鳥人間コンテスト事故の深層 第3回:チーム側主張の謎

※前回まで「答弁書」と書いてきたものは、答弁書以外にも公判準備書面を含むというご指摘を頂きました。そこで、今回からは答弁書や公判準備書面を含む、裁判に提出された被告主張を「主張文書」と表記することにします。

チーム側が書いた「お詫び」

前回書いたように、チーム側、すなわち事故当時にチームリーダーや設計担当者を務めていた学生達が裁判に提出してきた主張文書は、筋が通らないばかりか鳥人間コンテスト参加者を自ら愚弄するような、不自然な内容だった。そしてそれは、他の資料などから私が感じた彼らの「キャラクター」とは大きくかけ離れている。

彼らチーム側は一度だけ、川畑さんの母親に手紙を書いている。その手紙も証拠として裁判に提出されているが、本来私信ということもあるので、今回は原文の掲載は控えようと思う。ただ、この手紙から私が感じたのは、彼らは「真面目で誠実で気が弱い、どこにでもいる普通の理工系大学生」だということだ。彼らは彼らなりに責任を感じ、自分達の配慮や努力が不足していたことを反省していると、書面にしたためていた。

川畑さんの話によれば、事故後に彼らと直接会ったのは1回きり、入院中の病院に見舞いに来たときだという。その時はまだ病状が重く、絶対安静だったということもあってか、彼らは衝撃を受けた様子でずっと黙ったまま、花束だけを置いて帰ったそうだ。その後、川畑さんは「何故、このような事故が起きたのか説明して欲しい」と顧問の平木准教授に訴え続け、ようやく平木准教授を経由して母親宛として出してきたのが先ほどの手紙である。

このようなチーム側学生達の態度に、川畑さんは激怒していた。事故後ずっと対面を避け、いくら要求してもろくな事故調査もせず、謝罪文1通で済ませようとしていると。しかし私は強い違和感を覚えた。確かに、取り返しのつかない大怪我をさせてしまったことにショックを受けたからと言って、逃げて済むものではない。だがそれも、取り返しがつかない大失敗だからこその逃避と考えれば一応理解はできる。そのような小心者の連中が書いたにしては、主張文書はあまりにも攻撃的だ。

自分自身を罵倒する主張

主張文書を振り返ってみる。安全性確保のために試験飛行をするべきだった、という問いには「飛行試験の目的をはき違えた的外れなものと言わざるを得ない」と切り捨てる。機体の強度が不足していたと言われれば「人力飛行機の性質につき何も理解していないと言わざるを得ない」と返す。パイプの太さを指摘されれば「パイプの太さのみに基づく原告の主張は、あまりに脆弱な立論であり、人力飛行機に対する原告の無知を露呈したものであると言わざるを得ない」と罵倒する。私には、いくら裁判に勝つためとはいえ、あの謝罪文を書き、病室で何も言えなかった彼らと同じ人格が書いたとは思えないのだ。

しかしよく考えてみると、彼らの主張文書で罵倒されているのは原告の川畑さんだけではない。主張文書によれば、彼ら自身は航空力学を「独学でかじった程度にすぎない」のであり、「KITCUTSは鳥人間に関し、何ら専門性を有する団体ではない」という。さらに、事故報告書代わりに書いた手紙に関しては、こう切り捨てた。

謝罪文である同書は、当然、原告の感情を慰謝すべく、あたかも被告古賀らに本件事故の責任の所在があるような記載となっているが、客観的には、事実と異なる箇所、何ら理論的に裏打ちされたものではない被告古賀の推測箇所及び誇張した箇所が多数存在するのである。
また、同書は、被告古賀の一個人としての意見であり、KITCUTSが検討協議のうえ出した結論ではない。そもそも、本件人力飛行機は残存していないのであるから、同書が、科学的データに基づいた分析ではないことは明らかであって、被告古賀自身が、結果論的に推測を述べたものにすぎないことは明らかである。そして、鳥人間の性質上、機体の改良点はコンテスト後の反省を踏まえればいくらでも見つかるものであることは自明である。
したがって、同書記載の内容は、事実とかけ離れたものであり、何らの信用性を有するものではない。

改めて確認しておくが、ここに書かれている「被告古賀」とは、この主張文書を出したチーム側の1人である。主張文書では、「被告古賀」は川畑さんの怒りを鎮めるために、仲間と相談もせずに事実とかけ離れたことを書き連ねたのであって、そんな謝罪文は信用に値しないと断言しているのだ。もし気持ちが昂って不正確なことを書いたのだと言いたいのだとしても、古賀氏をこれほどまで貶める必要があるとは思えない。

これらを併せて考えると、この主張文書では一貫していることがある。KITCUTSという学生チームのメンバーが、原告被告に関係なく「無知で論理性がない」と罵倒されているのである。そしてこの文章を書いた人は、川畑さんもチーム側も「人力飛行機を理解していない」「航空力学の知識がない」と言っているわけだから、自分は理解しているのだろう。だから、知識がないはずのチーム側が、原告の知識を罵倒するという矛盾が生じてしまっているのである。

透けて見える「隠れた顔」

私はこの事件について最も多くの話を聞いた相手は、原告の川畑さんだ。当然川畑さんは、被告であるチーム側に対して強い怒りを持っているから、彼らに対しては強い口調で非難する。擁護するつもりで話しているのではない。しかしそれを第三者の目線で聞いていると、チーム側の彼らの違う面ばかりが見えてきてしまったのだ。

特に強い印象を受けたのは、彼女がチーム側の学生達のことを「顧問の言いなりで自分では何も決められない人達」と怒っていたことだった。彼女曰く、設計もスケジュール管理も顧問の許可が必要で、パイロットとの打ち合わせでも結論を出せず顧問に確認を取っていたという。事故後のやり取りも全て顧問経由で、冒頭の手紙も顧問を経由してのものだったというのだ。

通常、鳥人間コンテストの学生チームは学生の自主的な活動で、設計やチーム運営は学生の手で行われる。大学側からの活動の支援の程度によって顧問の関与度合いは様々だが、大抵は金銭面などの支援であって、日常的に指示を出している例はあまり聞かない。非常に異様な感じを受けたが、川畑さんは私からそのことを指摘されるまであまり意識していなかった。鳥人間チームが顧問から指導されることに違和感を感じないほど、川畑さんの主観では日常的なことだったようだ。

しかしチーム側の主張文書には、顧問との関係は一切書かれていない。そもそも設計やチーム運営などがどのように決定されたのかというプロセス自体が一切書かれていない。書かれているのは、ただひたすら罵倒するように、原告主張も被告の過去の発言も切り捨てることだけだ。

では、顧問である平木准教授は、チームとの関係をどう主張しているのか。次回はその点を明らかにしていく。