ちょっと長めの自己紹介

さて、宇宙開発の話を始める前に、僕のスタンスというか、基本的な考え方を話してみたい。僕の基本的な考え方が作られたきっかけは、大きく分けて3つあると自己分析している。

1つめ。意外に思われるかもしれないが、僕は宇宙飛行士になりたいと思ったことは一度もない。もともとは単に僕が近眼で、1985年の最初の宇宙飛行士選考基準から外れていたからだと思うが、その後緩和されても宇宙飛行士になりたいとは思わなかった。余談だが、金井さんが宇宙飛行士に選出されたときは「日本初のメガネ宇宙飛行士!」と喜んだものだ。

逆に言えば「たとえメガネでも宇宙へ行けるようになって欲しい」というのが僕の出発点だった。そこから広がると、たとえ勉強ができなくても、性格が良くなくても、近眼よりもっと大変な心身の障害がある人でも、あるいは大金持ちではなくても宇宙へ行けるようになって欲しい。そうなれば、僕は努力しなくても宇宙へ行ける、と考えたのである。かつて偉大なる人生の師、野比のび太は言った。「べんきょうして発明するんだ、べんきょうしなくても頭が良くなる機械を」。うん、まさにこれである。

2つめに、僕が高校時代から過眠症になったというのがある。もっとも過眠症だということを診断されたのは30歳頃のことで、それまでは自分が過眠症だとは気付いていなかった。過眠症というのは充分な睡眠をとっていても、ふとした眠気を我慢できない脳障害だ。いわゆる睡眠時無呼吸症候群のように、睡眠不足から来る眠気ではない。誰でも昼間にふと眠気が来ることはあるだろうが、それがノーブレーキで睡眠状態に突入してしまうのが過眠症だ。つまり、睡眠のスイッチが故障しているわけ。

高校受験では4校受けて第三志望で引っ掛かるという惨状だったが、4校中1校しかなかった私立大学附属校に入学することになったのは、後に考えると奇跡的なラッキーだった。高校に入ると授業では居眠りしてしまい、全くついていけなくなったからだ。まず英語ができなくなり、文系科目の成績がどんどん悪くなった。理数系は、高校レベルなら勉強しなくても普通の点数は取れた。しかし大学へ進むと、数学や物理もわからなくなった。

そんなわけで、大学生ぐらいから「計算しなくても大掴みで結論を導く」という考え方をするようになった。また鳥人間コンテストに出るようになり何かの間違いでチームリーダーをさせられると、自分で計算するよりも、僕より優秀な仲間や後輩が言っていることの調整をするほうが仕事になった。

3つめは、もともと僕がひねくれ者だということだ。幼いころから僕の周囲の人は、僕が人と違うことをするのを喜んでくれた。そんなわけで、僕は「みんなが好きな普通のこと」より「みんなが知らない面白いこと」の方が楽しいと思うようになった。ところがさらにひねくれたことに僕は、みんなが知らないから面白いにも関わらず、それを「知らなかった人が面白がってくれる」のがさらに面白いと気付いてしまったのだ。だから、興味を持ってくれた人には親切を通り越してお節介にもなるし、気がつくと自分の話ばかりしてしまう困った人になったりもするのだが。

結果として鳥人間、宇宙、パラグライダーが僕のライフワークになっているが、共通しているのはこれらの3つのスタンスだ。つまり、「自分がヒーローになりたいとは思わない」「わかりやすい言葉でシンプルに考えて伝えたい」「僕が面白いと思うことに共感してもらったとき、楽しくて仕方がない」だ。なので、そういう話を聞いて面白いと思う方がこのblogを読みにきてくれれば、それはとても嬉しいなって、思ってしまうのでした。