鳥人間コンテスト事故の深層 第4回:九工大と平木准教授の主張

ここからは九州工業大学と、顧問である平木准教授の主張を見ていこう。

第1回で述べたように、九工大と平木氏は同一の弁護士を通じて、同一の主張書面で回答している。訴状では平木氏個人と九工大を別に記しているので、平木氏と九工大が同じ立場で主張する必要はないのだが、彼らはあくまで一体の立場で主張しているわけだ。以前にこのブログへのコメントで「教員個人の行為と大学を混同するな」という趣旨のことが書かれていたが、実は私も同意見だ。教員個人の行為と大学を一体視している九工大に疑問がある人は、私より九工大に文句を言った方が良いだろう。平木准教授の行為がサークル顧問として適切であったかどうかを確認する責任は、大学側にあるはずなのだから。

さて主張の内容だが、第1回の準備書面にその趣旨が端的に記されている。

「被告平木は、KITCUTSにおいて人力飛行機の設計・製作につき指導・監督する立場にはなく、実際、指導・監督したこともなかった。」
「被告平木の専門は宇宙工学及び機械工学であって、人力飛行機の設計・製作を専門とはしていない。」
「そもそも、人力飛行機の設計・製作の専門家ではない被告平木がKITCUTSの行う同設計・製作に対し、指導することなど不可能である。」
「被告平木にとっては、人力飛行機の設計・製作は、自己の研究対象ではないのであるから、KITCUTSはあくまで大学における通常の部活動と同等のものにすぎないのであって、その顧問である被告平木は、主としてKITCUTSが鳥人間コンテストに参加するための活動を支援する事務手続等をしているだけの存在である。
よって、被告平木は、KITCUTSの活動に際して、KITCUTSの構成員に対し、指導・監督する義務はない。」

つまり、整理するとこういうことだ。

  • 平木准教授は人力飛行機の設計・製作を研究しておらず、学生の活動に口も手も出していないし、する能力もない。
  • 平木准教授はサークルの顧問として、事務手続きをしていただけである。
  • サークルの顧問には、活動を指導監督する義務はない。

義務も能力もないから関与していない、というのが主張だ。しかし、義務も能力もない者が自分の意志で関与することは可能だ。関与すれば、起きた結果には責任がある。

学生鳥人間チームの顧問とは

学生鳥人間チームの多くは、顧問が活動に関与する度合いは少ない。大会出場までの活動計画、設計や製作、試験飛行などは学生達が自主的にやっている。顧問の関与は主に事務手続き的なことだが、大学によっては積極的に活動を応援するために補助金を出したり、大会に顧問が応援に来たりするが、あくまで応援だ。よほどのこと、たとえば未成年者の飲酒などない限り、顧問が口を挟むことはないだろう。その意味で、九工大・平木氏の主張は鳥人間に限らずサークル活動として一般的なものだ。

ただ、活動を指導監督する義務はない、というのはどうだろう。普通、事故を未然に防止するのは常識的な注意にとどまっても、大事故が起きたあとにも何の指導もしないものだろうか。

事故調査を拒否して機体を処分

チーム側の主張文書には、なぜ事故が発生したのかという具体的な説明は何一つ書かれていない。前回挙げたように、チーム側は手紙に書かれた事故原因について「そもそも、本件人力飛行機は残存していないのであるから、同書が、科学的データに基づいた分析ではないことは明らか」と書いている。機体の破損状況の写真も撮らず、どこが壊れたのかを調べもしていないのは、パイロットに怪我がなくても通常考えられない。なぜ設計担当者が「科学的データに基づく分析」を一切していないのか。

大学公認サークルの活動で、学生が入院を要するほどの怪我を負った。しかも事故現場には顧問も居合わせた。このような状況でサークルを活動停止にもせず、機体の調査も学生への聞き取りも行わず、事故調査報告書も作らせないというのはかなり異常ではないかと、私は思うのだが。

川畑さんの説明によれば、川畑さんは事故後、平木准教授に「事故原因をきちんと調べて報告させてほしい」と何度も訴えた。しかし、平木准教授は「学生達に責任を負わせることはできない」と断ったという。「私も学生なのに、私一人が責任を負うのは良いのですか」と食い下がっても聞き入れられなかったと。

