鳥人間コンテスト事故の深層 第0回:何故この件を問題にすることにしたのか

鳥人間コンテストの事故について、裁判の手続きが進められている。この件については様々な立場の人から様々な意見が出ているが、そろそろ裁判で明かされたことや、鳥人間の内部事情について詳しく述べ、多くの方に鳥人間の実情について議論を喚起したいと思う。そこでまず、なぜ私が鳥人間の問題を広く知らせようとまで考えるに至ったか、その理由から説明することにした。

事故について知った経緯

私が初めて事故について詳しく知ったのは、2012年の後半のことだ。私は1992年に初めて学生チームで鳥人間コンテストに出場し、2005年に社会人チームで出場して以来、鳥人間コンテストに対してはあくまでOBという立場でいた。宇宙開発を仕事とするようになってTwitterで意見やニュースなどをTweetしたりしている中で偶然、事故の当事者である川畑明菜さんと会話になり、川畑さんのプロフィールから事故について知った。その前にも何かひどい事故があったという噂は聞いていたが、詳しくは知らなかったのだ。
話を聞いてみると、それは想像以上に酷いものだった。事故の内容とその後の経過については他の回で書くが、それだけで済まされなかったのは、彼女にアドバイスをした第三者の鳥人間経験者達の発言が問題を悪化させていたことだった。彼女は私より前に、他の鳥人間経験者に相談をし、助けを求めていた。彼らの発言内容については川畑さんの記憶に頼るしかないため個人名は明記しないが、多くの経験者は「事故を起こさないようにするのが当然で、事故を起こしたのは自分の責任だ」という意見に終始し、議論は「今後どうすれば事故を防げるか」という技術的な視点でのみ進められたという。
未熟な鳥人間チームが事故を起こしたのは確かにチームの責任だが、そのチーム内で負傷したパイロットが放置されているのはおかしい。後遺症に苦しんでいるパイロットに助けの手を差し伸べるべきではないのか。そう主張し反発した若手も幾人かはいたが、聞き入れられなかったようだ。そんな中で川畑さんの鳥人間経験者に対する不信感を決定的にしたのは「事故について騒ぎ立てて、鳥人間コンテストが開催できなくなったら君の責任だ」という言葉だったという。いや、正確にはそうは言っていないかもしれない。もっと別の言い方だったのかもしれないが、彼女はそう理解してしまった。また、「鳥人間コンテストで怪我をしても自己責任だから、裁判に訴えても無駄だ」と言われたという。

時効まで隠された「刑事事件」

それはおかしい。私は趣味でパラグライダーをしているが、パラグライダーの製造者やフライトエリア管理者が原因になって事故が起きた場合でも、「自己責任」を理由にパイロットだけが責任を負うことはない。負傷したパイロットや、死亡したパイロットの家族が訴えを起こすこともある。場合によっては業務上過失傷害罪になることもあるのだ。このことを川畑さんに話すと、彼女は「犯罪ではないから訴えても無駄だと言われた」と驚き、信じられないという口ぶりだった。そこで、スカイスポーツの事故事例に関する資料を見せたりして説明したところ、彼女は東京都内の警察署を訪れて事の次第を話した。
警察官の答えはこうだった。飛行機が壊れたせいで怪我をしたのであれば、業務上過失傷害罪の可能性がある。また、ルールに「参加者の都合で辞退できない」と書いてあれば、強要罪の可能性がある。もしこの事故が東京都内で起きていたら、警視庁は告発を受けて捜査を行っていただろう。事故現場は滋賀県内だから、実際は滋賀県警でないと捜査できない。そして、業務上過失傷害罪の時効は5年だ。
事故が起きたのは2007年の夏、私が事故の詳細を聞いたのは2012年冬。この時点で既に5年が経過しており、時効が成立していたのだ。しかし、彼女が相談した鳥人間経験者達は彼女に「訴えても無駄だ」と言って、彼女にそれ以上の行動を思い止まらせてしまった。刑事事件になる可能性があった事故を、時効まで隠し通してしまったのである。
このことは川畑さんにとっても非常に残念な結果を招いた。もしこの事故が警察の捜査対象になっていれば、証拠として機体の残骸や設計資料などが差し押さえられ、関係者は事情聴取を受けていただろう。しかし川畑さんはずっと話し合いだけを模索し、民事訴訟に踏み切ってもチームから証拠が出ない中で、ほとんど機体の三面図とテレビ放映のDVDだけを手掛かりにした立証をせざるを得なくなっている。また、もしも刑事裁判で有罪となっていた場合、被害者の立場から民事訴訟を起こしても、バッシングを受けることはなかっただろう。

