンス部門は、鳥人間コンテストの転機とも言える大きな変化と、問題点を詰め込んだような結果になった。

まず、テレビで放送された展開を振り返ってみよう。

  • 大阪大学飛行機制作研究会albatross 記録659.49m
  • 豊田人力飛行機研究会with滝っ子 記録620.73m
  • 東北大学Windnauts 記録1849.41m
  • 広島大学工学部HUES 記録216.62m
  • 強風と豪雨で大会中断
  • 横浜国立大学横浜AEROSPACE 棄権
  • 芝浦工大Team Birdman Trial 棄権
  • 日本大学理工学部航空研究会 棄権
  • 日大の決断の2時間後、大会中止

しかし、この放送順序は編集で入れ替えられたものである。実際の大会の経過は以下の通りだ。

  • 東北大学Windnauts 記録1849.41m
  • 大阪大学飛行機制作研究会albatross 記録659.49m
  • 大阪工大人力飛行機プロジェクト 記録1406.17m
  • 豊田人力飛行機研究会with滝っ子 記録620.73m
  • 強風と豪雨で大会中断
  • 横浜国立大学横浜AEROSPACE、地上での強風で大破、棄権
  • 芝浦工大Team Birdman Trial 棄権
  • 日本大学理工学部航空研究会 棄権
  • 中断から4時間半後、大会再開
  • 広島大学工学部HUES 記録216.62m
  • 大会中止

編集で豊田の次になっていた東北大学は、本当は1番機である。テレビ放送をよく聞くと離陸の瞬間、アナウンサーが「さあ、重力との格闘技の始まりです」と言っている。これは最初の離陸だからだ。また映像からも、早朝の太陽の低い光線状態であることがわかる。

阪大は強風の中、安定を取るのが難しい無尾翼機で大健闘。大工大は1枚プロペラという特徴的な機体で見事な記録を出したが、放送ではカットされてしまった。技術的に特徴的なものを成功させたり、飛行記録が良かったりしても、番組展開上の理由なのか放送されないことは毎年あり、そのチームのメンバーは存在を否定されたような暗澹たる気持ちになる。

その頃、対岸から寒冷前線が接近し、琵琶湖の上を黒い雲が覆い始めていた。天候急変が迫っていることは明らかだった。

左から吹く風に流されるように右へ進路をとった豊田機は、ついに到達した寒冷前線と交差したところで、突然右からに変わった強風に翻弄される。寒冷前線は急激な強風と雨を伴う、というのは小学校の理科で習う知識だが、まさに教科書どおりの展開だった。

気象庁の記録によると、豊田機が飛ぶ前の7:30頃は南南西の風、平均風速3.5m、瞬間最大風速5.2mと、この時点でも人力飛行機にはかなり強い。ところが飛行後の8:00は北の風、平均風速5.6m、瞬間最大風速は10.2mに達している。湖畔では突然、旗が一斉に逆を向き、バタバタと強い音を立て始めた。その直後、飛行中の豊田機は猛烈な風に主翼をへし折られ、空中分解したのだ。

IMG_20140905_002156テレビに映った飛行経路は、恐ろしいものだ。南からの風に流されて北へ向かっていた機体が、突然北風に押し戻され、西へ進んだあと東の岸へと押し込まれていくのだ。むしろ、主翼が折れたために陸上墜落せずに済んだとすら言えるかもしれない。

IMG_20140905_002423強風で右へ押し流される機体の横には、衝突防止の旗が並んで見える。併走するモーターボートは、着水を指示する赤旗を振り始めたが、着水より早く機体が空中分解した。

2004年の台風の大会の解説で述べた通り、空を飛ぶときは着陸(鳥人間コンテストでは着水)までのことを考えるのが当然だ。寒冷前線が接近している場合は飛んではいけない、というのはスカイスポーツの教科書に載っている基本中の基本で、通常はインストラクターから着陸指示が出る。しかし鳥人間コンテストは豊田機が空中分解し、湖畔でもテントが飛ばされかねないほどの強風と大粒の雨に襲われてどうにもならなくなり、ようやく中断したのである。大会本部では天気予報会社、ウェザーニューズの社員が気象情報を提供していたはずだが、どういう判断がされていたのだろうか。

