鳥人間コンテストの安全性を考える 第3回 チキンレースを続けるタイムトライアル部門

鳥人間コンテスト関係の過去連載も併せて読んで頂ければ幸いです。

このブログでは鳥人間コンテストのいろいろな問題点を指摘してきたが、鳥人間コンテストは決して安全に無頓着なスタッフで運営されているわけでもなければ、レベルの低いチームばかりが出場しているわけでもない。現場には経験豊富なスタッフが大勢いて、万全の準備を整えたチームが飛ばしているのが大半だ。しかし、それでも予想外の事故の可能性は否定できない。そこで、事故(アクシデント)に至らないトラブル(インシデント)を糧として改善していくことが必要なわけだが、2013年に起きた「重大インシデント」の教訓は2014年に活かされていない。それは、タイムトライアル部門のインシデントだ。

タイムトライアル部門とは

鳥人間コンテストは、グライダーで滑空する「滑空機部門」と、パイロットの力でプロペラを回して飛行する「人力プロペラ機部門」が存在する。さらに人力プロペラ機部門には、飛行距離を競う「ディスタンス部門」と、飛行速度を競う「タイムトライアル部門」(以下、TT部門)がある。元からあったディスタンス部門が琵琶湖横断に成功し、ある意味マンネリ化が懸念された中で新設されたTT部門は、人力飛行機が会場の目の前をダイナミックに飛行する姿や、技術的な面白さから、一躍鳥人間コンテストの花形となった。以下に2014年のルールブックを示すが、2013年も全く同じである。

タイムトライアルのルール

この図だと、現地の状況が分かりにくいだろう。そこで、以下に衛星写真に位置をプロットしたものを示す。

鳥コン会場2

大会本部や応援席は、テレビ放映で応援団が喝采を挙げたり、芸能人やアナウンサーが進行をしている場所だ。その目の前に、離陸台であるプラットホームがある。プラットホームを離陸した人力飛行機は150m先のスタートラインを通過。このとき会場内にホーンが鳴り響き、飛行時間の計測が開始される。折り返しラインを通過して180度旋回し、もう一度折り返しラインを通過。最後にゴールラインを通過するともう一度ホーンがなり、この間の時間を計測して最速のチームが優勝となる。

TT部門の見どころは、高速性能と旋回性能の両立だ。飛行機は大きな翼を使ってゆっくりと飛ぶことで飛行に必要なパワーを抑えており、高速飛行しようとすればパワー不足で途中墜落する可能性がある。また旋回はそれ自体がパワーを必要とする。自動車でもスキーでもそうだが、小さく旋回しようとすればそれだけ速度が落ちるため、飛行機は高度が下がってしまう。ただまっすぐに飛び続けるディスタンス部門と比べてTT部門は「玄人受け」とも言われる複雑さがある。

テトラポッド激突まで数m

ここで2013年のTT部門で起きたインシデントを解説する。飛行したチームを、Aチームとしよう。

Aチーム機はプラットホームを離陸すると、速度と高度を保って折り返しラインを通過。右へ旋回したが、旋回量がやや足りなかった。Aチーム機はプラットホーム北側のテトラポッド護岸にまっすぐに向かっていたのだ。
離陸がら2分12秒後、機体に先行して走行する大会本部のモーターボートから、黄色い旗が振られた。飛行禁止区域に接近していることを知らせ、着水を指示する旗だ。このときの高度は約4m。パイロットは直ちに操縦桿を押し込んで機首下げ操作を行う。しかし急降下で速度が増加した機体は揚力が増加してしまう。2分16秒、高度1mで機体降下がストップ。2分19秒、再度機体が降下し車輪が着水するが速度は落ちず。このときゴールのホーンが鳴る。2分22秒、ようやくコックピットが着水して機体停止。コックピットは辛うじて湖面で停止したものの、左主翼はテトラポッド上に被さった。わずか10秒間の出来事であった。

危険フライト
飛行経路図。右旋回した後、会場北側のゴールラインを超えて、テトラポッド直前で着水した。


1枚目、黄色の旗が振られた瞬間。2枚目、車輪が着水するも速度が上がり降下できない。3枚目、ようやくコックピットが着水。4枚目、つんのめって停止した機体の主翼はテトラポッドに被さっていた。チーム名の表記は画像加工で消している。

着水位置はコンクリート護岸にテトラポッドが並べられており、過去に他チームが激突して重傷事故が発生したのとほぼ同じ場所である。さらに高速のTT機では重傷は間違いなく、死亡していてもおかしくない。あと1秒、降下が遅れていたら激突していただろう。Aチームは危険飛行とされ、失格となった。そして放送されたテレビ番組では、Aチームのフライトはまるまるカットされた。視聴者はAチームのインシデントどころか、Aチームが出場していたことすら知らないはずだ。

鳥人間は急に止まれない

このインシデントは鳥人間経験者を震撼させた。これまでも、操縦装置が故障したり、風に流された機体が陸上に墜落する事故がなかったわけではない。しかし今回は、そもそも岸へ向かって戻ってくることを目的としたTT部門で、パイロット自身の操縦で護岸に激突しそうになったのだ。大会後、当該チームだけでなく多くのチームのOBや現役が写真や動画、GPSログデータなどを持ち寄り、問題のフライトだけでなく全チームのフライトを比較して調査が行われた。

その結果、まずパイロットが適切な降下操作をしていたにも関わらず、着水が護岸ギリギリになってしまったことがわかった。動画を分析すると、大会本部が危険を察知して着水指示を出すとほぼ同時にパイロットは降下操作を開始しているが、そこからわずか10秒で機体は護岸寸前まで飛行してしまった。

Aチーム機の設計速度は9.5m/s、急降下時には最大10.3m/s程度まで出るということだった。おそらくパイロットの降下操作により速度は10m/sを超えていただろう。従って、着水指示から着水までの飛行距離は100mほどだ。
一方、この機体の滑空比は50程度だという。滑空比50とは、飛行機が無動力で飛行したとき、高度が1m下がる間に50m飛行できるということだ。一般的な旅客機の滑空比は20程度であり、人力飛行機は非常に高い滑空比を実現している。
着水指示が出たときの高度は目測で4m程度なので、普通に滑空すれば200mも飛行してしまう。これを強引に機首下げし、湖面に接触させることで何とか機体を停止させたのだ。

つまり、本来は高度4mであれば護岸から200m以上の場所で着水を決断しなければ激突してしまう。しかし、ゴール通過のホーンが鳴ったのは、着水の3秒前。ゴールラインは護岸からわずか30mほどの場所にあったことになる。先程の飛行経路図を見てほしい。会場北側ではゴールラインと護岸が交差しており、ゴールを目指して飛ぶと護岸に接近してしまうのである。

選べない旋回方向

では、そもそも北へ向かって右旋回したこと自体に問題があるのではないか、と考えるのが自然だろう。ところがそうもいかないのだ。

人力飛行機は、エンジンと比べれば圧倒的に非力な人間の力だけで飛ぶ。それだけでも大変なことだが、旋回は直進飛行より多くのパワーを必要とする。パワーが不足すれば速度が落ち、高度が下がって墜落してしまう。
一方、飛行機が追い風に入ると、対気速度が低下するので揚力が減り、高度が下がってしまう。そこからパワーを上げて速度を出せば高度を維持できるが、人力飛行機はパワーの余裕がないのだ。
TT部門では、この旋回が鍵を握る。風は右から吹いているのか、左から吹いているのか。右から吹いているのに左旋回をすれば、ただでさえパワーを要する旋回中にさらに高度低下を招き、墜落してしまう。右から風が吹いているなら、右旋回するしかないのだ。

2013年のTT部門でゴール成功した3チームと失格したAチームのフライトは、右旋回2チーム、左旋回2チームだった。右旋回してゴールに成功したチームは、プラットホームと大会本部の間に滑り込むように着水した。左旋回したチームのうち1チームはプラットホームの近くに着水したが、1チームはAチームの飛行経路を左右反転したようなコースを飛んでいた。Aチームの飛行経路は、特別なものではなかったのである。

パイロットから見えない危険

では、今度はパイロットが危険を察知し、プラットホーム側へ向かって飛ぶべきだったという考えも出てくるだろう。しかし、パイロットに直接聞いたところ、それも容易ではないことがわかった。