鳥人間が法律論を避ける理由

何故、鳥人間経験者はそうまでして事故を穏便に片付けようとしたのだろうか。以前のブログ記事で、読売テレビのスタッフは「事故が公になれば番組が打ち切りになる」と言ったと書いた。そして女性自身の記事後、私がこの件を話題にするたびに鳥人間の内輪では「大貫は余計なことを言うな」という声が上がり、改革を訴えれば「貢献していない大貫に資格はない」と声が上がる。第三者から見れば、触れられたくないことがある閉鎖コミュニティの典型的リアクションであることに容易に気付くだろう。
鳥人間コンテストのアキレス腱は、人力飛行機が法的に非常に厄介な立場にあるということだ。航空法では、人が乗る飛行機は国土交通省に届け出て許可を得なければならないことになっている。そして、届け出なくても良いという例外がいろいろ定められているが、人力飛行機はその例外規定のどれかに当てはまるようにも見えない。つまり、人力飛行機がまともに飛ばなかった頃は「飛行機ではない」と言えたのが、だんだん飛ぶようになってきたことで違法性が出てきてしまっているのだ。
こうして、鳥人間の間では法律の論議はタブーになった。まして裁判になどなれば、航空局の審査を経ずに飛ばしたことの是非も論点になりかねない。その結果として、鳥人間というコミュニティは後遺症に苦しむ仲間を見捨て、第三者の批判を受けないことを優先してしまったのだ。
ここで私も、懺悔しなければならない。私も川畑さんに相談を受けたとき、まず「法的手段に訴える前に話し合いで解決できないか」と話してしまった。そのため一時、川畑さんに「この人も、裁判を起こさないよう説得するのが目的だ」という誤解を与えてしまった。私も同じ鳥人間の常識に浸かっていた人間だったのだ。その誤りを正してくれたのは、スカイスポーツだった。

鳥人間はスカイスポーツか

スカイスポーツはいくつかあるが、飛行機で空を飛ぶスポーツで日本でメジャーなのは、大学の航空部などが飛ばすグライダーと、ハンググライダー、パラグライダーの3つだろう。
このうちグライダーは、航空法に定められたれっきとした航空機だ。だから国土交通省に機体、飛行場、飛行計画などさまざまな内容を届け出ている。学生団体であってもそれは変わらない。そして公益財団法人日本学生航空連盟(JSAL)などを中心に、OBらが協力して学生の指導や大会運営を行っている。
ハンググライダーとパラグライダーは、航空法上の航空機の扱いから免除されている。その代わりに、公益社団法人日本ハング・パラグライディング連盟(JHF)などの団体がパイロットやフライトエリアなどの安全管理を自主的に定めており、機体の安全審査はヨーロッパの業界団体が行っている。
これらのスカイスポーツに共通するのは、パイロット達の自主的な努力により安全を守っているということだ。団体も大会もパイロットが運営するものであり、パイロットの安全を守ることはすべてに優先する。事故が起きればその情報は広く周知され、みんなで対策を考える。それは自分達の命を守ることであると同時に、自分達の手で「空を飛べる日本」を守り続けることでもある。事故を他人事として放置すれば、スカイスポーツに対する国民の視線は厳しくなり、より厳しい法制度を作られたり、フライトエリア近隣住民の反対を招く可能性もあるのだ。ちなみに私が所属するJHFの会員証には、このような「フライヤー宣言」が記載されている。