プラットホーム上にいた機体が次々に地上に下ろされたが、実はこのとき、広島大学工学部HUESはプラットホームに上がってすらいない。テレビ放送で広大の飛行後に強風が吹いたことになっているのは、編集である。テレビ放映ではこのシーンでうっかり地上にいる広大機を映している。

DSC_0035広島大の着水シーンのわずか数秒後、無傷の機体に広島大学工学部の文字が見える。

ディスタンス部門の人力飛行機の飛行速度は、秒速8m弱が一般的だ。しかしこのときの風は平均で7m、最大10mにも達した。パイロットが乗っていなければ、飛行機がその場で離陸してしまうほどの風である。そして横浜国大機は猛烈な風の中、地上で主翼を破損してしまった。飛行不能、無念の棄権だ。

(追記)横浜国大機は風の力で折れたのかはわからない、という複数のご連絡を頂きましたので、表記を修正しました。

大会本部からは各チームに、12時までの競技中断が伝えられる。そして、「各チームの判断で棄権してよい」という、前代未聞の通知がなされたのである。

飛ばなくても良い、飛んでも良い

鳥人間コンテストには「大会実行委員会が棄権に相当する理由があると認めた場合以外、自らの申請による棄権をすることができない」というルールがある。つまり大会本部は参加チームに、「棄権に相当する理由がある状況だ」と、自分から言い出したことになる。
讀賣テレビは鳥人間裁判で、安全上の理由での棄権を禁止することはない、と主張している。今回の通知は、この裁判での主張に沿うものだ。その上で大会を中止しないということは、チームの判断で飛んでも良いということである。

安全上の懸念があるから棄権しても良いが飛んでも良い、ということは、チームの判断で飛行した場合は、パイロットが負傷してもそれはチームの責任であって讀賣テレビの責任ではない、と主張できるだろう。もちろん、うまく飛べばテレビ番組で使えるし、失敗すれば2013年の危険飛行のように放送しない。讀賣テレビは得な立場だ。

そんな中での各チームの苦悩は、放送された日本大学理工学部航空研究会の苦悩の場面から理解できるだろう。人力飛行機を志すものにとって、鳥人間コンテストは他に比べるもののない最大の舞台なのだ。飛ばせるものなら飛ばしたい。飛べるものなら飛びたい。前線が接近した不安定な気象条件では、たとえ離陸可能な風でも離陸後に突風を受けるかもしれない。豊田の空中分解を見た直後なのだ。

テレビ放映では、飛行機を捨てたくない、もったいないという日大生の苦悩の声が拾われていた。しかし日大のブログでは、パイロットの安全上の理由を第一に挙げている。昨年の鳥人間裁判以来、どのチームもパイロットの安全は最重要テーマになっているのだ。パイロットの安全に関する議論はテレビ放映ではカットされた。讀賣テレビが「危険な状況で学生に判断を迫った」という事実を視聴者に見せたくなかったのだろうか。

2004年の台風での中断時間は記録していないのでわからなかったが、今回の競技中断は8:00から12:30まで、4時間半に及んだ。この間に日大と芝浦工大が棄権の決断をした。芝浦工大は2人乗りの大型機で、強風の中で機体を保持することも難しく、競技再開しても危険だと判断したのだろう。他の多くのチームも主翼の一部を取り外すなどして強風に耐えていた。

そして12:30、テレビ放映では日大の決断のあとに大会中止になったかのように編集されていたが、実際に大会本部が通知したのは競技再開だったのである。

飛ばない決断、飛ぶ決断

大会本部は、飛行の準備ができたチームから飛行して良い、と通知した。鳥人間コンテストは通常、機体の並び順を入れ替えるのが難しいため、チームの都合による順序変更はできない。しかし、今は各チームが主翼を分解してしまっており、再組み立てを終えるまで飛ぶことができないからだ。
この時点で棄権せず残っていたチームは京都大学、方正ドリームプロジェクトwith立命館大学、広島大学、名古屋工業大学、東京工業大学の5チーム。このうちプラットホームに上がったのは広島大学HUESだけだった。