まずパイロットは、自分が護岸に向かって飛んでいることを充分に認識できていなかった。湖面には目印になるものが何もなく、高度数mで飛行する人力飛行機のパイロットから見れば、岸は横一線で立体感に乏しい。距離を掴みにくいのだ。

また、TTのパイロットは旋回終了後、高度が低下した機体を何とかしてゴールラインまで飛ばさなければならない。これには、鍛え上げたパワーを振り絞って全力を出す必要がある。陸上競技の選手がゴールラインに向かって全力で走るのと同じだ。そういうときには周囲への注意力が低下するのも仕方がない。その一方で、ゴールテープが張られた陸上競技と違い、選手の目にはゴールラインの位置は見えない。

選手にゴールを知らせるのは、離陸台であるプラットホームに設置された回転灯と、ホーンの音だ。パイロットはこの回転灯がいつ点くかと目を向けながら、必死でペダルを漕いでいた。飛行コースから見ると、プラットホームは常に右側に見えている。動画を見ても、パイロットの顔が右を向いている時間が長かった。回転灯の存在が、パイロットの注意力をプラットホームに向けてしまったのである。それでも、ボート上の旗で出された着水指示に即座に反応できたのは幸いだった。

タイムトライアル部門はチキンレース

飛行機は空中で急激に速度を落とすことができない。そして、高度を下げれば速度が上がってしまうので、急降下するのも難しい。一方で、人力飛行機は速度や高度を回復することも難しいので、あまり高度を下げて飛べば不意に着水してしまう危険性も高まる。だからパイロットとしては、ある程度の高度を維持して飛びたいものだ。

しかし、タイムトライアル部門は岸に向かって折り返す競技だ。急に止まれない飛行機で岸に向かって飛び、ゴールしたら着水する。これは崖に向かって全力で突っ走る、チキンレースと同じと言わざるを得ない。

安全性を向上するには、パイロットが北側護岸にとくに注意するよう指示をすることも必要だが、根本的にはこのように岸に近接した場所にゴールラインを設定しないことが求められる。しかし、讀賣テレビはA大学チームを失格として厳重注意し再発防止を要求しただけで、TT部門のルールや会場配置を変更することはしなかった。

参加チームの責任に終始

鳥人間コンテストでは、讀賣テレビが参加チームを集めて安全講習会を開いており、このことが讀賣テレビ側が安全に配慮しているという根拠のひとつになっている。しかし、その内容は過去の危険事例を示して「このような危険な行為をしないように」という指示である。讀賣テレビ側は充分な安全策を講じているのだから、事故を起こさないためには参加チームが注意すれば良い、という言い方だ。

一方で、参加チームからは毎年、讀賣テレビ側の運営の問題点が指摘されており、参加チーム間の情報交換で話題になる。しかし讀賣テレビ側に、それを聞く姿勢はない。ルールも設備も讀賣テレビが一方的に決定するものであって、参加チームが口を挟むのは許さない。

ただ、鳥人間経験者の意見を聞くことがないわけではない。鳥人間コンテストには複数の鳥人間経験者がアドバイザーなどの立場で参加しており、大会当日だけでなく準備段階から会議に参加している。しかし、そういった方々からも「こちらの要求を聞かない」「危険だと指摘した問題がそのままになっている」という声を聞く。讀賣テレビはテレビ番組の制作費の範囲でしか大会運営費を掛けられないし、番組演出を犠牲にしてまで大会を変更することには消極的だ。

TT部門の安全性を高めるのに最も確実な方法は、ゴールラインを岸から離したり、そもそも折り返さずに沖合にゴールラインを設定することだ。しかしそれでは、応援団に向かって戻ってくるというTTの「テレビ的な面白さ」がなくなってしまう。大会はあくまでもテレビ番組のためにあり、事故を防ぐのは参加チームの役割なのだ。

2014年大会の成功を祈って

本ブログを書いている2014年7月24日の2日後、鳥人間コンテストが開催される。

私は学生時代を鳥人間コンテストとともに過ごした。大学生が自分達だけで飛行機を設計製作し、試験飛行をはじめとする準備を行い、また大勢のメンバーを統率して大会に出場するというのは、非常に稀有な経験の場だ。このような大会を30年以上も続けてきた関係者には深く感謝しているし、今後もずっと続いてほしいと思う。

讀賣テレビの鳥人間コンテスト担当スタッフの方々が、この上ない情熱を注いでいることはよく知っている。そして、過去の事故に深く心を痛め、これからの大会を安全に運営して続けていきたいと考えていることを。

しかし悲しいことに、彼らもまたサラリーマンであり、企業論理の中で鳥人間コンテストを運営しなければならない。両手両足を縛られながら何とかして鳥人間コンテストを成功させようとしている。

鳥人間コンテストの大会運営側と参加チーム、その全員が高いモラルを持って挑むなら、このような状況でも鳥人間コンテストを成功させることはきっとできるだろう。そして、来年以降の大会をさらに良いものにすることも、きっとできるだろう。

2014年、鳥人間コンテストに出場するパイロットの皆さん、必ず無事に帰ってきてください。そして参加する全ての皆さんにとって、かけがえのないフライトになることを祈っています。

鳥人間コンテストの安全性を考える 第2回 「辞退できないルール」から見えた読売テレビの本音

鳥人間コンテスト関係の過去連載も併せて読んで頂ければ幸いです。

鳥人間コンテストの事故が話題になった際、鳥人間コンテストには「参加者が出場を辞退できないルールがある」ということを紹介した。このルールはよほど衝撃的だったのか、ネット上では「本当にそんなルールがあるのか」という疑問さえ上がった。

結論から言えば、このルールは実在するし、2014年のルールブックにも引き続き存在していることから、讀賣テレビは前年からの裁判にも関わらず「このルールには問題がない」と考えていることがわかる。ちなみに、現在も入手可能な「鳥人間コンテスト30周年記念DVD BOX」に付属のリーフレットには、2006年の第30回大会のルールが記載されているので、誰でも確認可能だ。内容は以下の通りである。

7 棄権
a 出場エントリーを済ませたチームは、大会実行委員会が棄権に相当する理由があると認めた場合以外、自らの申請による棄権をすることができない。これに反し自ら棄権をしたチームには次回以降の出場を停止する場合がある。
b 機体の製作、改修、整備等チームの都合で生じた時間的遅延により、当該チームの属する部門・クラスのフライト進行が著しく妨げられることが予想される場合、棄権とみなし大会中いかなるフライトも認めない。

このような条文があると、参加者は大会実行委員会と意見が割れた場合に、自由意思で飛行の可否を決断できないのではないか。この疑問に対して讀賣テレビは、裁判の準備書面に堂々と見解を示してきたのである。

「無責任な棄権を防止するために」

この条項が追加されたのは2005年の大会であったため、鳥人間コンテスト参加者達の間では「2004年にチームエアロセプシーが棄権したのが理由だろう」と噂されていた。読売テレビはその噂を肯定する形で、制定の理由を詳細に説明した。以下、裁判の準備書面から引用する。

第1回準備書面
第29回大会のルールブックにおいて本条項が追加された理由は、その前年である2004年実施の第28回大会において、有力チームにおいて、飛行直前に突如合理的な理由なく機体の組み立てを拒み、飛行を拒否したことにより、大会運営や番組製作に大きな支障を生じたため、以降、そのような参加チーム側の一方的な都合による無責任な棄権を可及的に防止する意図に基づくものである。
第2回準備書面
被告讀賣テレビが主張した「有力チーム」が「エアロセプシー」であることは原告の主張する通りである。
しかしながら、エアロセプシーが同大会において棄権したのは、当日の天候が雨であったところ、同チームにおいては、第28回鳥人間コンテストの開催以前に「雨天時においては好記録が狙えないため、同方針に従い棄権したものであって、決して安全上の理由から棄権したものではない。
(中略)
しかしながら、あくまでも大会主催者である被告讀賣テレビとしては、あくまでも1チームの内部方針に過ぎない事情より、大会運営全体が左右されてしまうことは、大会の運営に照らして好ましいことではなく、それ故にエアロセプシーに対してフライトを説得したのである。それにも拘らずエアロセプシーはフライトを拒否し続けたため、被告讀賣テレビとしては、やむを得ず、その翌年の大会から上記第7条a項の規定を設けることとしたのである。