  1. 自分の意思と責任でフライトします。
  2. 自己の健康管理を行い、健全なフライトをします。
  3. 社会のルールを守り、第三者に迷惑をかけません。
  4. 自然を大切にします。

鳥人間はチームと読売テレビの全員が利益を享受するものだ。だから、基本的に自分だけのために飛ぶハンググライダーやパラグライダーと異なり、自分の意思と責任だけで飛ぶことができない。にもかかわらず、パイロットだけに責任を押し付け、負傷したパイロットを皆で援護しようとしないのが鳥人間というコミュニティだった。現在も少なからぬ鳥人間関係者からは「無関係な我々を巻き込むな」と声が上がる。こういった実情を知ったスカイスポーツ関係者からは「鳥人間はおかしい。どうしてこんなことが続けられているのか」と驚きの声を浴びせられた。そしてこうも言われた。「大貫はスカイスポーツをしているのに、どうして鳥人間の異常性に気付かないのか」と。

ちなみに鳥人間には、JSALやJHFような競技団体の法人は存在していない。法人といえば、鳥人間コンテストの主催者である讀賣テレビ放送株式会社ぐらいだ。

鳥人間は持続可能かを問い掛ける

鳥人間コンテストは、スカイスポーツとは似て非なるものである。今後、このブログでは鳥人間の実情を取り上げ、より幅広い方々に考えて頂きたいと思っている。鳥人間コンテストが果たしてきた役割は大きく、鳥人間チームの活動は素晴らしいものだが、現状を放置するのは非常に危険だと私は考えているからだ。
もし私の考えが「余計なこと」であり、鳥人間コミュニティが充分に健全で社会常識に沿ったものであれば、このブログに何が書かれようと鳥人間コンテストはこれまで通り続いて行くだろう。もし私の考えが正しく、今の状況のまま鳥人間コンテストが続いていけば、いつかまた参加者が事故の犠牲になり、鳥人間は大きな非難を浴びて継続不可能になるだろう。では第三の可能性はあるのか?それを問いかけるためにブログを書いていきたい。

鳥人間コンテスト、あの報道後

※タイトルがわかりにくかったので変更しました。一部のリンクと違っていると思いますが内容は同じです。

ご存知の方も多いと思うが、鳥人間コンテストは今、訴訟のただ中にある。そのことが雑誌記事になり、その内容について私がTwitterに書いたことをかなり多くの人に読んで頂くことができた。なので、そのあたりの話は当該ページを見て頂く方が早いので、繰り返しここには書かない。

女性自身の記事

鳥人間コンテストの事故について、鳥人間の立場から考える

さて、この裁判については一部の関係者の間では当然、雑誌報道前から知られていた。そのとき、関係者が懸念していたのは次の2点だった。

  • 被告側の主張である「スカイスポーツはパイロットの自己責任」が今回は間違いであることを、うまく伝えられるか。
  • 読売テレビが慎重に進めてきたことを「テレビ局は番組収録中の事故を隠蔽した」と非難されないか。

前者は想像通り、現実に炎上した。しかし後者はほとんど見掛けなかった。これは非常に意外だった。
わかってきたのは、鳥人間コンテストという「大会」と、それを伝える「番組」は別のものであって、主体的に行動した大会出場者が番組制作者を訴えるのはお門違い、という理解が一般的だということだ。実際は大会運営全体が読売テレビの「視聴者参加型番組」の制作であり、大会参加者にはほとんど自主的な権限がないにもかかわらず。おそらくこれは、読売テレビ自身にとっても予想外だったはずだ。なぜなら、読売テレビは鳥人間コンテストでの事故が公になることをずっと恐れてきたからだ。

