ロクデナシの特例公債法

長いこと放置した上に、いきなり宇宙とは関係のない話で申し訳ない。関係なくもないけど。

ようやく特例公債法の目処が立ったようだ。特例公債法がないと国債を発行できない。今の国の収入は半分以上が国債だから、国債が発行できなければ国の財政が麻痺して大変なことになる。

ところで、そもそもどうして特例公債法なんてものが必要なんだっけ。「もと公共事業担当公務員だった者として」強調して確認しておきたい。

財政法第4条には、「国は借金を財源にしてはいけない」という趣旨のことが書いてある。つまり、国債を発行するのはそもそも違法行為なのだ。国債を発行するためには財政法を改正するか、あるいは例外を定めた法律を別途作る必要がある。そこで「今年はどうしても止むをえないので、今年に限って借金を認めます」と例外を定めるのが特例公債法だ。こうやって発行される国債を赤字国債という。

つまり個人に例えるなら、「今後、お酒は飲みません」と約束を書いた掛け軸を飾った前で「今夜に限って晩酌を許可します」という紙を毎晩書いているわけだ。だから午後(秋)になると、臨時家族会議(国会)を召集するのが日課だと。なんとだらしのない人でしょう!

ところが財政法には、国債を発行して良い例外が定められている。それは、公共事業費に充てる場合だ。道路を建設するために借金をしたとしても、その道路は今後何十年も先まで使われる。小さな子どもも、これから生まれてくる子どもも道路を使う。だから現役世代だけではなく彼らにも負担してもらいましょう、というのが趣旨。こういう国債は建設国債という。

もちろん実際には将来役に立たないものもたくさん作っちゃったわけで、それは節度や合理性に欠けていた。特にバブル崩壊後、景気対策として要らんハコモノをじゃんじゃん作っちゃった。そこで、財政再建の中で「建設国債を発行して公共事業をするのはやめましょう」ということになったのだが、もともと公共事業のために借金をする理由自体は筋は通っている。

それでは、現役世代の生活に使うお金、あるいは既に退職した人のために使うお金を、借金で賄うことにいったいどんな大義名分があるというのだろうか。どれほど生活が苦しくても、我々は「今あるお金」で生活し、借金をするのであればそれは子どもたちのためだけに使うのだという気持ちを持つべきではないだろうか。なのに、公共事業の方が「誰かが甘い汁を吸うための無駄な金」であるかのように言われ、福祉に使うことの方が正義であるかのような安易な理屈を付けて、自分達が甘い汁を吸うことばかり考えてきたのではないか。

「公共事業は無駄だ」と言って削り、税金を福祉に回すのがこの20年ぐらいのトレンドだった。でも公共事業に携わった者として、声を大にして言いたい。公共事業は本来、未来の日本を豊かにすることが目的だった。なのに、公共事業費の乗数効果を現役世代の雇用に充てることばかり考えてきたのが、そもそもの間違いではなかったか。公共事業を削った結果、雇用が失われて福祉に費用が掛かり、そのために国債を発行する。でも、福祉では何も残らない。
今の時代、次の世代に残せるものは公共事業だけではない。科学技術もそうだし、教育や様々な制度改正も役立つだろう。破壊された自然の復元や放射性廃棄物処理のように負の遺産を片付けることも、大切な公共事業だ。こういうことは建設国債と同様、借金をしてでもやる価値があるだろう。

特例公債法が通れば、今年度予算は息を吹き返す。しかし、それは「今日のお酒を飲めるのは、子どもたちのおかげです!」とツケで飲み食いしているロクデナシと変わりがない。どうせ借金しないとその日の生活もできないのであれば、せめて子どもたちに残せるもの、子どもたちを育てることに多く使うべきだ。

結論としては「借金するなら子どもたちのために」という、ごくありふれた話になってしまうのだが、そもそも借金は法律で禁止されているんですよ、ということを確認しておきたかった。