(訂正)方正ドリームプロジェクトwith立命館大学は棄権していたとのご連絡を頂きました。

広島大学のフライトは結果的に、非常に危険なものだった。離陸と同時に大きく煽られ、アップダウンを繰り返した。鳥人間コンテストでは見たこともないような三角に立った波を、モーターボートが乗り越えて行く。216m飛んで着水した機体は波に揉まれていた。その様子はテレビでもはっきりと見て取れる。

広島大学HUESの「飛ぶ決断」を非難するつもりはない。決断した影には、当事者にしかわからない苦悩があったのだろう。結果としてパイロットが負傷することなく、フライトを終えることができて良かったと思う。しかし、ここで重大事故が起きていたらどうなっていただろうか。おそらく讀賣テレビはその模様を放送しないだろうし、飛ぶ決断をしたのは広島大学HUESで、棄権しても良いと言ったのだから讀賣テレビの責任ではないと主張するだろう。
一方、飛べたら飛べたでテレビ放送は、日大が棄権を決断する前に広島大学HUESが飛んでいたような編集をしている。危険な風、日大は棄権。そこで広大が飛んでしまっては「危険なことをやっているのか」と批判される可能性があるからではないか。

大会中止が決定されたのは、このフライトの直後である。棄権を決定していない他のチームは、風が好転するのを待って飛行を保留していた。しかし、広大のフライトを観た誰もが、もう飛ばすことはできないと確信したのである。5時間に渡って強風に耐えた各チームは、こんどは強風下で機体を分解し収納するという困難な作業に直面することになったが、それはテレビには映らない話だ。

大会本部が参加チームに、明示的に棄権の権利を与えたのは大きな進歩だったと言える。しかし、参加チームのリスクで飛ぶことを認め、うまくいけば編集で話を変えて放送してしまう。ずいぶんとずるい商売ではないか。

総括:鳥人間コンテストの責任は、明確に参加チームに位置付けられた

昨年からの裁判で、讀賣テレビはこう主張している。

「鳥人間コンテスト参加チームはトップアマチュアであり、安全管理の能力を持っているのだから、讀賣テレビはチームに対して責任を負わない」

しかし、この主張の文書をある優勝候補クラスの鳥人間チーム現役メンバーに見せたところ、苦笑してこう言った。

「トップアマチュアって僕達のことですか?ただの大学2年生ですよ」

(追記)「ただの」という表現が責任逃れという感想がありましたが、このインタビューでのニュアンスは「自分達は若輩者なのに、現実より高く持ち上げすぎだ」という感じでした。彼は自分達の責任を強く感じているからこそ、私との情報交換を希望してくれたのです。参加者全体の名誉のために追記しておきます。

大学サークルの鳥人間チームは、大会が終わると3年生が引退するというパターンが多い。大会終了後にチームを引き継ぐのは2年生、つまり大学に入って1年4ヶ月の学生だ。彼らがそれから1年掛けて設計、製作、試験飛行などを経て鳥人間コンテストに出る。それで数十kmも飛んだり高速でターンに成功したりするのは、奇跡と言って良い。一方で航空工学の習得は彼らの能力の限界を極めるものだし、時間は全く足りない。気象の知識や安全工学などを学ぶ余裕は非常に少ない。
そんな彼らの熱い戦いは鳥人間コンテストの醍醐味と言えるが、それを「トップアマチュア」と呼んで責任放棄し、一方で「プロフェッショナルのテレビ局」としてビジネスをするというのは、かなり一方的な状況だ。

これから鳥人間コンテスト参加者は、そういう讀賣テレビを相手に自らの責任と判断で鳥人間コンテストに出場するという、今までも本当は当然だったことをより明確に求められるようになった。讀賣テレビと対等な立場で交渉し、必要があれば毅然として意見を言わなければ、自分達の安全は守られないし、誰も責任は負ってくれない。既にいくつかの大学では、学生による鳥人間チーム運営の安全性を問題にする声が上がっており、今後はチーム側での安全教育などが強く求められていくだろう。

最後に、鳥人間コンテストの問題に関心を持った方からはよくこんな素朴な疑問を聞く。
「どうして鳥人間コンテストをボイコットして、別の大会を作らないの?」
それには明確な理由がある。その解説は後編としたい。