梯子を外された月着陸探査計画

半年振りの更新のあと、1日おきに更新というのも恐縮だが、続けて宇宙政策ネタである。

進まなかったSELENE2計画

月探査機「かぐや」を覚えているだろうか。SELENE計画として開発着手したのは1999年、打ち上げられたのは2007年で、月を周回して世界最先端の観測が行われた後、2009年に月に衝突してミッションを終えた。この計画が始まる前には様々な案が検討されており、その中には月着陸機を搭載する案もあったのだが、これは後継のSELENE2計画に持ち越されることになった。そう考えるとSELENE2計画は、SELENE計画で着陸機が搭載されないと決まった1999年には実質的にスタートしていたと言える。

その一方で、1998年から2000年にかけてH-IIロケット2機とM-Vロケットが立て続けに失敗するなどトラブルが続発し、2003年の宇宙機関統合まで日本の宇宙開発は混乱の時代を迎える。統合後も態勢の立て直しに注力して新規計画の着手は遅延、その隙を突くように情報収集衛星が予算を奪っていく格好になった。着手済みのSELENEの開発は進むが、SELENE2の開発は着手されなかった。

黒船「コンステレーション計画」来航

2004年、アメリカのブッシュ大統領は、2020年までに有人月面探査を再開することを発表。2006年にはコンステレーション計画の名で、月面基地の建設を長期目標とした継続的な有人月往復飛行が具体化された。当時はイラク戦争終結直後であり、新時代の世界秩序を構築する上でアメリカの覇権を宣伝する必要もあったのだろう。コンステレーション計画はまずアメリカのみで完結する計画として提示され、同盟国には「役に立つものを持ってくれば一緒にやってもいいよ」というスタンスだった。

一方日本では、2008年に宇宙基本法が成立。2009年に最初の宇宙基本計画が立案されると、そこにこのように記載された。

有人を視野に入れたロボットによる月探査
月は地球に近い成り立ちを持ち、太陽系の起源と進化の科学的解明に重要であるとともに、資源等の利用可能性についても未解明であり、月を当面の太陽系探査の重要な目標に設定する。我が国が世界をリードして月の起源と進化を解明するとともに、科学的利用や資源利用の可能性を探るため、将来的にはその場での高度な判断などを可能とする月面有人活動も視野に入れた、日本らしい本格的かつ長期的な月探査の検討を進める。
具体的には、長期的にロボットと有人の連携を視野に入れた以下の案を念頭において、我が国の総力を挙げ、1年程度をかけて意義、目標、目指す成果、研究開発項目、技術的ステップ、中長期的スケジュール、資金見積りなどを検討する。なお、我が国独自の目標を保持しつつ、各国の動向も注視し、国際協力の可能性も検討するとともに、実行に当たっては、適切な評価体制の下で推進する。

  • 第1段階(平成32年(2020年)頃)として科学探査拠点構築に向けた準備として、我が国の得意とするロボット技術をいかして、二足歩行ロボット等、高度なロボットによる無人探査の実現を目指す。
  • その次の段階としては、有人対応の科学探査拠点を活用し、人とロボットの連携による本格的な探査への発展を目指す。

少し長いがそのまま引用した。というのも、行数にして国際宇宙ステーションの約3倍も割いているのだ。内容もコンステレーション計画を意識して、アメリカさんに乗せてもらうのではなく、独自の無人探査を行いつつ将来の有人探査に参加するという野心的なものだ。二足歩行ロボットの新しさもあり、大きく報道されたことを記憶している方も多いだろう。

月懇談会の夢のあと

2009年7月から、日本独自の月探査を検討する有識者会議、月懇談会が開始された。折しも8月の総選挙で民主党が歴史的圧勝を収め鳩山由紀夫内閣が成立するが、月懇談会はそのまま実施された。2010年7月までに9回の会合が実施され、報告書が作成される。日本の月探査の第一段階は2015年の無人探査機着陸。これはSELENE2そのものだった。アメリカが2020年に有人探査をするまでに日本は月に複数のロボットを送り込み、無人探査拠点を構築する計画だった。

しかし日本の月探査に大きな影響を与えたのは日本の民主党ではなく、アメリカの民主党だった。2008年12月、バラク・オバマがアメリカ大統領選挙に勝利。翌1月に大統領に就任すると、コンステレーション計画の見直しを指示した。既に様々な問題を抱えていたコンステレーション計画は2010年2月、正式に中止が発表される。月懇談会は開始前から、前提となるコンステレーション計画に黄色信号が点灯、報告書が出来たときにはアメリカ側は撤退していたのである。

報告書は棚に置かれたまま、省みられることはなかった。2015年着陸を目指すはずのSELENE2は、開発着手されなかった。

梯子を外す宇宙政策委員会

2013年1月、宇宙基本計画が改訂された。月探査の記述は以下の通りである。

有人やロボットを活用した宇宙活動の推進により、人類の活動領域を拡大することを目指すこととし、長期的にロボットと有人の連携を視野に入れた、平成32年(2020年)頃のロボット技術をいかした月探査の実現を目指した検討を進める。

月懇談会で決まったはずの2015年の探査はきれいに消え、記述内容も激減した。そしてこの月探査の検討を担当するのが、有人宇宙活動と同じ宇宙科学・探査部会である。

第2回のJAXA資料ではSELENE2がまる2ページを割いて説明している。打上げ目標は2018年。宇宙基本計画に則ったものだ。

第3回のJAXA資料では、具体的な科学ミッションが列挙される。小惑星探査機「はやぶさ2」、X線天文衛星ASTRO-H、ジオスペース探査衛星ERG、彗星探査計画「ベピ・コロンボ」、次世代赤外線天文衛星SPICA、そして月着陸探査ミッション。このときの議事録にはこうある。

 (月着陸探査ミッションについて)
○月探査がここで示されることは奇異に感じる。(松井部会長)
●月探査については、基本計画にも記述はない。(事務局)

これはおかしなことだ。先述の通り、月探査計画は基本計画に明記されている。開発中の探査機ではなく将来構想なのは確かだが、それはSPICAも同じだ。しかしSPICAはそのような言われ方をしていない。

この結果第4回資料ではJAXA案として、SPICAは2014年度開発着手。月着陸探査は「研究を進める」と記載されるに留まった。

前回のブログに掲載した有人宇宙活動と同じく、こちらも関係者、特に大学などの研究者への影響は甚大だ。彼らは1990年代から月探査で何を調査するのか、を研究している。しかし探査機がいつ飛ぶのかは、さしたる意思決定もなしに先延ばしになっている。

日本の宇宙政策はいったいどのような責任を持って検討されているのだろうか。この間、2回の政権交代があったが、それによって政策が変わることも、委員が替わることもなかった。少なくとも政治は何も影響力を及ぼしていないようだが、だとすると誰の意思で動いているのだろうか。