この書面を読んで、私は驚いた。私はその2004年大会に、人力プロペラ機部門に社会人チームで出場しており、どのような状況だったかよく覚えているからだ。そこで、私が覚えているところの2004年の鳥人間コンテストがどんな状況だったか、ご紹介しよう。

ドキュメント:台風と戦った2004年の鳥人間コンテスト

2004年の鳥人間コンテスト人力プロペラ機部門は、8月1日に開催された。当日朝9時の天気図を示す。

2004天気図7月25日に発生した台風10号は伊豆諸島付近からゆっくりと西へ進み、7月31日16時には高知県へ上陸した。瀬戸内海へ抜けた台風10号は21時半に山口県へ再上陸。翌8月1日には日本海を北東へ進むと予想されていた。既に7月31日の滑空機部門から気象条件は荒れ模様であり、1日の朝にはエアロセプシーが棄権を申し出たため讀賣テレビ(以下、ytv)が説得中だという噂が流れていた。

これを聞いたとき、当時の私が思ったのは「エアロセプシーは、ずるいな」だった。こんな気象条件では誰だって飛ばしたくない。しかし、学生チーム達は棄権などすれば、ytvの怒りを買って翌年から大会へ出られないだろう。仕方がない、我々はytvに最後まで付き合おうじゃないか。

私の記憶には、あまり雨の印象は残っていない。とにかく覚えているのは、強まる一方の風のことだ。フライトするチームはパタパタとバランスを崩して落ちていく。そんな中で唯一、気を吐いたのはA大学チームだった。飛び立った人力飛行機の後ろ姿を湖畔から見ていると、機体は上下左右に大きく揺れていた。風がひどく不安定で、揉まれているのだ。その後姿を見ていた他チームのパイロットは「A大のパイロットはすげえな。自分はこんな風で飛べるだろうか」とつぶやいた。

※具体的な大学名を出されると反発する関係者も少なくないので、伏せています。

しかし、しばらくすると離陸すら困難な風が吹き始めた(それまでも離陸可能と言うのは憚られるが)。ytvは大会の中断を発表する。中止ではなく、中断だ。要するに待機命令だ。

我々のチームは、湖畔の砂浜にいた。幅30mの主翼は正面から吹き寄せる風に煽られ、危険を感じるほどだった。パイロットが乗っていない人力飛行機は40kg前後の重さしかなく、強風で飛んでしまいかねないのだ。しかし、学生チーム達の目の前で、ytvが中止を決定する前に機体を解体すれば、ytvと揉めるだろう。

悩んだ末、我々は主翼の両端5mずつを分解して風に耐えることにした。今回が初めての参加で、夢だったフライトが不可能になったと悟った女性メンバーが涙を流し始めると、カメラがアップで撮り始めた。その頃、隣ではB大学チームが主翼に張られたフィルムをカッターで切っていた。もはや飛ぶことは諦めた。あとはytvが諦めてくれるまで耐えるだけだ。

しかし、地上で耐えていた我々はまだ、ましな方だった。プラットホーム上では次に飛行する予定のC大学チームが、台風に翻弄されていた。巨大な主翼はプラットホームから外へ大きくはみ出す。強風で翼は大きく揺さぶられるし、それを保持している人が転落する可能性もあるだろうが、プラットホームから地上へ戻ることも許されず、ひたすら耐え続けた。

残念ながら、このときの写真などは私の手元にはない。写真を撮る余裕などなかったのだ。写真があれば時刻もわかるだろうが、それもわからない。どれほどの時間、台風に耐えたのかはわからないが、自分の記憶では10分とかいう長さではなく、数時間といった長さだ。ようやく大会中止が伝えられ、機体の解体が始まると、さらに信じられないニュースが飛び込んできた。

それは、大会を不成立とし、記録なしというものだった。その時点でのトップは、1km弱を飛んだA大学。初優勝が消えたことに落胆するA大学を見て激怒したのは、飛行を迎えることなく台風に耐えていた優勝候補チーム、D大学の設計リーダーだった。彼を中心に各大学の代表者達数名が大会本部へ詰め掛け、大会成立を訴えた。飛んだ者にとっても飛べなかった者にとっても、台風と戦った鳥人間コンテストを「なかったことにされる」のは耐えがたい屈辱だったのである。

結局、大会は不成立で変わらず、A大学チームをはじめとする上位チームには賞金も支払われなかったが、飛んだチームのフライトは大会公式記録として残ることになった。ただ、テレビ放送では台風に耐えるシーンは丸々カットされ、最後のチームが飛んだ直後に大会が中止されたように編集されていた。あの数時間、ytvに付き合って台風に耐え続けた鳥人間達のドラマは、なかったことにされたのだ。

台風接近は「安全上の理由ではない」

このように、2004年の鳥人間コンテストを「安全上の問題はなかった」と言い切るのは非常に無理がある。

エアロセプシーは「雨だから飛ばない」と言ったのだから安全上の理由ではない、というのがytvの主張である。しかし、理由が雨であっても風であっても、「好記録が狙えない」というのは、要は短距離で落ちるということだ。飛ばすのに不適だと言っているのである。

実際、2004年は台風による強風下であっても、大会中止の決定に時間を要した。しかもプラットホーム上のチームは一時退避することもできず、中止が決定してから-つまり、風が強まってから危険な撤収作業を開始したのである。この経緯を知っている鳥人間関係者は、ytvは「多少無理でもフライトさせたがる」という印象を持っている。そんな状況で「我々は危険でも飛べとは言ってませんよ。だから、怪我をしたら自己責任ですよ」というのは、かなりブラックなやり方ではないだろうか。

このことから導かれる結論は、鳥人間コンテスト参加チームはytvの立場を考慮して遠回しな言い方をするのではなく、飛ばしたくなければはっきりと「危険だから」と断言するべきだ、ということだ。危険だと言っても飛行辞退を認めなければytvの立場が危うくなるので、辞退は認められるだろう。

おうちに帰るまでがフライト

さて、ここまで見てわかるように、ytvが判断しているのは「鳥人間コンテスト会場での安全性」である。しかし人力プロペラ機部門では、飛行機は琵琶湖の対岸まで飛んで戻ってくるまでになった。飛行時間は数十分から1時間以上に及ぶ。飛行エリアは琵琶湖全域だ。

皆さんも飛行機に乗る時、「天候調査中」とか「条件付き」というのを見たことがあるだろう。今いる空港の天候が良くて離陸可能でも、目的地の空港の天候が悪ければ着陸できない可能性がある、ということだ。このように飛行機のパイロットは、離陸から着陸までの全ての天候を気にしているのだ。

私はパラグライダーのフライヤー(パイロット)だが、初級者の頃にこんなことがあった。離陸場でグライダーを広げ、準備が完了すると同時に、インストラクターから「風が悪くなったので、離陸を禁止します」と無線が入ったのだ。こうなると私は、せっかく広げたグライダーを畳んで、担いで下山しなければならない。「ああ、もう1分速く準備すれば飛べたのになあ」と私は嘆いた。すると、隣にいたベテランフライヤーに、こうたしなめられた。
「もし1分速く準備していたら、君は荒れた風の中を飛んで着陸しなければならなかった。離陸が遅れて飛ばずに済んだのはラッキーなんだよ」

つまるところ、空を飛ぶときに考えるべき最も重要なことは「いかに飛ぶか」ではなく「いかにフライトを終えるか」なのである。実際にこの回の鳥人間コンテストは、台風の接近に伴って風が強まり、飛行中断、大会中止へと至った。このように天候が悪化の一途をたどることが明らかな状況で、今の離陸場の天候だけでフライトを迫るのは、およそあらゆる飛行機の常識から見てあり得ないのだ。

2013年には雷を無視して準備を強行

ytvが天候上の棄権を無視した例は最近もあった。2013年の鳥人間コンテストである。
鳥人間コンテストは土日に開催されるが、土曜日に出場するチームは金曜日に機体を組み立てて、大会本部の検査を受けなければならない。ところがこの日、大会会場である彦根市松原水泳場の砂浜では琵琶湖の対岸から大きく発達した積乱雲が迫ってくるのがはっきり見えていた。積乱雲は琵琶湖を横断し、開場の南側(京都側)へと列をなして流れており、遠雷も聞こえ始めた。会場でも時折、スコール状の雨が降っていた。明らかに落雷を警戒するべき状況だ。