事故後に何の調査も行われず、機体が処分されたのは何故なのか。あるいは、本当に調査は行われなかったのだろうか。

平木准教授は何をしていたのか

一般的な鳥人間チームでは、顧問には学内手続きの書類作成と挨拶ぐらいでしか会わないものだ。では平木准教授はどうだったのか。

前回も書いたように、チーム側は顧問の関与について、あるともないとも一言も触れていない。一方で原告側は、顧問としての責任を訴状に記しているが、それ以上のことは主張していない。顧問とチーム側の関係については、チーム側が主張するべきことだからだ。だから九工大・平木氏の主張は「顧問にはサークル活動に常時関与する義務はない」という簡潔なもので終わっている。

しかし川畑さんの弁によれば、「平木准教授は自分が鳥人間コンテストに出場したくて学生を集め、指揮していた」のだという。確かにサークルの顧問には常時関与する「義務」はないが、自分が「やりたくてやっていた」のであれば話は別だ。

チームのそもそもの発端については、九州工業大学の広報誌「九工大通信」に記載がある。発行は2005年10月なので、KITCUTSが初出場したときのものだ。その冒頭でこう書いてある

―鳥人間コンテストへの出場を思い立ったきっかけを。
平木 私自身が出場してみたかった、というのが理由の1つです。私の学生時代には、こういったコンテストに大学として参加するということが主流ではなく、出場機会がありませんでしたから。もう1つは、九工大を全国区にしたいという思いですね。私は2年半前に神奈川県から北九州に来ましたが、それまであまり九工大のことを知りませんでしたし、実際それほど知られていません。全国に広めるにはテレビで取り上げてもらうのが一番だと考え、学生に声をかけました。
井手野 僕は大学に入ったら鳥人間に挑戦してみたかったのですが、九工大の航空部はグライダーを飛ばすところで、ちょっと違っていました。先生が開かれたミーティングに参加して、ぜひやってみたいと。

普通に読めば、言いだしっぺは平木氏であり、平木氏が開いたミーティングに集まった学生(井手野氏は2005年当時のメンバーであって、今回裁判の被告ではない)がKITCUTSの初代メンバーだ。鳥人間コンテスト初出場は2004年で、平木氏が九工大に着任したのは2003年度だから、着任した年度に早速、学生を集めてチームを結成したことになる。

特殊な設計の「初出場機」と学会発表

同じ2005年10月29日には、日本航空宇宙学会西部支部において井手野氏、平木氏、そしてチーム側被告の1名である古賀氏の連名で「先尾翼式人力飛行機の飛行特性に関する実験的考察」という発表を行っている。これについて平木氏主張文書では「井手野の発表に協力しただけ」「平木の研究テーマである空力技術に資する考察であるならば、機体の形状を先尾翼式に限定する必要はない」「自分で人力飛行機の研究をしているなら翌年以後も発表を続けるはずだが、していない」と、実質的な関与を否定している。

ということなので、科学技術振興機構から論文を取り寄せてみたところ、こんなことが書かれていた。2005年のKITCUTS機の特徴は先尾翼と「winggrid」という構造を取り入れることにより、主翼幅を18mと短くすることができたとある。

このwinggridというものは、航空機に詳しい人でもあまり見たことはないだろう。世界的にも非常に採用例の少ないものだ。

winggridを紹介しているページ

私はこの機体が2004年の鳥人間コンテストに登場したことをよく覚えている。winggridを装着した人力飛行機など見たことがなかったが、この機体のwinggridは18mの主翼のうち、片側2.5mずつを占める巨大なものだ。winggrid部を除いた主翼は13mしかないという、きわめて挑戦的な設計だ。初出場でずいぶん思い切ったことをしたものだなと驚いた。(2004年は強風で飛行できなかったので、2005年が実質的初出場)

翼端の性能改善方法はウィングレットという小さな翼などがあり、鳥人間チームでもよく使われている。チーム側準備書面によれば、KITCUTSは航空力学をかじっただけの「素人集団」である。にもかかわらず、初めて人力飛行機を作る大学生が、こうも大胆にwinggridを採用するものだろうか。「空力技術」に詳しい人がメンバーにいて、チームをリードしたとしか考えられないのだが。

また、この井手野氏の発表の趣旨は先尾翼に関するものだけで、winggridはテーマではない。設計リーダーであった井手野氏にとって、winggridはあまり重要ではなかったのだろうか。ではwinggridという大胆なチャレンジは誰の発案だったのだろうか。

そして確かに、2005年のこの発表を最後に、学会での発表はない。次にKITCUTSが鳥人間コンテストに出場したのは2007年であり、まさに大事故が発生した年なのだ。離陸前に壊れてしまった飛行機では、論文を書こうにも書きようがないだろう。