今も闇の中のMeister事故

今回、訴訟になっているのは2007年の九州工業大学チームの事故だが、その前年にも大事故は起きている。2006年、Meister(東京工業大学を中心とする学生チーム)の機体が護岸に激突し、パイロットは足首を複雑骨折する重傷を負った。後遺症も残った。
この後の経緯は、九工大とは対照をなす。Meisterのチームメイトは破損した機体を調査し、また写真や動画を検証し、まさに事故調査報告書と言うべき見事な文書を作成した。この真摯な対応にパイロットも納得したのだろうか、パイロットがチームを訴えることはなかった。言うまでもなく、パイロットは事故のリスクを承知の上で、最高の舞台に立たせてもらっているのだ。その結果が悪いものだとしても覚悟はある。
しかし、読売テレビの対応は芳しくなかった。事故を起こしたのはMeisterであって読売テレビの責任はない、と言ったのだ。これに怒ったのは東工大の顧問だった。「うちの学生に大怪我をさせておいて、責任がないとは何だ」と怒鳴り込んだ。驚いた読売テレビは、Meisterに見舞金を払う。そして、事故を公表しないように「お願い」した。
Meisterはこの報告書を公表するつもりだったようだ。報告書の内容は鳥人間の参加チームがどのように安全を配慮するべきだったか、どうやって責任を負うべきかについて論じた第一級の資料だ。全ての参加チームが読むべき貴重な記録だ。しかし現在もこの資料は、公式には秘密扱いとなっており、Meister関係者以外は閲覧できない。

事故が公になれば番組打ち切り

Meisterの事故報告書が九工大に渡っていれば、翌年の事故は起きなかっただろうか。それはわからないが、九工大とMeisterでは事故後の対応が全く異なっていたことは容易にわかるだろう。九工大では、チームはパイロットに対して何の対応もせず、事故報告書もパイロットの再三の要求でようやく簡単なものを作成しただけだった。大学側も読売テレビに噛みつくどころか、パイロットを放置して被告になった。しかし読売テレビの対応は、別の意味でMeisterのときと異なっていた。
チームとの交渉に業を煮やしたパイロットは2011年になって、読売テレビに仲介を依頼した。読売テレビが事故のことを知ったのはこれが最初だった。九工大は読売テレビに事故を報告していなかったのだ。読売テレビの鳥人間コンテスト事務局は即座に面会を求めた。そしてパイロットの話を聞き、顔面蒼白になったそうだ。若いアシスタントは気分を悪くして退席したという。彼らは事態の重大さと自分たちの責任を即座に理解したのだ。パイロットの川畑さんが私に話したところによると、読売テレビの担当者はこう言ったそうだ。「君のためにできる限り協力する」と。同時にこうも言ったという。「裁判になれば事故のことが公になり、番組は打ち切りになる」と。何とかして裁判をせず円満に解決してほしい、という痛切な願いだった。

そして、何も起きなかった

その後、読売テレビは対応を硬化させる。大学の責任を云々すれば自分達の責任も問われることになると気付いたのだろうか。「鳥人間コンテストは番組制作を目的とした競技会」であって、責任は参加団体にあるという主張に落ち着いた。大会開催に当たっても、参加チームに「安全を自分で確認するように」という通達を回した。事故が明らかになっても読売テレビの責任を問われないように、立場を修正したのだ。
だから、裁判のことが雑誌報道されても、読売テレビは何も動かなかった。読売テレビ側から参加チームに対しての説明もなかった。「公になったら番組打ち切り」にはならなかったのだ。あれほど公表に怯えていたにも関わらず、いざ公表されたら「それは自己責任だから」と流して大会を決行、今日は放送だ。
参加チームにしてみれば、自分達の我を通して番組が打ち切りになったら大変だと思うから、読売テレビの言うことには従ってきた。しかし、それが参加団体に言うことを聞かせるためのハッタリであることに、ようやく気付き始めている…いや、社会人チームはみんなわかっていたけれど、学生はまんまと信じ込んでいた。