会場内のスピーカーからは、大会本部が避難を呼び掛けていた。会場周辺のレストランやホテルなどとは協定を結んでいるので、雷を避けて避難するように、というのだ。ytvがあらかじめ雷の危険性を想定して準備していたこと、それを放送で呼び掛けたことは素晴らしい。しかしその直後、耳を疑うような情報が入ってきた。

それは、検査対象のチームは機体を組み立てて検査を受けろ、という指示が引き続き出ているというものだ。チーム間は連絡を取り合っているため、その時点で検査の順番だったチームはいずれも検査を続行する指示が出ていることがわかった。

ytvは「会場内に落雷する可能性があるから避難しろ」という指示と「予定通り機体の検査を行え」という指示を同時に出していたのである。結果として、砂浜に大勢のチームメンバーが人力飛行機とともに検査を受けていた。幸いにも、会場内への落雷はなかった。しかし、生命の危険があることを知りながら、大会進行に影響する場面では参加チームはもちろん多数の番組製作スタッフをも雷の危険に晒していたのである。

「番組製作」は安全に優先

このブログへの感想を綴ったTweetの中に、イベント企画を仕事とされるらしき方から「ショー・マスト・ゴー・オンへの警鐘」というコメントがあった。Show must go on.日本語で言えば「幕を下ろすな」である。ステージやイベントはどんなことがあっても客の前でやり遂げなければならないという、ショービジネス業界の言葉だ。「親が死んでも舞台に立つ」などというのも同じ話だろう。

ショービジネスではそうだろう。そして鳥人間コンテストはテレビ番組である。つまり「面白くて視聴率が取れる番組を製作するに足る収録をすること」が目的のショービジネスなのだ。

ytvは答弁書で「飛行を拒否したことにより、大会運営や番組製作に大きな支障を生じたため、以降、そのような参加チーム側の一方的な都合による無責任な棄権を可及的に防止する」「1チームの内部方針に過ぎない事情より、大会運営全体が左右されてしまうことは、大会の運営に照らして好ましいことではなく」と説明している。これは、スカイスポーツであれば全く問題とされない。何故ならば、どれほど有力な選手であろうと選手の側の理由で棄権したことで大会運営全体が左右されてしまうことなどないし、何より大会運営上最重要のことは「事故を起こさないこと」だからだ。選手が飛びたくないと言っているのに飛ばして、事故が起きたらその方が大問題であって、それに比べれば「選手がひとりも飛行せず大会が成立しなかった」の方がはるかに良い。

何が問題かは明らかだろう。ytvにとってチームの棄権は「番組製作に大きな支障を生じる」から問題なのだ。そしてytvにとって鳥人間コンテストは「番組製作のための大会」だから、番組製作に支障を生じることと、大会運営に支障を生じることの区別ができていないのである。そして、スカイスポーツでは当たり前の「事故防止を最優先した大会運営」をせず、「予定通りに撮影を完遂する」ことが優先されているのだ。

鳥人間コンテスト「選手権」

鳥人間コンテストの、大会としてのフルネームは「鳥人間コンテスト選手権大会」だ。選手権大会とはつまり、誰でも参加できるわけではなく、選考があるということだ。一般的にスポーツの選手権大会は、選考対象となるオープン大会での成績などを判断の根拠とするだろう。オリンピックの出場選手選考などが良い例だ。

鳥人間コンテストの出場チーム選考は、春ごろに行われるytvの書類選考のみである。そして、この選考では能力の高いチームから順に選ばれるとは限らない。というより、ある程度の実力のあるチームを落選させて、比較的実績のないチームが選ばれることも多い。おそらくテレビ番組の構成上、ボチャンと落ちるチームもあった方が面白いからだろうと、鳥人間経験者の間では言われている。

要するに鳥人間コンテスト出場の審査とは、番組出演のオーディションなのである。明確な選考基準がない以上、ytvの機嫌を損ねれば翌年から出られなくなる、と参加チームが考えるのは致し方のないことだ。結果として、エアロセプシーのような有力チーム以外は、ytvに異議を唱えることすらできないのである。

なお、2014年のルールブックには以下のような条文がある。

14 大会実行委員会の絶対権限
(中略)
e 大会実行委員会は、以下の各号いずれかに該当するチームに対して罰則を科することができるとともに、その事実を公表する場合がある。
3 機体の制作、改修、整備等チームの都合で生じた時間的遅延により大会の進行を妨げたとき。
4 大会の円滑な運営および番組上の演出に対する非協力的な行為。

15 罰則
前条により大会実行委員会が科す罰則は以下の通りとする。
(中略)
c 次回大会への出場停止処分
d 大会への無期限出場停止処分

このようなルールが明示されているのだから、不安や問題があっても「ちょっと待ってください」とは言いにくいし、演出のためにチームへ持ち込まれる無茶な要求にも協力せざるを得ない。そして、15条で明記するまでもなく、次回以降の大会に出場できるかどうかはytvの機嫌次第なのである。ルールに基づいた処罰だと明言されたことは、今まで一度もないのだ。

大会出場権を得るための予選などがあれば、出場停止処分になっていないのも関わらず予選の結果に反して落選すれば、それはおかしいと誰でも気付く。だから、選手が大会実行委員会を批判したり楯突いたりしても、それが正当なもので処罰対象でなければ翌年の出場は「実力次第」と言える。鳥人間コンテストはそうではない。危険な罰ゲームでも出演を断らない芸能人のように、参加チームはytvのご機嫌を伺わなければならないのである。

次回は、鳥人間コンテストで重大事故寸前のトラブルが起きながら、ルール改善がされなかった事例を紹介する。

追記(2014年7月23日)

今年の鳥人間コンテスト参加者から、情報提供があった。大会参加者向けの説明会で、このような質疑応答があったという。

「安全上の理由での棄権は認められますか?」
「事務局に申し出て認められればOK、無理に飛べとは言わない」

これを聞いたその情報提供者は、このブログを読んで「ああ、裁判でのytvの主張に沿った説明だったのだな」と感じたと言う。ルールでは棄権できないと書いてあるが、危険な場合にも棄権できないという意味ではないから、危険を感じたら言いなさい、ということだ。
しかし、それでも「申し出て認められれば」である。今回のブログで書いた通りytvの危険に対する認識は、スカイスポーツの常識とはかけ離れている。むしろ、申し出なければ参加者の責任、という点を強調したに過ぎないと言えるだろう。そして14条には、参加者が大会本部の指示に反してゴネること自体が、処罰対象と明記されているのである。

鳥人間コンテストの安全性を考える 第1回 自己責任とは何か

これまで九州工業大学チームの鳥人間コンテスト事故について、事故の分析と裁判を中心に考えてきた。しかし問題は、ひとつのチームのひとつの事故だけで終わるものではない。今回からは話題を変え、鳥人間コンテスト全体にある様々な問題について考えていく。

私は、大学時代にサークルチームで鳥人間コンテストに出場、卒業後は社会人チームで数回出場した。と同時に、パラグライダー歴15年ほどのパイロットだ。その経験から鳥人間コンテストを振り返って考えると、非常に多くの問題があることに気付くのである。今回は、鳥人間コンテストにおける自己責任の考え方について分析してみる。九工大事故でも「パイロットの自己責任」という意見がネット上でも、また鳥人間関係者の間でも多く聞かれた。では鳥人間コンテストに自己責任は成立するのだろうか。

スカイスポーツの自己責任

スカイスポーツは、自分自身のために空を飛ぶものだ。だから、事故に対しては自己責任が大原則だ。鳥人間コンテストも基本的には自分が飛びたくて飛ぶのだから、自己責任を原則とするべきなのは言うまでもない。しかし、自分自身のためだけでない、他の要素が含まれてしまうと、自己責任の前提が崩れてしまう。ここで私は、自己責任を成立させるために必要な条件を以下のように考える。

  1. パイロット自身が、安全を判断するのに必要な知識とモラルを身につけていること
  2. パイロットが、安全を確保するために必要な情報を知り得ること
  3. パイロットが、飛行の判断をするときに、他人から圧力を受けないこと

これは私の考えであってスカイスポーツの世界でコンセンサスのあるものではない。この3つの視点をたたき台として、スカイスポーツの自己責任を考察し、鳥人間コンテストと比較すると考えて頂きたい。