事故4か月後に語られた「平木の野望」とは

ふたたび、事故が起きた2007年の話に戻る。事故の責任を巡って関係者が揉めているさなか、11月24日に平木准教授は講演を行っている。

明専会大阪支部総会

明専会とは、九州工業大学(創立時の名称は明治専門学校)のOB会のようだ。そこで平木准教授は「鳥人間コンテスト指導教官」として「九工大・平木の野望、そして迷い…」という題目の講演を行った。事務手続きを行っただけのサークル顧問が「鳥人間コンテスト指導教官」と名乗ったのだとすれば誇大表示の印象を受けるが、その内容が「平木の野望」となると、ただの顧問がどんな野望を持っていたのだろうかと大変興味深い。この講演を聞かれた方がいらっしゃったら、内容をお知らせいただければ幸いだ。

何も知らされない後輩達

実際の設計・製作に関してはどうだったのだろうか。川畑さんの弁では「平木准教授が指示し、平木准教授の許可がなければ何も決定できなかった」と言う。一方平木氏の主張では「指導・監督したこともない」「専門家ではないので指導不可能」としている。どちらが正しいのか。

2007年当時の状況については、チーム側が何も説明しないのでわからない。そこで2013年秋、私は現在の九州工業大学KITCUTSの複数の現役学生に、現状を聞いてみた。すると「いま、設計担当の学生が作成した設計案と平木准教授の案で対立していて、話し合いの最中」という答えだった。彼らの話を総合すれば、平木准教授は2005年以後「人力飛行機の研究をしていない」し、2007年の時点では「指導も監督もしたことがない」「研究していないので指導できない」状況だったが、2013年には「学生とは違う設計案を作成」して「学生は自分の設計案を平木准教授に交渉していた」ということになる。

そしてもうひとつ驚いたのは、KITCUTSが2014年の鳥人間コンテスト出場を目指して活動していたことだった。学生達によれば、平木准教授は「良い設計をして良い機体を作れば書類審査に合格する」と叱咤していたという。しかし、2013年から行われている裁判では、当時の学生が「責任は読売テレビにある」と主張し、平木准教授は「顧問には指導する義務はない」と主張している最中だ。

事故の後、2008年と2010年にKITCUTSは鳥人間コンテストに出場している。しかしこの間、読売テレビはKITCUTSから前年の事故の報告を受けていない。平木准教授との話し合いに業を煮やした川畑さんが読売テレビに協力を求めた後、驚いた読売テレビは事情聴取のため平木准教授を訪れている。

実情を「知っている」読売テレビが、現在も平木准教授が顧問を務めるKITCUTSを合格させるとは考えにくい。実際、2010年の出場を最後にKITCUTSは落選を続けている。大会がなかった2009年を除く6年間に5回も合格したチームが、その後4年連続で落選するのは異例だが、状況を考えれば当然だろう。KITCUTSの学生達は4年間にもわたって、出られるはずのない鳥人間コンテストを夢見て活動を続けてきたのだろうか。

サークル、研究室、就職の利害関係

ここまでの情報を総合すると、私には「平木准教授は手続き上のサークル顧問ではなく、自分が鳥人間コンテストに出場したくて学生を集め、自分の趣味でwinggridなど鳥人間コンテストでは特殊な設計を次々に取り入れ、自分が示した方針以外を学生に認めず、自分の考えの枠内で学生に鳥人間チームの活動をさせた」というように見える。少なくとも私が会ったKITCUTS関係者(川畑さん以外も)に聞く限りは、そうだ。

しかし平木准教授は、自分はKITCUTSの単なる顧問であって、実際の設計製作には関与していないと主張する。大学のサークル活動ではよくあることだし、鳥人間サークルでも一般的な状況だということは先に書いた。では、サークルの主要メンバーが卒業研究や大学院で、単なる顧問であるはずの教員の研究室に入るのは一般的だろうか。

今回の裁判の被告であるチーム側学生達は、鳥人間サークルKITCUTSの元メンバーであり、平木研究室の元学生でもある。そして現在はいずれも航空宇宙系の一流企業に勤めている。文系学生の就職活動と異なり、理系大学院生の就職活動は大学、特に教員の個人的パイプが非常に重要だ。

鳥人間サークルに入り、研究室に入り、一流企業への就職を斡旋されて、現在は旅客機などを作りながら裁判では「絶対安全な飛行機は作れない」「飛行機の安全確認のために飛行試験をする必要なはい」と主張する。そう主張しなければならない理由が、おぼろげに見えてくる。