報道後の鳥人間達の反応

一般論を思い出してみよう。こういう不祥事を告発した事例でまず起きることは「個別のトラブルを一般化して騒ぐことで全体に迷惑を掛けるな」という、内輪からの非難だ。今回、鳥人間の内輪ではそこまでの過激な反応はなかったが、「九工大は異常だ。普通のチームではこんなことは起きない。だから騒ぐ必要はない」という反応は、主に社会人に多い。
一方で学生チームからは、「安全策に関心はあるが、いま安全策を対外的に論じて読売テレビに睨まれたら、鳥人間コンテストに出場できなくなる」という声を複数聞いた。読売テレビが聞いたら逆に驚くだろう。読売テレビは各チームの責任で安全を考えてほしいのに、これまでの経緯から「事故の話をするのはタブー」というイメージを強固に植え付けてしまったのだ。
そして関係者全員に共通するのは、35年間開催された鳥人間コンテストに依存する構造だ。これほど巨大化し、確立し、そして唯一の存在である鳥人間コンテストが打ち切りになった時、どうしていいかわからない。テレビに依存しなければよりコンパクトな大会も可能、という発想に頭が回らない。だから、番組打ち切りにならないように臭い物に蓋をする。柔道の不祥事や学校のいじめ対応と同じく、問題の存在はわかっていても、みんなで目を背けざるを得なくなっているのだ。

正念場は来年か

今年の鳥人間コンテストは間もなく、無事に終了する。裁判が始まり報道された時点で、今年の鳥人間コンテストは準備が進行していたから、中止という選択肢はよほどのことがない限りなかっただろう。社会的に大きな騒動にならず、むしろ非難がパイロットに向いたことで開催に踏み切ったと思われる。
しかし来年はどうだろう。今年の大会でも、大事故にはならなかったものの事故寸前の危険な状況はあった。それも鳥人間コンテストの一般的なチーム水準から見て、当該チームの安全対策に特段の問題があったわけではなく、読売テレビ側も大きな問題はなかった。あったのは、あとから分析することで来年に活かすべき反省点という性質のものだ。しかし逆に言えば、鳥人間コンテストは手抜きをしなくても大事故を起こす可能性のある、リスク前提のチャレンジだということが改めて確認されてしまった。
人力飛行機と鳥人間はイコールではない。しかし、日本では35年かけて、この2つが一体化してしまった。誰もが鳥人間コンテストという番組を前提にしかものを考えられなくなっている。白紙からものを考え直して鳥人間コンテストが変革できるか。あるいは鳥人間コンテスト以外の選択肢を模索するか。それとも、見なかったことにして来年もそのまま続けるか。または…鳥人間コンテストの歴史が今年で終わるか。鳥人間は正念場を迎えるかもしれない。

放送後追記

本文中に書いた「大事故寸前の危険な状況」は、そのチームの出場自体が丸ごと放送されませんでした。そのこと自体の是非は判断が難しいところですが、後日この危険なフライトについても詳細にレポートしたいと思います。

2014年3月9日追記

本文章に対して「当時、Meisterは事故の報告書を秘密にしていないので、その点は事実誤認である」というご連絡を頂きました。私が秘密と表記したのは、2013年の時点で私に報告書のことを教えてくれた人が「本当は部外秘の資料だ」と説明したためです。

どちらか一方が正しく、一方が間違っているというよりは、報告書を作成した当事者は秘密にするつもりはなかったが、その後私に伝わる過程のどこかで秘密になってしまったのだろうと考えます。なお私はこの件について、たとえ秘密であったとしてもそれを理由に作成者を問題視するつもりは全くなく、このような報告書を作成した努力と見識に最大級の賛辞を贈るものです。