パイロット自身が、安全を判断するのに必要な知識とモラルを身につけていること

私がこれを真っ先に挙げたことには、違和感を持つ方が多いかもしれない。必要な知識とモラルを身につけているかどうかも含めて、自己責任ではないか。身につけずに飛んで事故を起こしたら、それこそ自己責任ではないかと。

しかし、私はこれを第一に掲げる。それは、このことが鳥人間コンテストと他のスカイスポーツの最も大きな違いと言えるからである。

私はパラグライダーで飛行するにあたって、日本ハング・パラグライディング連盟(JHF)のライセンスを取得し、会員になっている。パラグライダーは日本の法律上はとくに許可や免許を必要としていないので、これは任意のものだが、パラグライダー競技者(フライヤーと呼ぶ)の大半はJHFなどの団体の指導のもとで飛んでおり、離着陸場などの施設はライセンスを持った人にしか使用させない。

それは、我々フライヤーが空を飛べるのは、法律の規制、地域の理解など多くの点で社会的に「許してもらっている」という自覚があるからだ。もしパラグライダーの無秩序な飛行で死傷事故が激増したり、第三者に多大な迷惑を掛けるなどして度を超すようなことになれば、地域の方々から反対運動が起きたり、パラグライダーを禁止する法律ができたりして、飛べなくなってしまう可能性もあるだろう。

だから、パラグライダーのライセンスを取得する際の学科講習では、空を飛べるのは「当たり前」ではなく「みんなで築き上げてきた自由」だということを教わるのである。空を飛んでいる限り、事故を起こす可能性とは常に背中合わせなのだから、安全に飛ぶための情報交換を欠かさず、トラブルがあればみんなで助け合い、ビギナーのことはサポートする。そうやって全員が連帯感を持って事故を防止し、「飛べる自由」を守っているのだ。

鳥人間コンテストには、この「人力飛行をする自由を自分達で守る」という認識がない。鳥人間コンテストは読売テレビが30年以上続けている番組であり、そこで人力飛行機が飛べるということに疑問を持つ者はほとんどいないと言ってよいだろう。しかも参加者の多くは大学生なので、過去の事情や他のスカイスポーツの常識、関係法令などは知らない。以前の記事で書いたように鳥人間コンテストが法的にグレーであることは知っていても、それを根拠に規制されることまでは考えていない人が多い。「飛べるのが当たり前」なのだ。

彼らにとって、事故を起こすのは「ダメなチームがダメなことをした」のであって、それで自分達が影響を受けるのは不当な迷惑以外の何物でもない。だから、他チームで事故が起きても関心はないし、それを騒ぎ立てるのは「自分達を巻き込む余計な行為」としか映らない。ちなみに、この連載の第5回を公開してから今回の更新時点までのPVは12万を超え、Twitterなどで非常に多くのリアクションがあったが、その間に鳥人間関係者から私へのリアクションは数えるほどしかない。

念のため書き添えておくと、鳥人間でも安全上の努力はよく話題になるし、重要なことと認識されている。しかし、私から見るとそれはスカイスポーツとは根本的に異なる。スカイスポーツの安全努力が「自由を守るため」という切実なものなのに対し、鳥人間は「より高いレベルを目指すため」という上昇志向のものだ。だから、事故を起こすチームがなくなるように努力するのではなく、自分達のプライドや満足感を得ることに集中し、事故を起こした者に対しては侮蔑の目を向ける者すら少なくないのだ。

鳥人間コンテストが他のスカイスポーツを同じように、自己責任を前提として健全に運営されるためには、参加者全員に「何のための責任か」を充分に周知し理解させる教育体制が必要だろう。しかし、読売テレビにはそこまでする意欲も余力もないし、参加チームは技術や知識を引き継いではいても、こういった根本的な思想はほとんど教えていないのである。

パイロットが、安全を確保するために必要な情報を知り得ること

自己責任と言っても、責任を負うためには情報がなければ判断のしようがない。安全性を判断するうえで重要な情報は、機体、地形、気象の3つに分けられると考えるが、鳥人間の場合は地形と気象については誰でも知り得るので、重要なのは機体に関する情報だろう。

機体が壊れるか壊れないか。どうすれば壊れる可能性があるが、どうすれば壊さずに飛べるのか。どう操縦すると安定を失う可能性があるが、どうすれば安定して飛べるか。そういった情報がわからないままでは、パイロットは安全に飛べるかどうかの判断ができない。裏を返せば、そういった情報が充分でないなら飛ばない、という判断もパイロットの責任の範疇と言える。

これがエアラインの航空機であれば、その機種が本来持っている性能や特性は、航空機メーカーから示されている。速度、高度、傾き、加速度など様々な条件があり、その範囲であれば安全を保証しているわけだ。さらに整備員が機体の状態を確認し、責任を持ってパイロットに伝える。これらの情報をもとに、パイロットは安全性の判断を下す。パイロットは最終確認をするが、その情報は機体全体のごく一部でしかないし、パイロットが知り得ない原因で起きた事故であればパイロットの責任ではない。

パラグライダーなどのスカイスポーツでも、やはりメーカーが保証する性能が存在する。これは国際標準に基づく試験で保証されており、機体の強度、安定性などを細かくチェックして、初心者向けや上級者向けなどのランク分けをしている。強度試験は機体が破壊するまで力を加えて行われるし、安定性はテストパイロットの手で項目ごとに客観的に確認されている。我々フライヤーはこのランクで機体の概ねの安定性を知ることができるし、どのランクでも試験を通過している機体であれば充分な強度を有しているのは間違いない。もし機体の製造不良で事故が起きれば、それはメーカーの責任になる。

鳥人間の場合、こういった基準は存在しない。鳥人間コンテストに出場するには、読売テレビの書類審査だけが条件なのだが、それは簡単な図面と説明文書だけのもので、読売テレビ側では詳細な性能の検討はできない。試験による確認などは義務付けられておらず、必要な試験を適切に行うように、といった抽象的な指示があるだけだ。

そして鳥人間チームは、自分達の手で人力飛行機を設計製作し、その性能を競うことを目的としている。チームの中でパイロット以外の者は、「作った飛行機を飛ばしたい」のだ。だから、不安が拭い切れなくても「これくらいならきっと飛んでくれるだろう」という判断に傾きがちだし、また不安を口に出しにくい。

また、鳥人間コンテストをテレビで観ていればわかるように、機体が空中で壊れることはむしろ「番組の華」として盛大に取り上げられる傾向にある。だから、翼が折れたりすること自体を殊更に問題視することはこれまでなかった。私自身の激烈な反省を込めて白状すれば、「自信がなくてもみんな出場してる」ぐらいに考えていたのだ。今にして思えばとんでもないことである。これでパイロットに怪我をさせれば「過失傷害」どころか「未必の故意」なのではないか。

九工大事故の場合、設計に問題があった可能性が高いにもかかわらず、強度試験や飛行試験をほとんどしておらず、結果として大会本番では自壊してしまっている。また裁判では設計者側から「パイロットがペダルを漕ぎすぎたために壊れた可能性」などが指摘されているが、それで壊れるのであれば「ペダルを漕ぎすぎると壊れる」ということをパイロットに示す必要があった(もちろん主翼が壊れる理由になるはずがない詭弁ではある)。もちろん、パイロットにそのような指示は出されていない。

では、どうすれば安全性を確認したと言えるだろうか。安全基準を作成する団体は鳥人間には存在せず、各チームの裁量に任されているのが現状である。九工大事故では、設計製作側の認識が明らかに欠けていたし、それを確認するべきパイロットの認識も欠けていた。あまりにもずさんな状況で、起きるべくして起きた事故である。しかしどのチームでも、安全性が充分かどうかを判断するに足る基準は、実は存在していないのである。

パイロットが、飛行の判断をするときに、他人から圧力を受けないこと

パイロットの自己責任、すなわちパイロットに最終的な責任を負わせるためには、最終的な決定権がパイロットにあることは言うまでもない。誰が何と言おうと、どのような事情があろうと、パイロットが飛ばないと言ったら飛ばない。これが必須条件である。

エアラインの場合、パイロットは仕事で飛んでいるのだから、正当な理由がなければ飛行を拒否することはないだろう。しかし、判断が微妙な場合はパイロットの判断が優先する。何かあったとき、対応できるのはパイロットだけだからだ。

スカイスポーツの場合、パイロットが飛びたくなければ飛ばなくてよい。レジャーであれば当然だが、競技会であってもこの点に代わりはない。競技会で事故が起きれば、パイロットだけでなく大会運営や、ひいてはスカイスポーツ全体が批判に晒されることになる。パイロットが飛びたくないと言っているのに飛ばすことは考えられない。

ところが鳥人間コンテストのパイロットは、2つの大きな圧力に晒されている。ひとつはチームメイト、ひとつは大会事務局からだ。

鳥人間コンテストは他のスカイスポーツと異なり、あらかじめ用意された機体でパイロットの技量を競うものではない。競技で競われるのはむしろ、機体の性能だ。機体の設計製作は、チームにもよるが学生チームの場合、10名前後から数十名のメンバーがまる1年かけ、学業以外の時間をほとんど注ぎ込み、また費用をバイトで稼いで行ってきたものだ。そのようにして作り上げられた機体の目的は鳥人間コンテストで飛ばすことであり、これをパイロットの一存で「飛ばしたくない」と判断するのはきわめて難しい。

九工大事故の場合も、荷重試験をしていない、操縦系に故障があるといった重大な問題があるにも関わらず、チームの仲間達は「大丈夫だから飛んでくれ」と言っている。この状況でパイロットが「いや、飛ばない」と言えば、人間関係は破綻するだろう。しかし、事前に「どんな試験をしなければならないか」「どういう状態では飛んではいけないか」という基準が整備されていれば、設計製作メンバーが「全ての項目をクリアしたので、飛んで欲しい」とパイロットに引き継ぎを行うことになる。逆に、クリアしていなければ引き継ぎができず、パイロットは飛行の条件が整っていないことを理由に「飛べない」と判断できる。

私は昨年、鳥人間チームが交流するイベントの機会に講演してこう述べた。
「鳥人間チームの設計製作メンバーは、パイロットの間に誓約書を交わすべきだ。機体の設計製作に関することはチーム全体の責任であって、事故の際はパイロットを見捨てたりしないと。そういう誓約ができないチームであれば、パイロットは降りた方が良い」
しかし、読売テレビは今年、これとは全く逆の趣旨のアドバイスを参加チームに与えている。曰く「パイロットは、飛行前に機体の安全を確認し、自分の責任で飛行の判断を擦ること」と。つまり読売テレビは、今後鳥人間コンテストで事故が起こってもそれはパイロットの責任にするよう、各チームで手を打っておけとアドバイスしているのだ。

「自己責任」が形骸化した鳥人間コンテスト

これまでに述べた通り、鳥人間コンテストはパイロットやチームのメンバーが充分な知識と判断力を備えているか確認しておらず、パイロットが機体の安全性を確認するための制度が整備されていない。にもかかわらず、パイロットは全責任を自分で負って飛ぶことを求められているのである。果たして、このような状況でパイロットは、自己責任でフライトすることが可能なのだろうか。私には到底、そうは思えないのだが。

冒険的なチャレンジは常に、生命のリスクを伴う。だから、「リスクがあることをしてはいけない」と言ってしまえばチャレンジはできなくなってしまう。命を賭けるに足るチャレンジをするのは個人の自由であり、それを裏打ちするのが「自己責任」だ。

次回からは、鳥人間コンテストで過去に起きた具体例を挙げ、大会の構造的な危険性を検証していく。

鳥人間コンテスト事故の深層 第5回:新証言が明らかにした事故の全貌

しばらく間が空いてしまった。私自身の都合もあるがもうひとつの理由は、新情報が大量にもたらされ、その分析に時間を要していたからだ。
情報をもたらしてくれたのは、事故当時の九工大チームのメンバーだったA氏だ。A氏は事故後、川畑さんとはほとんど連絡を取ったことがなかったが、今回の事故報道を見て心配になったのだという。そして、このブログを含む裁判情報を知って、こう感じたのだと私に話した。
「平木先生は、こんな嘘をつき続けているのか」

そして、本当のことを知ってほしいと、DVD-Rにして3枚分の画像や議事録などのデータと、多くの証言を頂くことができたのである。なお、A氏は当初実名での告発を考えてくれていたが、これまでの川畑さんへのバッシングなどの経緯もあり、今回は匿名での掲載とさせて頂くこととなった。

行われていた事故原因調査

チーム側の準備書面では、古賀氏が川畑さんの母に宛てた手紙に書かれた事故原因について「同書は、被告古賀の一個人としての意見であり、KITCUTSが検討協議のうえ出した結論ではない。そもそも、本件人力飛行機は残存していないのであるから、同書が、科学的データに基づいた分析ではないことは明らかであって、被告古賀自身が、結果論的に推測を述べたものに過ぎないことは明らかである」と記している。そして、チーム側からは図面や写真などの具体的証拠は出さず、原告側の主張は根拠がないと切り捨てる主張をしている。確かに、証拠がなければ事故原因を特定することはできない。

しかしA氏は当時、機体の調査と事故原因調査を行ったことを覚えていた。そして、調査で用いられた多数の写真と、設計図のCADデータを保管していたのである。私は、このCAD図面と機体の写真を照合し、当初設計図の通りできているかを確認した。その中で、主翼折損部付近に若干の設計変更があることを含め、事故機の詳細な構造を把握することができた。
その結果、A氏から聞いた「当時の事故報告」と「被告古賀氏の手紙に書かれた考察」、そして私が推測した事故原因は完全に一致した。いや、鳥人間コンテストに出たことのある者なら誰でも、同じ結論に達するだろう。原因は、主翼桁が細すぎたことと、主翼桁にワイヤーを取り付ける方法が不適切だったことである。

他チームの半分以下しかなかった強度

チーム側は「細くても、厚みがあれば必要な強度を得られる」と強弁して原告主張を否定しつつも、それを証明する証拠は一切提出しなかった。しかし、A氏の資料によれば、主翼が折れた部分の桁は、直径50mm厚さ1mmのCFRPパイプであり、それはCAD図面からも写真からも確認することができた。
厚さ1mmというのは人力飛行機の桁としては一般的なもので、チーム側が主張する「厚ければ強い」というようなものではない。問題は50mmという直径だ。同時期の同規模の鳥人間チームの主翼桁は、直径が80~100mm。つまり、他チームの主翼桁が1.5Lペットボトルぐらいの太さとすれば、事故機の主翼桁は500mlのペットボトルより細いのである。強度を意味する値「断面2次モーメント」は他機の1/2~1/4程度しかない。

IMG_6872離陸前の写真。停止状態であるにも関わらず、向かい風だけで主翼が極端に曲がっている。

さらにもうひとつ、主翼のたわみを抑えるためのワイヤーの取り付け方法が異常なものであったことがわかった。
人力飛行機チームの一部は、主翼にワイヤーを張っている。これは主翼の反りを抑えるもので、主翼を軽量化でき、またワイヤーの長さを変えて反りを調整することができる。ワイヤーの空気抵抗が馬鹿にならないというデメリットもあるため一長一短であり、上位チームでもワイヤーの有無はチームによる。ただ、張るほうが作りやすいので初心者向きではあるだろう。

事故機の主翼折損部の写真を見ると、ワイヤーをスピードキャッチという金属製のリングに取り付け、それをホースバンドで主翼桁に括り付けていることがわかる。わずか1mmの厚みしかなく割れに弱いCFRPパイプに、このように金属をごりごりと押し付けて力を加えれば、パイプは簡単に割れてしまう。もともと細くて半分以下の強度だったパイプは、それよりさらに弱い力で折れてしまうだろう。

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事故後の写真。細く、薄いパイプに無造作に巻き付けられたホースバンド。これでは折れるのも当然だ。

[追記]東北大の写真へのリンク←鳥人間で一般的なワイヤー取り付け方法。パイプに板を接着し、そこにピンを通す穴を明け、ワイヤーを接続する。この写真では先にパイプにカーボン布を巻いて補強したうえ、上から樹脂を盛って補強しているが、こういった補強はチームによって違う。

直径わずか50mmのパイプに括り付けられたホースバンド。これは鳥人間経験者が見れば、計算するまでもなく一目で「折れないはずがない」とわかるくらい、あり得ない構造だ。これほど酷い機体がどうして飛行に至ってしまったのか。そして、その原因調査が行われていたのに今まで秘匿されてきたのは何故なのか。それも、A氏が保存していたチーム内の打ち合わせ議事録と、証言から判明した。

機体製作、試験飛行、そしてハイブリッドトレーニング

チーム側の準備書面では、試験飛行は安全確保には不要なものだと断じている。しかしA氏の証言によれば、当時リーダーであったチーム側被告の学生達は、製作の遅れで試験飛行の時間が減っていくことに焦りの言葉を口にしていたという。さらに、製作が進むにつれて機体重量が設計値をオーバーすることがわかってきた。機体が重くなれば飛行に必要なパワーも増える。逆に言えば、パイロットは設計値以上のパワーを出さなければ、飛行機は飛べない。
計算上、当初設計の240Wから、300Wに引き上げる必要があるとわかった。これは無茶な話だ。わずか2、3か月でこれほど筋力を増やすことができるのか。

ここで、「ハイブリッドトレーニング」が登場する。ハイブリッドトレーニングは電気刺激により筋肉量を飛躍的に増加させるというもので、九州工業大学などで研究が行われていた最新のトレーニング方法だ。まだ臨床段階の研究、いわば人体実験であるため病院の倫理委員会の判断が必要で、実際にトレーニングが始まったのは6月末だった。

機体の完成が遅れ、ようやく試験飛行が準備されたのは鳥人間コンテストのわずか2週間前だった。しかし機体を走行させると、離陸する前に主翼ワイヤーが切れてしまい、試験飛行は失敗に終わる。修復作業が行われたものの大会本番まで日数がなく、再度試験飛行を行うことはできなかった。結果としてこの機体は1度も、飛行中に受ける荷重に耐えられることを確認していない。

また、本来なら試験飛行前に行わなければならない、機体の重心測定を行う余裕がなかった。そこで試験飛行の後、機体を組み立てての重心測定が行われた。ここで機体の総重量も改めて確認されたわけだが、鳥人間コンテスト直前の木曜になって、川畑さんの体重が思いのほか増加していることに気付いた。

パイロットの出力は当初の240Wから、目標の300Wを達成していた。一方、体重も当初設計時の47kgからある程度増加することは予想していたようだが、実際に測ってみると54kgだった。それでも、重量増が設計総重量(機体とパイロットの合計)の8%なのに対して、パワーは25%も増加したのだから、トレーニングは成功である。しかし、機体の重量も増えているし、前回の試験飛行では主翼構造も破損している。重くて弱い機体で、本当に安全に飛べるのか?パイロットの川畑さんとチームリーダー達は愕然とし、大会出場辞退を考え始めていた。

「責任を取って飛べ」という選択

川畑さんは動揺し、体重管理を怠った責任は自分にあるとして、自分から大会出場辞退を申し出ると言い出した。しかし松本氏らは川畑さんを制し、川畑さん抜きで顧問の平木准教授に相談へ行った。

このとき彼らが何を考えていたのかは、本人に聞かないとわからない。しかしもし私なら、こう考えただろう。パイロットの体重を試験飛行時に確認しなかったのは自分達の責任でもある。パイロットひとりの責任ではなく、チームの責任として出場辞退を申し出るためには、パイロットの川畑さんを連れていくわけにはいかない、と。

実際に平木准教授と松本氏らの間でどのような話し合いがあったかもわからない。しかし、そのあと平木准教授は川畑さんを電話で呼び出す。研究室を訪れた川畑さんは、平木准教授に説得された内容をこう記憶している。。

「体重管理の責任を取って出場を辞退しようと考えているそうだが、せっかく鍛えたのだから、出場して記録を出すというのも責任の取り方ではないか。強度は私が確認したから、安心して乗ってほしい」

自責の念に駆られている川畑さんにとって、責任を取って飛べという言葉は重かった。しかも強度確認を准教授がしたと言われれば、信じないとは言えない。翌金曜日の昼、読売テレビが開催するパイロット向け説明会に参加するため、川畑さんは新幹線で琵琶湖へ向かった。同日、パイロット以外のチームメンバーは機体をトラックに積み込み、バスで土曜朝に大会会場に到着する。

そして、大会当日。組み立てた機体の、主翼ワイヤーが再び切れて修復した。水平尾翼を操作するサーボモーターが故障したが、これは交換用部品がなくそのまま固定した。水平尾翼の固定は設計通りの機能を備えていないということであり、本来は大会本部に申告するべき重大なトラブルだが、申告はしなかった。これらのトラブルに、川畑さんは「飛んで大丈夫なのか」と疑問を発したが、担当者はその都度「大丈夫だ」と答えていたという。これほどの問題を大会本部に申告していたら、本部権限で飛行取りやめになっていたかもしれないが、申告することなくフライトは行われてしまった。

OBと学長が見ている前で

それにしても、飛行機を飛ばすうえで最も重要な責任は「飛ぶこと」ではなく「事故を起こさないこと」だ。にもかかわらず、飛ばなければならなかったのは何故なのか。

九州工業大学のOB会は、明専会という。その明専会からチームは資金の寄付を受けていた。そして鳥人間コンテストには明専会による応援ツアーが組まれており、そこには九工大の学長も参加していた。もし大会寸前に出場を辞退すれば、明専会や学長はわざわざ琵琶湖まで来て「九州工業大学が出場していない鳥人間コンテスト」を見せられる破目になる。

もちろん、明専会が学生達に「安全に不安があっても飛べ」と圧力を掛けたわけではないだろう。しかし、こういった「上の人」への、現場の自主的な(愚かな)配慮が大きな事故に繋がった例は過去にもある。中でも有名なのは、スペースシャトルチャレンジャー号爆発事故だ。

スペースシャトルチャレンジャー号の教訓

チャレンジャー号の事故は予言されていた。爆発事故の日の朝、常夏であるはずのフロリダは異常な寒波に襲われており、気温は氷点下まで下がっていた。スペースシャトルのブースターを製造したメーカーは「こんな低温での打ち上げは、安全を保証できない。凍結したパッキンが硬くなってガス漏れを起こし、爆発するかもしれない」とNASAに進言した。しかしNASAは「爆発するとは限らない」と言って打ち上げを強行。その結果起きた爆発事故の原因は、まさにこのメーカーが心配していた通りのものだった。

NASAが打ち上げを強行したのは、その日の夜にレーガン大統領の演説が予定されていたからだった。演説の日にスペースシャトルが飛べば大統領がそれに触れないはずはなく、予算獲得に有利になると考えたのだ。しかし結果として、大統領の演説は追悼演説に変わってしまった。

九工大の鳥人間事故はまさに、チャレンジャー号爆発事故と同じだ。技術を軽視し、体面を重視した結果、乗員の人命を賭けていることを忘れていたのである。

行われていた事故調査

事故直後、チームのOBは現役学生達に「徹底的に調査しろ」と指示をする。それだけでなく、破損した写真の機体を大量に撮影して提供した。これがA氏が保存していたデータの一部となる。
事故の前まで、チームを指揮していたのは4年生であり、「チーム側被告」はこの代である。3年生はパイロットの川畑さんのみ。意気消沈していた4年生に代わって事故調査を指揮したのは2年生だった。彼らは翌年、チームを運営する世代であり、同じ失敗を繰り返さないための調査が必要だったのである。

そこで2年生は、それまでチームでタブーだった行動に出る。それは「他のチームに相談する」ということだった。

一般的に鳥人間チームは、チーム間の情報交換が多い。大抵の場合、見学に行けば何でも見せてくれるし、図面ももらえる。それは鳥人間の人力飛行機は単にコピーすれば良いというものではなく、試験飛行などの運用も含めた経験が重要だからだ。コピーしたぐらいで超えられるものではないのである。逆に言えば、他チームに相談することがタブーという九工大は、非常に特殊と言える。

彼らは他チームの図面と比較することで、事故機の主翼桁が細すぎたこと、ワイヤー取り付け方法がずさんであったことにすぐに気付いた。古賀氏の手紙にそのことが書かれていたのも、事故調査の結果を反映していたのである。

「他チームに相談しない」タブー

なぜ九工大チームだけが、他チームに相談してはいけないというタブーを有していたのだろうか。この点についても、川畑さんとA氏の意見は一致している。それは「他チームに聞くなんてみっともない」という意識と、「うちはISAS出身の先生が顧問をしているのだから」という認識だったという。

川畑さんは高校時代、九工大のキャンパスツアーに参加した際、鳥人間チームを訪れてこう説明された。「うちのチームはISAS出身の先生が指導してくれている。こんなチームは他にない」と。キャンパスツアーで訪れた高校生に説明するのだから、彼らにとってそれは重要な誇りだったのだろう。ISASとはJAXA(宇宙航空研究開発機構)の宇宙科学研究所のことで、平木准教授は九工大に転属する以前はISASで小惑星探査機「はやぶさ」の開発に従事しており、九工大への転属は「はやぶさ」の打ち上げとほぼ同時である。

しかし事故機の設計図や写真を見れば、他のチームで鳥人間コンテストに参加した経験のある人なら誰でも唖然とする。あまりにも、鳥人間の常識から外れているからだ。つまるところこのチームは、人力飛行機の経験はないがISASという「錦の御旗」を掲げた顧問に率いられ、その指揮下で「他大学に質問するなどみっともない」と考える学生達が人力飛行機を作っていたのである。

しかし、彼らも反省がなかったわけではないのだろう。事故後A氏は、引退してOBになった松本氏らから「試験飛行を充分にするように」と口を酸っぱくして言われたという。主翼桁も、他チーム並に太いパイプに変更された。他チームとの交流も活発化した。失敗から得た教訓を受け継ぐことは、技術者として重要な責任の取り方と言えるだろう。

矛盾する平木准教授の発言

事故後、重傷を負った川畑さんは平木准教授に、事故原因を調査して欲しいと依頼する。しかし、平木准教授は「学生に責任を負わせられない」の一点張りで、事故調査を断り続けた。実際に裁判の準備書面でも、調査は行われていないことになっている。しかし現実には調査は行われていたのである。何故、チーム内では事故調査が行われていたのに、川畑さんにはそれを伝えなかったのだろうか。

一方で、川畑さんは事故の発生について鳥人間コンテスト主催者である読売テレビに報告して欲しい、と平木准教授に伝えている。しかしA氏は平木准教授から、読売テレビへ報告しないことについて「川畑さんも問題を大きくしないで欲しいと考えている」と聞いている。これも矛盾している。

さらに、最近わかった事実がある。川畑さんには入院治療費に関する保険金が支払われているが、この保険金は大学が学生に加入させている保険で、大学の授業や研究活動でないと使えないものであった。平木准教授は裁判で「単なるサークル活動で、研究室の活動ではない」と主張しているが、サークル活動ではこの保険は使えないのだ。研究と無関係なサークル活動だという主張が真実であるなら、保険の支払いはできなかったはずだ。

そして、A氏は平木准教授から「保険が使えるのは3~6か月の治療期間だけで、以後は使えないので、寄付を集めたい」と説明されたと証言する。ところがこれは間違いだった。実際には保険は、後遺障害にも適用可能なのである。しかも保険は傷害保険だけでなく賠償責任保険もあるため、チーム側被告らはこの保険で川畑さんへの賠償を行うことも可能だ。にも関わらず、平木准教授は入院費だけに研究室の保険を使い、そのあとは「保険が使えない」と学生に説明していたのである。

後遺症に保険を適用すれば、「研究室の活動で、学生に後遺障害が残る重傷を負わせた」ということになってしまう。その責任をめぐって問題が大きくなるのは避けられなかっただろう。

「体重オーバー問題」の謎

ここまでに明らかになったように、事故後の調査で原因とされたのは「主翼桁が細すぎた」「ワイヤー取り付け部が杜撰だった」の2点であって、パイロットの体重オーバーは問題にされていない。たとえ体重が当初予定通りでも主翼が折れたことは明らかだからだ。A氏の記憶でも、パイロットの体重は原因調査の過程で無関係として外されたという。古賀氏の手紙にも体重のことは書かれていない。

しかし、川畑さんの母親が平木准教授のもとを何度も訪れて談判すると、平木准教授は毎回「パイロットの体重がオーバーしていたのだから仕方がない」と言って話を打ち切ったという。設計や製作に関しては「学生に責任は負わせられない」と言いつつ、パイロットの責任とも取れる発言をすることに母親は憤った。平木准教授がパイロットの体重にこだわり、設計や機体構造に関しては調査結果の報告すら拒んだのは何故だろうか。

大会直前に「強度を確認した」と言ったという川畑さんの証言が事実で、しかも事故原因が強度不足であれば、平木准教授にも責任が及ぶ可能性がある。しかし、体重が原因であれば、平木准教授に責任はない。

そして、もう一つ謎がある。この、平木准教授以外は誰も問題にしていない体重問題が、雑誌「女性自身」の記事掲載直後に2ちゃんねるに書き込まれ、「体重詐称パイロット」という非難が巻き起こったことである。雑誌記事中に書かれておらず、事故調査でも裁判の場でも一切話題になっていない、平木准教授しか問題視していないことが何故、誰の手で、2ちゃんねるに書き込まれたのだろうか。

起きなかったはずの裁判

川畑さんがもともと要求していたのは「事故原因を調査すること」であり、それに加えて「自分だけに負担を負わせて逃げるのか」という怒りが裁判に至った理由と言えるだろう。
しかし、これまででわかったのは「事故原因は調査されていた」うえ、「後遺障害やチームメンバーの賠償責任まで、大学の保険でカバー可能だった」という事実である。この2点を平木准教授が川畑さんに正直に伝えていれば、川畑さんが訴えを起こす理由がない。裁判はなかったのである。

もし、これから賠償保険金が支払われれば、そのぶんの金額はチーム側の賠償分から差し引かれるだろうから、結局彼らは賠償金を払わなくて済むのかもしれない。そのことは、川畑さんが自分で調べて判明したことなので、彼らチーム側被告は知らないのだろう。知っていたら、裁判の前にまず保険の手続きをすれば和解していたかもしれないのだ。

どうして、川畑さんと松本氏らは裁判で戦う羽目になったのか。私には、どちらも「引き裂かれ憎み合うように仕向けられた被害者」に思えてならない。

九工大と弁護士の立場は

こうして見てくると、平木准教授と九工大が同一の弁護士のもとで、同一の答弁書で主張しているのはおかしい。九工大は平木准教授はただの顧問であって責任がないという前提だが、それは平木准教授が九工大に報告した内容を信じた結果だろう。しかしA氏の証言は、それとは全く矛盾する。

複数の被告を1人の弁護士が同一の主張で弁護すること自体は問題がない。しかし、被告人の立場が異なっていて、利益が相反する場合は、1人の弁護士が両方を弁護することはできない。弁護士職務規定第28条で禁止されているのだ。もし被告同士の利益が相反していることがわかった場合は、弁護士は辞任しなければならない。

九工大は、こういった事情を改めて内部調査するべきだろう。公判が開始されてから大学側と平木准教授の利益相反が判明するような事態は避けるべきだからだ。

さらに言えば、チーム側の元学生達も、平木准教授の弁護士と同じ弁護士事務所の弁護士が代理人である。これも、利益相反があれば問題になる。チーム側はこれまで、責任は自分達に一切なく、読売テレビにあるという主張で一貫しているが、いくらなんでもその主張が100%通るとは考えにくい。一方で、平木准教授の責任に関することはひとつも主張していない。もし主張すれば、チーム側と平木准教授の間に利益相反があることになってしまう。

明専会は救済の手を

なぜチーム側学生達は、チーム内の事情に口をつぐんだまま読売テレビだけを糾弾する無理な主張を続けているのだろうか。考えられるのは、明専会の存在である。と言っても、明専会が彼らに圧力を掛けているわけではないだろう。

彼らはいずれも一流の航空宇宙系企業に勤めており、会社の先輩には明専会の大先輩もいる。そもそも彼らに鳥人間の活動を支援してもらい、その縁もあって就職を掴んだのであろう。そんな立場で、大学側を糾弾するようなことは、裁判であってもできないに違いない。

しかし、明専会は彼らに危険なフライトを要求したわけではない。学生達のために支援の手を差し伸べただけだ。にも関わらず、このような状況で後輩たちが苦しんでいるのは、彼らにとっても不本意に違いない。もちろんここで言う後輩とは、原告の川畑さんだけではなく、被告の松本氏らのことでもある。被告の立場で苦しんでいる彼らに「先輩に遠慮するのは間違っている。何があったかを正しく証言するべきだ」と説得できるのは、明専会ではないだろうか。